13 この日々が続くことを願って
★リヒター視点です。
眠い。
――リヒター様?
眠い。もう駄目だ。ベッドの上でゆっくり眠りたい。
――リヒター様?
限界がきたんだろう。幻聴が聞こえる。
――リヒター様……?
綺麗な声だ。優しくて、聞いていると癒される。
清らかで澄んだ天使のような声。
天使か……もしかしたら俺は死んだのかもしれない。
だとしたら死因は過労死だ。
俺は学院を卒業した後、第三王子のアレックス殿下の護衛になることが決まっている。
そのため、現在は鍛錬漬けの過酷な日々を送っている。
日の出とともに起きて朝の鍛錬。
その後、学院に行き他の生徒と同じように過ごし、放課後は王宮の練習場で騎士団に混じって鍛錬。
身体は常に悲鳴を上げていた。
しかも、だ。
学業においても優秀な成績が求められた。
両親が納得するような成績を修めるためには、深夜まで勉強するしかなかった。
我がノール家は古くから続く武門の家柄。
「銀狼」の二つ名を持つ、現騎士団長である父は常日頃からこう言っていた。
上官の無謀な作戦や誤った判断が、部下たちを危険な状況に追い込み、結果として多くの者が命を落とすことになる。
そんな上官の判断ミスで部下が傷つくことを避けるために、ノール家の人間は、常に優秀でなければならないのだ、と。
正論だ。全く反論の余地も無い。
騎士団に所属する優秀な兄も、ノール家に生まれた者として、かつては俺と同じような学院生活を送っていた。
疲れすぎて風呂で溺れかけたり、食事の最中に寝落ちし、スープの皿に顔を突っ込んだ兄の姿を何度か目撃したことがある。
なので、自分だけ鍛錬や勉強をやりたくないなんて、とてもじゃないけど言える雰囲気ではないし、死んでも言いたくない。
父や兄にできたことを、自分だけできないなんて、絶対に言いたくない。
けれど、どうしても眠いのだ。
いつの間にか、立ったまま目を開けて寝ることが特技となるくらい、眠くて眠くて仕方がないのだ。
幸い、元々無口なこともあり、今までにその特技に気づく者はいなかった。
両親や兄、学院の教師や友人達。
皆、俺が寝ているとは思わず、何か黙って考え込んでいるように見えているようだった。
ところが最近、アレックス殿下についに見破られてしまった。
将来の主の観察力が優れているのは喜ばしいことだが、仮眠を取りにくくなるのは少し残念だ。
そんなことを思っていたせいだろうか。
天使の声が聞こえなくなった代わりに、今度はアレックス殿下の声がした。
「仕方がないな……リヒター、起きてくれ」
「アレックス様……? 何事でしょうか……」
「起こしてすまないね。僕ではなく、僕の従妹が君に話があるんだよ」
従妹? アレックス殿下の?
ゆっくりと視線を下げる。すると、そこにいたのは――
「…………妖精姫!?」
驚きの余り、思わず大きな声を上げてしまった。
しまった! と思ったがもう遅かった。
周りで剣を振っていた騎士達の視線が一気にこちらを向く。
妖精姫ことシルヴィア・コンフォール公爵令嬢は、こんなところで注目を浴びてしまったことが恥ずかしかったのだろう。
真っ赤な顔で恥ずかしそうに下を向いた。
「リヒターは凄いね。僕の可愛い従兄妹の頬をこんな風に染めることができるなんて」
「…………っ! 申し訳ありません!」
アレックス殿下が咎めるような目で言った。
こんなところで妖精姫を恥ずかしがらせた俺のことをやんわりと責めているのだろう。
殿下が妖精姫と呼ばれる従妹の公爵令嬢を溺愛しているという噂は本当だったようだ。
「謝罪は特に必要ない。それより、シルヴィアの話をちゃんと聞いてあげて」
そう言われ、改めて妖精姫の話を聞くことになったのだが。
「リヒター様! 起きて下さい!」
「…………ハッ、失礼した……」
「リヒター様、もしかして眠いのですか? 立ったまま目を開けて寝るほどのひどい眠気だなんて。睡眠不足なのですか?」
「…………面目ない」
情けないことに、天使のような可憐な声を聴いているうちに、俺はまたしても眠ってしまったのだ。
だが。度重なる失態を責めることなく、妖精姫は俺を気遣うような言葉をかけてくれた。
妖精姫の慈悲深さに感動していたその時、アレックス殿下が信じられないことを言い出した。
「ねえ、リヒター、僕たちのグループのメンバーになれば、しばらくは放課後に騎士団と鍛錬しなくて良くなるよ?」
「鍛錬しなくて済む……」
横で妖精姫が何か囁いていたようだったが、「鍛錬しなくて済む」という言葉が衝撃的過ぎて、全く頭に入って来なかった。
「妖精姫、じゃなくてコンフォール公爵令嬢、ぜひ、俺をそのグループに入れてくれ!」
気付いたら、縋るようにそう叫んでいた。
「リヒター様、ありがとうございます! 今後、私のことは、シルヴィアとお呼び下さいませ」
妖精姫はそう言うと、真剣な表情で俺の目をじっと見つめてきた。
改めてその顔を間近で見て――あまりの可愛らしさに、顔に熱が集まってくるのがわかった。
鏡を見なくてもわかる。
俺は今、きっと真っ赤になっているに違いない。
だが、さっと目を逸らした先にいるアレックス殿下の顔を見て、俺は冷水を浴びせられたかのように心臓がキュッとなった。
再び咎めるような視線を向ける殿下は、年下とは思えない程迫力があった。
※※※
「リヒター様は無口ですね」
放課後、いつものようにコンフォール公爵家のレッスン室でダンスの練習をしていた時、ふいに妖精姫からそう声を掛けられた。
「しかも無表情だし。……ふふっ、でもね、私、リヒター様が何を考えているか最近わかるようになってきましたよ!」
得意そうにそう言う妖精姫は、うっかり「妖精姫」と呼ぶととても怒る。
そういえば。
無口だと言われるようになったのはいつからだろう。
子供の頃はわりとよく喋っていたような気がする。
だが、思ったことを正直に口に出すと母親から鉄拳が飛んでくるので、用心しているうちにこんな風になってしまったのだ。
うちの母親は、父と結婚してノール子爵夫人になる前は、有能な女騎士として王妃様の護衛をしていた。
すらっと背が高く、金髪碧眼の美しい母は、「百合の騎士様」と呼ばれ、女性達から絶大な人気を誇っていたそうだ。
そんな「百合の騎士様」の正体は、実はとんでもない脳筋メスゴリラだった。
母は口より先に手が出るタイプの人間だったのだ。
そんな母は、武器を剣から扇子に変え、社交界という戦場を優雅に駆け巡っている。
「口は禍の元。貴族社会では、迂闊な一言がその身を滅ぼすのだと肝に命じなさい!」
そう言って、ビシバシとやられているうちに、兄は言葉巧みに人を操る「口達者な策略家」となり、俺は無口な人間に育った。
「同じように育てても、仕上がりが全く違うのは不思議なものだな」と、父はよく笑いながら言っている。
そんな親も認める「無口で無表情な俺」の考えてることがわかるとは。
興味を引かれたので、妖精姫に聞いてみることにした。
「俺が考えていることがわかるんですか?」
「ええ。わかりますとも! リヒター様は今、ちょっとだけ楽しいなと思ってますよね?」
そう言われて、改めて自分の気持ちを考えてみる。
たしかに、そうなのかもしれない。
こんな風に皆で練習したり話したりするのは、意外と楽しいものだった。
「正解です」
そう言うと妖精姫は、ぱっと目を輝かせ、得意げに微笑んだ。
「ははっ、リヒターの後ろには、大きく振られた尻尾が見えるようだからね。喋らなくてもわかるよね」
「あっ、こら! アレックス様! それ以上言っちゃ駄目ですよ!」
尻尾? 尻尾とは一体、何のことだろう。
まあ、それはさておき。
将来の主と、主の伴侶となってくれればいいなと思う可愛らしい妖精姫。
この二人が仲良さそうにじゃれ合う姿を、心穏やかに眺めるこの時間が、できるだけ長く続きますようにと心から願う。




