10 君だけがいればいい
★アレックス視点です
「と、いうわけで、男性アイドルグループのリーダーになってください!」
「また、急にとんでもないことを言い出したね、僕の従妹殿は」
王宮の中庭のガゼボで、シルヴィアが両手を握りしめ勢いよく叫んだ。
今日もシルヴィアは元気で何よりだ。
僕とシルヴィアは、よくこうして二人だけでお茶会をしている。
お互い婚約者がいない身の上で、小さい頃からの付き合いの従兄妹同士。
今更、この距離感を咎める者は誰もいない。
まあ、いたところで、そんな奴は消し去ればいいだけのことだが。
シルヴィアは、一つ年下の従妹だ。
国王である父の姉、王姉である伯母が降嫁した、コンフォール公爵家の一人娘。
陽の光を紡いだように煌めく長く美しい金髪。
蒼玉のように輝く透き通るような青い瞳。
白磁のように滑らかな肌に、瑞々しい果実のように赤く色づいた唇。
華奢な身体は、乱暴に触れれば壊れてしまいそうに儚げに見える。
父が、デビュタントの夜会でその可憐な容姿を妖精のようだと褒め称えると、貴族達の間に『妖精姫』の名が瞬く間に広がった。
そう言われた本人はその呼び名をとても嫌がっている。
シルヴィア曰く『黒歴史』なのだそうだ。
『妖精姫』と呼ばれる度に、『まったくもう、叔父様のせいだわ!』と頬を膨らませている。
そんな時のシルヴィアは、まるでリスのように愛らしい。
まあ、シルヴィアは、いつどこで何をしていても愛らしいのだが。
そんなシルヴィアが、15歳の誕生日の次の日の夜から、突然の高熱に三日三晩苦しんだ。
そう、黒雲病にかかったのだ。
医者の処方した薬が効かず、神殿から三人もの司祭たちが派遣されたが、シルヴィアの容体は一向に良くならなかった。
すぐにでもシルヴィアの元に駆けつけようとした僕は、父に命じられた近衛騎士達によって、無理矢理、貴族牢に入れられてしまった。
得体の知れない病である黒雲病の患者に近づくことは、王族には到底許されることではなかったからだ。
――幸いにも、シルヴィアはその後すぐに回復した。
シルヴィアの具合が良くなったと聞いて、僕は心から安堵した。
生まれて初めて神に感謝したくらいだ。
司祭の歌唱でも回復しなかったのに、何故、自然に治ったのか。
奇妙な治癒の経過に、周りの者は首を傾げるばかりだったのだが。
結局、「司祭の歌唱が、ゆっくり時間をかけて効いたのだろう」と言うことで落ち着いた。
シルヴィアが回復し始めても、すぐに僕が貴族牢から出ることは許されなかった。
そこから出せば、すぐにでもシルヴィアの元に駆けつけるとわかっていたからだろう。
病が絶対に周りの者にうつらないと確認できるまで、僕がシルヴィアに会うことは叶わなかった。
貴族牢は、『牢』という名が付けられてはいるが、地下にあることと、入口が鉄格子になっていること以外はごく普通の部屋だ。
その中でも、僕が入れられたのは、王族が使ってもおかしくないような設えの部屋だった。
内装や調度品も、かなり上質な物が揃えられていた。
僕はそこにいる間、シルヴィアに会いに行けない絶望感で、我を忘れていた。
シルヴィアの誕生日祝いのパーティーで一緒に踊ったあの時が、シルヴィアとの最後の時間となるかもしれない。
そう思うと、気が狂いそうだった。
いや、違う。僕は気が狂った。
昼夜を問わず暴れ続けたせいで、そこはもう、二度と使えないくらいに酷い有様になってしまった。
貴族牢から出ることを許された日。
報告を受けて地下に降りてきた父や兄達は、部屋の様子を見るなり絶句し、ひどく青褪めた顔で僕を見つめてきた。
まるで、怪物か何かを見るような目だった。
目の前で、一生懸命に自分の考えた『黒雲病の治療法』を説明するシルヴィアに、思わず口の端が上がってしまう。
「いいですか。黒雲病を治すには、『元気が出るような明るい曲調でノリの良いリズムの歌を、複数の人間が歌うのを聞くこと』が効果的なのです! 他人から聞かされるのでなく、自らが歌うことによっても、ある程度の効果が出ますが。やはり一番効率的なのは、多くの人を一ヶ所に集めて歌を聴かせることなのです。今後、それを、ライブと呼ぶこととします」
ライブなどと聞いたことの無い言葉を持ち出しつつ、シルヴィアは理路整然と話を続けた。
国中の人々に歌声を聴かせるために、王都から離れた場所にも出かけていってライブをする。
それは長期の遠征のようなものになるため、女性では体力がもたないだろうから、男性のグループを作ることにした。
司祭以外の者が黒雲病を治せることは神殿の威信にかかわる不都合なことだと捉えられて、神殿からどんな妨害をされるかわからない。
万が一、そうなった時のために、神殿に対抗できる王族の僕にリーダーをやって欲しい――
それはまるで夢物語のように突飛な話ではあったが、シルヴィアの考えた『黒雲病対策』は、かなり細部まで練られていた。
シルヴィアは元々、とても有能な人間だ。
そして、その儚げな外見からは想像もつかないほどの苛烈な性格をしている。
何事も、やると一度決めたら決して諦めることの無い彼女に、周りはいつもため息を付きながらも従うしかなかった。
「まあ、シルヴィアのお願いだから、聞いてあげても良いけど……他のメンバーって誰なの?」
ふと気になって聞いてみると、待ってましたとばかりにシルヴィアが一枚の紙を差し出して来た。
それは、シルヴィアが考えたメンバー候補のリストなのだと言う。
そこに書かれていた名前と、名前の後に書かれた文章を見て、僕は耐え切れずに紅茶を吹き出してしまった。
その後、テーブルに突っ伏して、呼吸困難になるほど笑ってしまった。
「何がおかしいのですか!」
シルヴィアは頬を膨らませて怒っていたが、その後で聞いたメンバーそれぞれの設定やイメージカラーとやらに追い打ちをかけられ、一向に笑いを止めることができない。
「ブハッ…………やめてシルヴィア、僕を笑い死にさせる気かい?」
「もう! いい加減に笑うのをお止め下さい! 私たちはこれから、このリストの方々にメンバーになって頂けるように交渉しに行くのですよ!」
「本気かい?」
「はい! もちろんです! 一緒に来て下さいますよね?」
「いいけど、僕に何か見返りはあるのかい?」
ふと、悪戯心が起きて、そう言ってみた。
「……王国の人々が幸せになれば、王子であるアレックス様は嬉しいでしょう?」
上目遣いでそう言うシルヴィアは、本当に眩暈がしそうなほど愛らしい。
王国の民の幸せ? そんなものが僕の喜びになるって? 僕が王子だから?
ああ、僕のシルヴィアは、何て不思議なことを言うんだろう。
僕にとって大事なのはシルヴィアだけ。
シルヴィアが笑顔で僕に微笑みかけてくれることが、僕にとっての最上の喜びだ。
王国の民のことなど、どうなろうと知ったこっちゃない。
けれど、僕がそんな王子らしからぬことを考えていることは、シルヴィアには内緒だ。
バレたらシルヴィアに軽蔑されてしまう。
シルヴィアは、王姉である伯母から、王族に準する者としての厳しい教育を受けてきた。
そんな彼女にとって、王国の民の為に自分が犠牲になることは当然のことなのだ。
王家には王女がいない。
なので、我が国が『婚姻』という切り札を使わねばならなくなった時には、王家に準ずる身分の者としてシルヴィアがが嫁ぐこととなる。
だからこそ、伯母がそうだったように、シルヴィアも18歳までは婚約者を決めずにいる。
このまま黒雲病が続けば確実に国力が衰える。
そうなれば、他国と婚姻による同盟を結ぶ必要が出てくるかもしれない。
そんなことは、絶対にあってはならない。
どうして国や民のために、シルヴィアが犠牲にならなければいけないのか。
シルヴィア一人が犠牲になるくらいなら、国なんて滅べばいいし、民なんて一人残らず死ねばいい。
――僕がそんな風に考えていることは、絶対に秘密なのだけれど。
「そうだな、シルヴィアが毎日、僕の頬にキスしてくれるならいいよ」
ついついからかいたくなって、そんなことを言ってみた。
するとシルヴィアは、真っ赤になってふるふると震えだした。
可愛い。
ああもう、僕の従妹殿はなんて愛らしいんだろう。
「……わかりました」
「じゃあ、決まり。頑張って背伸びして頬にキスしてね、僕の可愛い従妹殿」
そう言うと、少し悔しそうにした後で、シルヴィアがこくりと頷いた。
ああ、愛しいシルヴィア。
僕は君がいれば他に何もいらない。
もしも君がいなくなったら、僕は多分、この世界を滅ぼしてしまう。
だってそうだろう?
君のいない世界なんて、存在する意味が無いのだから。




