本当にあった怖い話『団地の噂話』
これは私が東京の会社に就職が決まり、東北から都内の古い団地へ越して来た時の話です。
その団地はいわゆるマンモス団地で、46棟も団地が立ち並んでいました。
4階建てで、全24室があり、部屋の間取りは3LDK。
築46年ですが、リノベーションされており、内装はとても綺麗。
ただ、駅からは遠い。
マイカー通勤前提の団地群で、一応駅へ向かうバスがあるものの、今、多くの部屋が空き部屋状態。バスの本数も減り、そのことでさらに団地を去る者が増えていました。
でもそのせいで、家賃は破格。なんと5万円! しかも敷金礼金なしで、一ヵ月のフリーレント付き。
駐車場も月千円!
就職した会社の初任給は18万円。家賃5万+駐車場代千円で済むならバスの本数が少なかろうが関係なし。
ただ……。
よくあるのが古い団地にまつわる幽霊話の噂。
誰も住んでいないはずの部屋から物音がしたとか、人影が見えたという噂です。
とはいえ、実家だって既に築六十年。祖父から受け継いだ日本家屋です。そちらの方がよほどホラーになります。裏庭には使っていない井戸もありましたからね。ですが結局一度も幽霊にもあったことはないのです。
団地にまつわる幽霊話。気にしていたらきりがありません。
即決し、引っ越しをしました。
◇
古い団地、住んでいるのはお年寄りばかり。ならば引っ越し蕎麦を配るのは必須だろうと思い、用意したのですが……。
私の部屋は3階で、角部屋の301号室。
ワンフロアに6室が並んでいます。
不動産屋に聞いたところ、私の部屋の上下階に住人はいません。ただ、左斜め上の404号室に一人。同じフロアは奥の304号室に一人住んでいるとのこと。
蕎麦を届けにそれぞれの部屋を訪ねたのですが……。
日曜日の朝の九時。
老人は早起きと聞いています。この時間なら起きているだろう、在宅だろうと、当たりをつけ、訪ねることにしました。生蕎麦は常温で180日が賞味期限というものを二パック。ちゃんと箱に梱包された高級蕎麦です。
ですが残念ながら、404号室も304号室も不在なのか、「ピンポーン」と鳴っているのですが、誰も出ません。
ならば十二時にもう一度訪ねよう。
そしてお昼時にお邪魔して申し訳ないと思いつつ、まずは404号室を訪問。
廊下には台所の窓があります。面格子がはめられたその窓を見ると、明かりはついておらず、これはまた空振りか。そう思いながらも「ピンポーン」と鳴らしました。
鉄製のドアを見て、視線を再び台所の窓に向けた時。
暗い窓に何か白いものが見えます。
次の瞬間。
窓にバンという勢いで手の平が見えました。
親指の配置からして、右手?
そう思った瞬間。
今度は左手でバン!
その後は両手で交互にバン、バン、バンという感じで、窓を部屋の中から叩いているのです。
――古い団地にまつわる幽霊話の噂。
背筋がゾッと凍り付き、鳥肌が立ちました。
その間も手はバン、バン、バンと窓を叩き続けています。
「うわあああああ」
自分の悲鳴のおかげで、金縛りにでもあったかのように動かなかった体が、ようやく動きました。一目散で廊下を走り出した時。
カチッという鍵を回す音。キイイイイイという金属の軋む音が聞こえました。
こういう時、後ろを振り返らない方がいいと思うのですが、つい見てしまいます。
すると鉄製のドアから、顔の半分を覗かせる老人の姿が見え、悲鳴が喉まで出かかりました。
ですが自分が「ピンポーン」と鳴らしていたことを思い出し、なんとか立ち止まります。そして恐る恐るでもう一度振り返ると「なんでしょうか」としゃがれた声が聞こえました。
◇
404号室から現れたのは人間です。
八十代ぐらいの男性。
私はあの窓を叩く手のせいで、幽霊が出た――と思ってしまったのですが、そうではありませんでした。
404号室の住人、杜若さんが台所の窓を叩いていたのには、理由があります。
昼ご飯の用意をしていると、「ピンポーン」が聞こえたのです。ドアを開けるのが面倒に感じ、台所の窓を開け、そこで応答しようと思ったのですが……。
年を取り、腰が曲がり、背が縮んだという杜若さんは、窓に手がぎりぎり届く状態。脚立を持ってくればいいのですが、背伸びして窓を開けようとしたところ、ギリギリの距離。その結果、バンバン手を叩くような状態になったのです。
勝手に幽霊でも出たと思ったのですが、そうではなかったのでした。
完全に団地の幽霊話の噂に踊らされています。
蕎麦はちゃんと渡すことができ、挨拶もできました。私はそのまま三階に向かいます。
304号室の「ピンポーン」を鳴らしますが……。
反応はありません。
台所は暗いままで、そこでまた手がバンと来たら、怖いだろうと思いましたが……。
何もありません。どうやら留守です。
あきらめて今度は夕食の時間に訪ねてみようと思いました。
こうして夕食の時間。
十八時に訪ねることにしました。
「ピンポーン」
台所の窓が暗いので、これは留守だろうと思いつつ、それでも「ピンボーン」を鳴らしていました。ですが出ません。
仕方ないです。
明日は入社式なので、朝、会社に行く前にもう一度、訪ねてみようと部屋に戻りました。
◇
チリン、チリン、チリン。
鈴の音が聞こえてきます。
チリン、チリン、チリン。
「うーん」
うなされている自分の声も聞こえています。
チリン、チリン、チリン。
もう、何なんだ!
真っ暗な部屋で目が覚めました。
チリン、チリン、チリン。
鈴の音はまだ聞こえています。
音が聞こえるのは……廊下です。
団地の共用部の廊下。
こんな時間に鈴を鳴らし、廊下で何をやっているのでしょうか!?
明日というか、もう今日かもしれませんが、入社式があるのです。
ちゃんと睡眠をとっておきたいのに。
もしや304号室の住人でしょうか?
ドアののぞき穴から確認しようとも考えましたが、体は重たく、動く気がしません。その間もずっとチリン、チリン、チリン鳴っています。
うるさい < 眠気
騒音より眠気が勝り、目を閉じます。
チリン、チリン、チリン。
ずっと鈴の音は聞こえるので、掛け布団を頭から被りました。
それでも。
チリン、チリン、チリン。
限界となり、無理矢理体を起こし、枕元の電気スタンドの明かりをつけます。
手を伸ばせば届く場所に、ハンガーラックがあります。そこからカーディガンをとり、羽織ると、玄関に向かいました。
その間、チリン、チリン、チリンは聞こえ続け、音が大きくなっているように感じます。
一体、こんな時間に、何を?
もしや徘徊? 304号室の住人には認知症なのでは……?
覗き穴から廊下を見ますが、何も見えない。
「!」
人間ではない何かの目が、覗き穴から私を見ている……!
◇
チュン、チュン、チュン。
雀の鳴き声とカーテンの隙間から差し込む陽射しで目が覚めました。
あの鈴の音は? そしてあの目は?
夢だったのでしょうか?
ちゃんと掛け布団にくるまり、私は目覚めたのです。
そこでハッとしてスマホを見ると、あと三十分で家を出る時間!
アラームをセットし忘れたのか!?
とにかく入社式に遅れるわけにはいきません。
大慌てで着替え、チョコレートバーを握り締め、部屋から飛び出します。
エレベーターがなく、階段なのが不便ですが、猛ダッシュで降りると……。
郵便受けで杜若さんに会いました。
どうやら新聞配達は玄関ドアまで来てくれないようで、朝刊をとるため、降りてきたとのこと。それは朝からご苦労様です、と挨拶を済ませ、走り出そうとした時。
チリン、チリン、チリン。
あの鈴の音が聞こえた気がしました。
ゾクリと全身が粟立ち、思わず杜若さんに「昨晩、鈴の音が聞こえませんでしたか?」と尋ねました。すると……。
「ああ、304号室の灰岸さんが、猫を飼っているんだよ。元々野良猫だったから、猫が外に行きたがると、ドアを開けて外に出してやるんだ。首に鈴をつけているから、廊下を小走りしたり、階段を降りる時によくチリン、チリン聞こえるんだよ」
これには「なるほど!」と合点し、ではのぞき穴から見えた目は、猫の目だったのか?と驚くことになります。のぞき穴はとても猫が届く場所にはありません。誰かが猫を抱え、のぞき穴に顔を近づかせた……?
そこの疑問は残りますが、タイムアップです。
入社式に遅刻するわけにはいかないので、杜若さんにその旨を伝えると、駐車場に向かいました。
◇
入社式の後、懇親会があり、昼間から飲んで、解散でした。
定時より早い時間で帰れることになり、同期と二次会。
二次会の後が、まさに定時の時間で、カラオケに行き、ようやく20時。
団地の最寄り駅まで自家用車で行きましたが、帰りはバスです。
22時前に団地に到着すると、なんとパトカーや消防車が集結しています。
何があったのか。
杜若さんがいたので話を聞くと――。
304号室の灰岸さん。
年齢は八十九歳。
奥さんに先立たれ、この団地で一人暮らしをして、黒猫を飼っていました。
私が引っ越し蕎麦を届けたその日の恐らく日中。
灰岸さんは脳溢血で、部屋の中で静かに息を引き取っていたのです。
香川で暮らす息子夫婦は高齢の灰岸さんを気遣い、毎朝電話連絡をとっていました。ですが今朝、灰岸さんと連絡がとれません。
ただ、灰岸さん。
八十九歳にて酒好き。
寝坊することはよくあったそうです。
念のため、午前中いっぱい連絡を取り続け、それでも電話に出ない。
そこで息子のお嫁さんが東京へ向かい、管理会社と連絡をとり、団地へ向かったところ――。遺体を発見することになったのです。
「部屋には灰岸さんが飼っていた猫がいたんだよ。猫はずっと部屋から出られず、灰岸さんの遺体に寄り添っていた」
「待ってください。わたしは昨晩、多分深夜に、共用部の廊下で鈴の音が聞こえたんです。チリン、チリン、チリンって……」
「そうだったのかい! それは……もしかすると灰岸さんが飼っていた猫が、じいさんが死んだことを誰かに伝えたかったんじゃないのか」
でも猫は部屋の中にずっといたのです。
そして部屋の中でどれだけ大騒ぎしても、鈴の音が廊下まで漏れることは……ありません。
あの日の晩、わたしが聞いた鈴の音。
あれは灰岸さんが飼っていた猫がつけていた鈴の音だったのでしょうか。
今となっては確認することはできませんが――。
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