N−8.0
昔からありとあらゆる自己表現が苦手だった。
自分を晒して何になるのか。
他人と異なる感性は認められたら才能、拒まれたら異端。
自分の世界なのに、結局その美しさはいつでも他人の尺度だ。
だから、ひとりが良かった。
好きだと思ったものはいつだって歪だ。
鮮やかな色より、暖かみのない無彩色の方がぬくもりを感じられる。
差し色、とは誰が言ったか。
それは集団に馴染めない自分のようだから、不要なものだ。
そうして始めた一人暮らしにはまるで色がなかった。
白い壁と床、グレーのカーテン、家具は白と黒の二色で揃えた。
多忙な職場と家の往復。
そんな中でも暖かい家は心が休まった。
しかし、問題が起きた。
少しずつ、家の中に色が入ってきたのだ。
最初は家で勉強用にと購入した書籍だった。
カバーを外せばシンプルな表紙だが、白地に水色で印字されたタイトルが目に付く。
それは白いブックカバーをかけて事なきを得た。
だが、色の侵食は止まらない。
退職するからと、職場の先輩から丁寧にラッピングされたお菓子を渡された。
黄色い箱。
箱で渡されては棚の中にも入れられない。
箱から出しても色の喧騒はやまず、結局その日のうちに9個のマドレーヌを食べた。
次第に、棚の中でさえも「色が存在する」という事実に眩暈を覚えるようになった。
そうなると、食品も買えない。
いくらパッケージを捨てても、ゴミ箱の中にあることすら許せなかった。
職場と家の往復。
もはや戦場は家だ。
帰宅する度に、色を探す。
ふとボールペンが目に留まる。
3色ボールペンだ。
赤と青はいらない。
ホルダーから取り出し、袋に入れる。
もうゴミ箱は機能していない。
家に置いておけないのだから、そのまま出たゴミを家の外に出せばいいのだ。
ゴミ捨て場から戻り、風呂に入る。
湯船に浸かり、一息つく。
風呂は白のタイル。
お湯、風呂のお湯はこんな薄く緑がかっていただろうか。
もうこれは湯船にも浸かれない。
浴槽の栓を抜き。立ち上がる。
ふと鏡に自分が映った。
黒髪、肌色。
肌色だ。
そうか。
要らないのは自分だ。
自分がいなくなれば、もう色を探して回る必要もない。
最初からやはり馴染めていないのは自分だったのだ。
鈍色がきらりと光る。
赤だ。
結局どこまでも自分は馴染めない。