3.改変執事は推しの変わりに火傷を負う。
「リディアお嬢様、おまたせ致しました···」
「遅いわ。いつまで待たせるつもり?」
「も、申し訳ありません···」
「もう出かける時間になるわ。早くして頂戴」
「は、はい!」
(···っ、この女っ···!リネット様と違って本当にムカつくわね!!そもそも私はリネット様付きのメイドだったのよ!こんな女がいるせいで···リネット様は上にいけない!)
「エマ、いってしまうの?」
「申し訳ありません、リネットお嬢様。またリディア様が癇癪を起こしたようで、もうメイドがいないとのことで···」
「いいえ、謝ることなんてないわ。ただ、残念で···」
「私···私、行きたくありません···!リディア様のところにいったら、きっと···」
「そんなこと言わないで。リディアお姉様は優しい人だわ」
「優しいなんて!その言葉はリネット様のような方に使われる言葉です!」
「···っ」
「?リネット様···?」
「···そんなことを言ってくれる、優しいメイドを持てて私は幸せよ、エマ。ねぇ、どうしたらリディアお姉様はみんなに優しくできるようになるかしら。私はただ、リディアお姉様と皆が仲良くしてほしいだけなの」
理由は分からないが、そう言って悲しげな顔をするリネットに私は思わず涙が出た。あの女に優しくしてもらったことなど1度もないはずなのに、いつもリネット様はあの女を庇う。いっそのこと、リネット様ではなくリディアが私生児だったら良かったのに。皆いつもそう言っているのに。
ーーードウシテ、アノオンナガ。
どうせ何かをやらかさなくったって、この女の気分1つでクビになるのだ。だったら私はクビになる前に『リネット様の為に、あの女に熱湯をかけてやらなくては』いけない。
(そうよ、優しいリネット様のためにやらないと。この女には、醜い火傷の跡がお似合いだわ)
「お待たせしました」
「やっとできたの?」
「···っ!!!」
紅茶を運んでいる最中に、そんなことを言われたせいか手が震えた。
ワゴンの上においてあるポットの中には、熱湯が入っている。やるなら、今しかない。
一体、どこにかけてやろうか。
鋭く尖った紅い爪がついた腕?それともケバケバしいほどに開いたその背中?
そうだ。もっと良いところがあるじゃないか。
顔だ。この女の顔に火傷を追わせれば、二度と結婚なんてできなくなるだろう。顔が醜ければきっと社交界からは爪弾きにされ、リネット様が幸せになるのだ。
(アンタの顔なんか、見れたものじゃなくしてやるわ!!)
震える手を押し込めながら、目の前の女に気が付かれないようにそっとポットを手に取った。
そうだ。全てはリネット様のために。
俺は、今現在廊下を猛スピードで走っていた。
(廊下は走っちゃいけませんって、昔めっちゃ先生に言われたな!でも今はそれどころじゃない!!)
なんとか馬車の手配を終え(無駄になるとは分かっていたがクビになるのは避けなくてはいけない為)あとはリディアお嬢様が乗り込めばオッケー!みたいなところまで持っていったが、おもったりよりも時間が掛かってしまっていた。
あの小説に細かい時間の描写は無かったため、あのメイドがどのくらいの時間で紅茶を持っていったかは分からないがエマは残念メイドだったはずだ、きっと時間がかかるに違いない!
だからといって悠長にしていれば推しに、リディア様の美しいあの白い腕に生涯消えることの無い酷い火傷の跡がついてしまう。どうしてもそれだけは耐えられなかった。
おそらくリディア様にかかった熱湯は大した事はなく、小説では『醜い火傷の跡』と表記されてはいたが、明確にどの程度の火傷なのかは記されていなかった。だが、この後にオークションにそのまま行ってしまえるほどなのだから、実際は大した火傷ではなかったのだと思う。
(···そうだ、俺がまず感じた違和感はここだったのか)
ーーー彼女はこの日腕に、『生涯消えないほどの火傷』を負った。実際は大したことが無かったとしても、後が残るほどの火傷を負った直後になぜ彼女はオークションに行ったのだろうか?
彼女はヘーデルバイツ家の正当な後継者だ。そんな火傷を負ってオークションに行くだなんて普通は許されるはずがない。というか、そもそもまずは治療が優先されるべきだろう。
(頭が回らなくなってきたぞ)
酸欠なのかだんだんと息が苦しくなってきた。そうだ、このプロローグはそもそもなんかおかしいんだ。ということは、彼女がオークションに行った日は別日だったのか?でも、オークションはこの日に開かれると決まっていたはずだ。
それに、考えてみるとリディア様が熱湯をかけられた後、治療されている描写は一切出てきていなかった。
(···まさか、リディア様は腕を治療せずにオークションに行ったのか?だから火傷の跡が残ってしまった?)
ーーだとしたらどうして彼女は、腕を治療することもせずにオークションに行ったのだろう。
走って走って、リディア様の部屋の扉がようやく見えてきた。畜生、こんなことなら運動しておくべきだった!さっきから脇腹が痛んで仕方がない、この体俺そっくりだな!と毒づきつつ、とにかく足を前に前にと繰り出した。ようやく辿り着いた扉をノックをする間もなく、扉を壊さんばかりの勢いで開ける。
(マズイ、)
このシーンは、確実にリディア様が火傷をした場面だ。丁度エマが転ぼうとしてポットを手にしようとした、まさにその瞬間に部屋に飛び込んだようだった。
「リディア様っ!!!」
私は熱湯の入ったポッドを、転んだふりをしてリディアに全てぶちまけた。···筈、だった。
「!?」
まるであの女を庇うかのように、扉を開けて出てきた執事がリディアを守ったのだ。ポッドのお湯は、男の背中に全てかかってしまった。
ポタポタと熱湯が背中を伝い、カラン、と中身の無くなったポッドが床に転がる。
狙った人物ではなく、まったくの他人が火傷を負った光景に腰が抜けたのか、ペタンとエマは床に座り込んだ。
「あ···ぁ···」
(やっばい、思い切りやらかした)
思わず咄嗟に飛び出して彼女を庇ったのはいいものの、自分が全て被ってしまうなんて。熱い。まるで背中が焼けているみたいだ。
幸いだったのは、長袖だったことと服が分厚い生地だったことぐらいか。だがリディア様は、そのままの直の肌に熱湯をくらったのだ。自分なんてまだマシな方に違いない。
目の前に迫った紅い瞳が、驚いたように揺れる。そんな顔も美しいなと現実逃避しながら、熱い、痛いとみっともなく叫びだしたくなるのを堪えて俺は絞り出すように声を出した。
「お、怪、我は、ありませんか?リディア、お嬢、様···?」
格好つけてはいるものの、背中は痛いし熱いし、なんだったら床を転がって叫び出したい。だが、男としてのプライドなのかアドレナリンなのか分からないが、なぜか辛うじて俺は悲鳴を上げることをせず、ひたすらに耐えていた。
(リディア様の眼の前で、カッコ悪い姿を晒すわけにはいかん···!)
そんな意味不明な思考で耐えていたものの、ふと気がついた。
花のような甘い香りがすぐ側にあって、美しい女神のような人が自分の腕の中にいた。正直言うとなんか今、火傷よりも信じられないことが起こっている気がする。
ーーーだって、推しが、彼女が、生きて自分の腕の中にいる。
(···今死んでもいいぐらい幸せかも)
となんとか精神を保ってはいたのだが、背中は熱いし痛いし目の前がくらくらする。そりゃそうである。ただのやせ我慢なので限界はすぐにきた。
「···ジャッ、ク?」
あぁ、彼女が俺を呼んでいる。
「ジャック!!」
だが、もう目を開けていられない。リディア様の顔を合法的に、しかもこんなに近くで見ることなんて金輪際ないだろうに。あぁ、勿体ないことした。というか俺、このまま死ぬのかな。
酷く慌てたような、彼女の美しい声が何度となく俺の名前を呼ぶ。返事をしなさい、と言われている気がするが、意識が段々と遠のいて行く。でもなんだかそれだけで、全てが報われた気がした。