森の精霊2
「わぅーん……」
耳を垂らすルークをぎゅっと抱きしめる。
今の話を理解しているのだろうか、本当に賢い子だ。
しかし、今の話を聞いて同情されることを彼は望まないだろう。
聞かなかったふりをして、これまで通り接するのが良い。
……っていうか、もう会えない可能性もあるわよね。
なんていったって、片や偉〜い辺境伯爵様、片や街で働く一介の薬師。
この前のように毎日のように会っていた時の方が異常なのだ。
うん。領民に寄り添える努力家な領主様に負けないように頑張ろう、そう思うことにしよう。
もう会えないかもしれないなと考えるとちょっぴり寂しい気もするが、そんな気持ちも忙しい毎日を過ごすうちに薄れていくだろう。
私は私の仕事を全うするだけだ。
もしも次の機会があれば、胸を張って辺境伯に会えるように。
「さて、花壇の準備はできたかの?」
しんみりした空気の中、かけられた声の主はヨーゼフ先生だ。
診察が一段落して、様子を見に来てくれたらしい。
「はい、とりあえずはこんなこんな感じで良いかと。午前中に森でいくつか取ってきた薬草の株を、今から植えようと思います」
朝からルークと一緒に一度診療所に寄り、そのまま森へ。
そこで今まで薬を作ってきた中で使い勝手が良いと感じた物を中心に、十数種類の薬草を取ってきた。
ルークが生えているところを教えてくれたので、思っていたよりも早く街に戻ってくることができた。
本当にルークは優秀な薬草犬だと今日も思ったんだけど……これって普通じゃない気もする。
やっぱりルークは……。
「ほうほう!これはまた色んな種類を取ってきたのう。しかし、土ごとじゃから、重かったのではないか?」
「そうなんですよ。だから、種類はあるけど数はあまり多くなくて……」
なにしろ女ひとりで運ぶのだ。
持てる量はそう多くない。
「くぅん……」
またまた会話を理解しているのかルークがしょんぼりと耳を垂らす。
まるで僕が持てたら良かったのに……ごめんね、と言っているかのようだ。
その愛らしい表情に、思わずぎゅっとルークを抱きしめる。
あぁ、うちの子最高!
「そうじゃそうじゃ、ルークは悪くないぞぃ。ラムザが気を利かせてもっと早く来てマリアンナちゃんと一緒に採取に行けば良かったんじゃ」
「なんでそうなるんだよ⁉俺だってこれでも夜勤を終えた後、少しの仮眠しかとらずにこっちに来たんだけど!」
無茶苦茶なことを言うヨーゼフ先生に、さすがにラムザさんも反論する。
え、夜勤だったの?
その後仮眠って……二、三時間くらいしか寝ていないんじゃないだろうか。
「そんな、お疲れなのにすみません。そうだ、このポーション、良かったら。昨日作ったばかりなので、ちゃんと効果はあると思います」
念のためにとバックに入れていた自作のポーションを取り出す。
いくら騎士で短時間睡眠に慣れているとはいっても、疲れてはいるはず。
少しでも疲労感を軽減できたらという気持ちでラムザさんに差し出す。
「え、ありがとうございます!じゃあ遠慮なく……ん。すごいです、だいぶ楽になってきました」
一気にポーションを飲み干したラムザさんの顔色がちょっと良くなってきた。
少し眠そうだった目元もしっかりとしてきた気がする。
「なんだかんだでいつも手伝って頂いてすみません。でも、無理しなくて良いんですよ?」
「いや……ほら、うちのじーさんの仕事でもあるし、えーっと、孫としてもマリアンナさんに任せっきりは悪いなと思うんで」
なぜか辿々しく答えるラムザさんに、首を傾げる。
どうしたんだろう、なにか答えにくい理由でもあるのかしら。
深く聞くのも悪いかなと思い、じゃあポーションくらいならいつでも差し上げるので言って下さいねとだけ伝えた。
ヨーゼフ先生が含み笑いをしているのもよく分からないけれど、気にしないでおこう。
さて、では植え付けに戻ろう。
袋の中の薬草たちをそおっと取り出し、花壇に並べて植えていく。
結構広い花壇になったから、やっぱり数の少なさが目立つわね。
「まあ仕方がないですね、今度は僕も一緒に取りに行きますよ」
「ええっ?いや、悪いですよ。いきなり花壇一面に栽培できるとは思っていませんし、時々取りに行って、自然に増えていくのを待ちますから」
繁殖しやすいものなら一年もあればすぐ増えるだろう。
そうやって数年かけて育てていけば、立派な薬草園になるはず。
こういうのは長い目で見ていかないとと思っていると、ヨーゼフ先生がふむとなにやら考え込んでいた。
「緑魔法で増やす方法もあるがのぅ。しかしこれだけの面積の花壇を埋めようと思ったら、かなりの魔法レベルが必要じゃが……まあ多少は増えるのではないか?」
緑魔法。
そうか、その手があった。
緑魔法とは、まあ言うなれば植物に関する魔法だ。
ヨーゼフ先生が言ったように植物の成長や増殖を促したり、葉や蔓を使って攻撃したりできる。
記憶が戻ってから、魔法に頼るということを忘れがちなのよね。
電気と科学の世界で長年生きてきたからね……。
「わう!わう!」
すると、なにに反応したのか、ルークが突然吠えて私の服の裾を引っ張った。
そして花壇に植えたばかりの薬草の前で咥えていた服を放して、ここ!ここ!と鼻先で示した。
「なあに?やってみろってこと?」
そうだ!と言いたげな顔でルークが尻尾を振った。
緑魔法ねぇ……。
私そんなにレベルが高いわけじゃないんだけど。
まあ別にここを薬草の群生地にしたいわけじゃないし、上手く根付くように魔法で成育を促進させても良いかもしれない。
「じゃあやってみようかな。ルークも応援してくれる?」
「わぅっ!」
もちろん!と吠えるルーク、かわいいわぁ。
よし、ルークに応援してもらってやる気も出たし、ここはいっちょやってみますか!
気合を入れた私は、目を閉じて意識を手のひらに集中させる。
魔力の流れを感じるのだけれど……あら? なんだかいつもよりも熱い。
「薬草繁殖」
なにこれ。
なんだか、いつもと違う。
普段以上の熱に驚きつつ、目を開いて薬草の繁殖を唱えると、魔力が膨れ上がっていくのが分かった。
「え……?」
そして手のひらからまばゆい光が出たかと思うと、次の瞬間、目の前の花壇はほんの数秒前とは全く違う姿になっていた。
「す、すごい……マリアンナさんは緑魔法も得意だったんですね」
ラムザさんの声に、はっと我に返る。
目を擦ってみても、先程と景色は分からない。
ぽかんとしてしまうのも当然だ。だってそこには……。
「薬草園じゃ……」
花壇いっぱいにひしめき合い、成長し繁殖した薬草たちが広がっていたのだから。
「わうっ!わう!」
「ルーク?あなた……」
声を上げたルークを見下ろす。
しゃがんでその柔らかい額の毛を撫でると、その下にある硬いものが指に触れた。
「光ってる……」
そこにあったのは、出会った時に見つけた、翠の宝石のような石。
私の瞳の色に似たその石が、穏やかな光を帯びていたのだった――――。




