ブラック企業はこちらからお断り!1
私は芹沢 杏奈、二十八歳。
……改め、マリアンナ・アルストロメリア、二十歳。
そう、お気付きの方もおられるかと思うが、私はこの度異世界転生なるものをしたらしい。
まあ記憶が戻って数日なので、まだ混乱することも多いのだが。
前世でそんなラノベが流行っていることは知っていたが、まさか自分がそれを経験するなんて。
ちなみに知ってはいたし友だちから借りて読んでみたことはあるが、読了したことはない。
なぜかって、それは……。
「おい、マリアンナ!まだノルマ分作り終えてないぞ!さっさとしろよ、グズ!」
「すっ、すみませんねぇ〜」
ぴくぴくとこめかみを引きつらせながらも、無理矢理笑顔を作って上司に謝る。
ここはマグノリア王国、王宮薬剤室。
私ことマリアンナは、王宮専属薬師として雇われている、下っ端薬師だ。
「おまえの代わりなんていくらでもいるんだからな、しっかりやれよ」
「……はーい」
今の上司の発言からお分かりの通り、とてもブラックな職場である。
実は前世の私も薬剤師として国立の病院で働いていたのだけれど、これがもう、とんでもなく忙しかった。
目が回るような忙しさという表現が相応しい、定時ってなんですか?状態。
医師が大変、忙しい、残業なんて当たり前っていうのはよく知られていることだけれど、薬剤師はそんなことないでしょ?と思っている人は意外と多い。
けれど実際はそうじゃない。
まあドラッグストアや調剤薬局とは少し業務内容が違うし、同じ病院でも規模によって変わるかもしれないのだが、基本的にこの職種は激務だ。
病院勤務は医師や看護師と関わることも多いからね、深い知識も求められるし、新薬が作られたり服用方法の変更があったりもするから、勉強を怠るととんでもないことになる。
あとは仕事上の人間関係が広いってのも大変よね。
偏屈な医師もいるし、なにかと細かい看護師もいる。
その人その人で対応を変えなきゃいけなかったりするから、結構気を遣うのよ。
そうとくればもちろんこの問題が挙がります、“人手不足”。
でも患者さんが減るわけはないし、薬が必要なくなることもないわけで、残業という名の地獄が待っている。
そりゃ体も壊すってもんよ、ええそうですとも、見事に過労がたたってフラついたところに、信号無視の車がバーン!ってわけ。
でもね、薬剤師の仕事自体は好きだったの。
医師や看護師と処方の話し合いをする時はチームの一員って感じがしたし、その薬で患者さんが快復していく様子が見られるのは、とても嬉しかった。
それに、勉強は大変だったけれど、日々進歩する薬学を学ぶのはとても楽しかったわ。
日々勉強、進歩は終わらないって、ちょっとかっこいいと思わない?
「おい!ぼーっとしてないで、さっさと手を動かせ!何度も言わせるな!ったく、量を作ることくらいしか取り柄がないくせに、怠けるなよな」
「すみませーん。ふん、偉そうに……」
危ない危ない、前世のことを思い出してたら、つい手が止まってたわ。
まあとにかく異世界転生モノのラノベを最後まで読んだことがないのは、激務ゆえにそんな時間の余裕がなく、読み終える前に友達に返してしまっていたからだ。
本を読む暇があるなら薬学の勉強か寝るか、みたいな感じだったからね。
途中でつまらなくなってしまうと、どうしても読む時間が惜しくなっちゃったのよ。
それに仕事以外の趣味がなかったのもいけなかったのだろう。
この仕事人間、俺と仕事とどっちが大切なんだ!?ってフラれたことまで思い出しちゃったわ。
ったく、あんな器の小さい男なんてこっちから願い下げよ!とムカムカしながら鍋の中の薬草を混ぜる。
あとはこれに魔力を流せば完成だ。
鍋の上に手をかざし、目を閉じて集中する。
すると掌がぽっと温かくなって、そこから魔力が流れていく。
しばらくそのままじっとしていると、だんだん鍋の中の液体が色を変えていく。
「よし、できたわ」
この通り、現世のこの世界では魔法なるものが使える。
簡単に言えば、精霊や魔物、魔法が存在している西洋風ファンタジーの世界ね。
簡単な魔法なら誰でも使えるので、生活の中で魔法に頼ることも多い。
水を出したり、風でゴミを集めたりとかね。
そして、こうした仕事でも魔法は大活躍なのだ。
出来たてのポーションを濾して不純物を取り除き、透明の容器に入れて不備がないかをチェックする。
うん、怒りを込めながら作った割にはなかなかの出来だ。
チェックが終わったら、ひとつひとつ決まったボトルに決まった量を入れていけば今日のノルマは終わり。
「じゃあ私はこれで。お先に失礼しまーす」
上司は腹立たしいし、福利厚生もしっかりしていない、そして薄給で長時間勤務なんてこんな絵に描いたようなブラック企業ある?って思うけど、人として挨拶はちゃんとしなくちゃね。
「ったく、毎日毎日ああやって言って来るけど、煩わしくて仕方ねぇな」
「言えてる。別におまえが出勤してきたことも帰ることも、興味ねぇっつーの」
……あんなこと言われているけれど、これは一応礼儀だからね、明日からも続けさせてもらうわよ。
その翌日、解雇を言い渡されることになるなんて思いもしないまま、私は帰路についたのだった。