着信音が鳴る
「へえ、結婚するんだ、おめでとう」
悔しい。その思いを殺し、お祝いの言葉を口にする。笑顔は引きつっていないだろうか。
「ありがとう。ユリカは結婚しないの? 彼氏との付き合い、長いのに」
なに、その優越感に浸ったような、こっちを見下した顔。
馬鹿にして。学生時代は、この私の引き立て役で、ただの取り巻きだったくせに!
これも全て結婚してくれない、シンジが悪い。
シンジは顔良し、収入良し。インドア派で気が弱いけれど、言い換えれば操りやすい、そんな男だ。なのに唯一、結婚だけは操れない。
大学の頃から付き合っているのに、いつになったらプロポーズをしてくれるんだろう。このまま私は、ただ周りの結婚を祝うだけなの? 冗談じゃない! このまま人を祝うくらいだったら、シンジをキープしつつ……。
「ねえ、エミちゃん。近く、合コンの予定ない?」
「えー、急にどうしたんですう? 彼氏と別れちゃったんですかあ?」
会社の後輩エミちゃんは、良い男を捕まえようと必死だ。そのせいか、よく勝ち組と言われる男たちと合コンをしては、自慢してくる。
自慢がウザかったけれど、身近に利用できる人間がいて助かったわ。使えるものは、有効に使わないとね。
「へえ、あの商事に勤めているんだ。すごいね」
合コンで渡された男たちの名刺は、どれも一流企業ばかり。
シンジは確かに収入がいいけれど、なんか特許を持っている会社とかで、それで儲けているだけらしい。だから会社名を言っても知らない人が多く、ちっとも自慢にならない。だけどこの男たちは違う。誰もが知っている企業名。自慢ができる。
「今度、ドライブに行かない?」
「いいね。景色がいい所がいいな」
シンジとのデートは、ほとんど彼の家で映画を観るばかり。外出嫌いなシンジとは合コンで知り合ったけれど、それも騙され、無理やり参加したものだと言っていた。いわゆる人数合わせってヤツだ。
あの時は前髪長いし、ぱっと見はダサかった。だけど顔の良さに気がついて、交際を始めてから前髪を切らせ、ダサい髪型から脱出させ、イケメンだと皆に自慢できた。でもそれだけ。私の友人とは会ってくれなくて、いつも写真ばかり見せるから、レンタルとかで調達した男じゃないかと疑っていた奴もいる。
今日出会った人たちは、そういう悩みを抱くことはない。シンジとは別れず、知り合った一人とドライブの約束をする。
第一印象はいいし、デートが上手く続いたら、こっちに乗り換えよう。こういう良い男は、他にも狙っている女がいるから、早く結婚した方が勝ちだもの。
ドライブの日、久しぶりに男と外出するというので、気合いを入れてメイクをする。かといって、あまりに塗りたくったような化粧は、男受けしないと分かっている。ナチュナルでいて、美しく思わせることが大切。
アイライナーを引き、目が大きく見えるように工夫する。眉毛は自然に。前日に毛を整えているから、後は太さと……。そうそう、口紅やグロスも重要。ただ一色を塗るのではなく、刺し色で自分や洋服に似合う色へと変化させる。
ネイルはピンク系とブラウン系で悩んだけれど、肌へ自然に馴染むようなピンクを選び、こちらも昨晩のうちに終えている。
全身が見える鏡で、色んな角度から姿を確認する。髪は軽くウエーブをかけ、整えているし……。
よし、問題なし。
仕上げに香水といきたいけれど、今日はドライブなので止めておく。ふわりと香ると良くても、車内に香りつきの芳香剤があったら、それと混ざった時に最悪の組み合わせになる可能性がある。
持ち運びできるように、香水は携帯用に入れ替えている。もし問題なければ、トイレかどこかでスカートの裾に吹きかけよう。完璧。
待ち合わせ場所で落合い、さっそく出かける。
車はレンタカーじゃない。聞けば親の車らしいけれど、車を所有できるということは、親も金持ちなのかな。車を置く場所、維持費を考えると、そうに決まっている。ますます良いじゃん。
一日楽しみ、家の前まで送ってもらう。最後に軽くキスでお別れ。まあ初日だし、こんなものかな。後はありがとうメールを送って、良かったら電話という流れに持ちこんで……。電話は早急かな。とにかく次の約束を取りつけなくては。
上機嫌でカバンから鍵を取り出した所で、声をかけられた。
「……今の、どういうことかな?」
「シンジ……」
鍵を落としてしまった。
◇◇◇◇◇
普段は外出するなんて、ほとんどしないくせに。なんでこういう日に限って、うちに来るかな。
「ユリカ、SNSのアカウント、幾つか持っているよね」
部屋に通すと、シンジが切り出してきた。
「そんなの珍しい話じゃないじゃない。誰だってやっていることよ」
そう反論するが、シンジの目から逃げるように、台所でコップに水を注ぐとそれを飲む。
「うん、それを責めているんじゃないよ。ただ、そのアカウントの一つで、今日のあれこれ投稿していたよね」
彼のスマホに表示されたのは、シンジに教えていない、私のアカウント。それも一部の人にしか教えていない、アカウント。
確かに今日のドライブについて、ちょくちょく投稿していた。そういう大っぴらに自慢できないけれど、誰かに自慢したい専用のアカウント。だから顔は写らないように、気をつけていた。なんで? なんでシンジに、このアカウントがバレているの?
「ユリカに言われて、このSNSでアカウントを作ったよね。そこに連絡があったんだ。あなたの彼女さん、浮気していますよって。今日のデート、逐一投稿されていますよって。送り主の意図は分からなかったけれど、確認したんだ。だけどどの写真も確信が持てない。けれど過去の投稿を読んで、この写真を見つけた」
彼氏に誕生日プレゼントで買ってもらったと投稿した、ブランド名が見えるよう、箱に入ったままのネックレスの写真。
「日付、プレゼントの内容。確かに一致する。さらにネックレスと一緒に、写りこんだピースサインの手首。そのブレスレットにも見覚えがあった」
高いのを買ってもらったので、自慢したくて投稿したのか。あの時はこのアカウントだけじゃなく、シンジも知っている方にも投稿していた。一々アカウントごとの投稿内容なんて全部覚えていないし、被っている内容は他にもあるかもしれない。浮かれすぎた。
さすがに今日の内容は、シンジの知らないアカウントに投稿するしかなかった。デートが失敗した時、シンジに去られてはマズいからだ。
誰よ、シンジに告げ口した奴は! ドライブデートをすると教えたのは、数名だけ。しかも全員、こっちのアカウントを知っている。さらに今日の相手が良ければ、そっちに乗りかえるつもりだとも言った。送り主は、それについても言及していたそうだ。
「別れたいのなら、こういうやり方をせず、きちんと言ってくれれば良かったのに」
「はあ? シンジが悪いんじゃない! 私が結婚したいって何度も言っているのに、まだ早い、まだ早いって、そればっかり! 私は結婚をしたいの! だから結婚できる相手だったら乗り替えようと思って……っ。悪い?」
逆切れかもしれないが、これでやっとシンジも結婚を考えてくれるかもしれない。今日の男も良かったけれど、まだ全部を分かっていない相手より、長く付き合って知っている男の方がいいもの。
「ユリカが結婚を望んでいると知りながら、別れるのが嫌だから、甘えていた僕も悪かったね。……分かった、別れよう」
「は?」
別の男とドライブデートして、キスしたくらいで? それくらい追いつめられているなんてと反省して、少しも結婚を考えてくれない訳?
「ちょっと待ってよ。なによ、それ。私と結婚する気がないってこと? 何年付き合ってきたと思っているのよ。こっちはあんたに合わせて外出したいのを我慢して、家でつまらない映画に付き合わされてさあ? 挙げ句に浮気したって責めて、捨てるっていうの?」
「責めているつもりはないよ。僕は誰とも結婚をする気はない。いや、できない」
「どういう意味?」
「……座ろうか。少し話が長くなる」
向かい合って座ると、シンジが重たそうに口を開いた。
「父は亡くなっていると説明したよね」
「うん」
「今まで話したことはなかったけれど、亡くなった理由は、自殺。僕が高校生の時、自殺したんだ」
俯いたまま語るシンジに、なんと言えば良いのか分からない。
「父が死ぬ前、母方の親戚の養子になり、苗字を変えた。母とは連絡を取っているけれど、もう何年も会っていない。今の職場は父の親友だった人が経営していて、それで就職できた。その人がいなければ、どこにも就職できなかったと思う」
いくら就職難の時代と言われていても、それは悲観的すぎないだろうか。それに苗字を変えた? なんで?
「この顔も、実は整形している。母が親戚の養子になった時に、お金を出してくれた」
「なに、それ。まるで別人になろうとしているみたいじゃない」
「その通りだよ。別人になる必要があったから」
「……別人になる?」
聞くのが怖い。だけど聞くべきだと思った。
「父が犯罪者だと言われ、ネットに家族を含め、顔写真、名前、住所といった個人情報が流出したから。だから別人になる必要があった」
「なにそれ! そんなことをされるなんて……!」
よほどヤバいことをした父親じゃない!
ネットでそんなに炎上するなんて、ヤバい。そんな男の息子だと知っていたら、さっさと切っていたのに!
「でも僕は父が冤罪だと思っている」
「父親、なにをやったのよ」
「猥褻行為。教師で、厳しい人だったよ。でも、真面目な人だった。それなのに、生徒に猥褻な行為をした疑いで、学校を辞めた。その直後、ネット上で一気に父についての情報が出始めた。最低男の妻は、こいつですと母は言われた。こいつは犯罪者予備軍と、僕は言われた。妹も父に犯されたんじゃないかと、笑われた。住所、電話番号が流出したため、嫌がらせも酷かった。引っ越せと張り紙も貼られ……。それで両親は僕らを守るために離婚し、母は親戚に頭を下げ、僕と妹は養子として迎えられた」
「……本当に冤罪なの?」
「僕はそう信じている」
そりゃあ自分の家族なら、そう思うだろうけれど、信じられない。これは別れで決定ね。こんな男、私の方からさっさと振るべきだった。収入と顔の良さにしがみついて、無駄な時間を過ごしてしまった。
「今も怖い。いつ僕の正体が知られるのか。父の親友であった社長も、父の無実を信じてくれ僕を雇ってくれた。養子にしてくれた親戚も、父の親族も。父を知る人ほど、父の無罪を信じた」
「……身内だからじゃないの? 誰にだって裏の顔があるし、信じたくない気持ちは分かるけれど」
「うん、そうやって信じない人が大勢いるんだ。だから僕が結婚し、もし正体が知られたら、奥さんや子どもに被害が及ぶと思う。実際に妹は、犯されそうになった。知らない男に囲まれ、連れて行かれ……。偶然人が通りかかり助かったけれど、その人も警察も、妹が誰の娘なのか知ると、ただの被害者だと思ってくれなかった。冷たい目を向け、まるで妹に非があるような態度に変わり……。誰もあの頃の僕らと同じ目に合わせたくない。だから僕は、誰とも結婚をする気はない」
なるほどね。正体を知られたくないから、外出を避けていたんだ。人と会えば会うほど、バレる確率は上がるから。出会った頃に前髪を伸ばしていたのは、顔を隠す意味もあったのね。
「さっさと打ち明けてほしかった」
「ごめん」
「分かった、別れよう。私だって、面倒事はごめんよ」
「うん」
シンジは、父親を信じない私を責めてこなかった。
「それで、その……」
「ああ、あんたの正体なら言い触らさないわよ。面倒事はごめんだって、言ったでしょう?」
長年付き合っていた彼氏が犯罪者の息子なんて、最悪だもの。そんなことを言ったら、私のステータスに悪影響だわ。
「ありがとう」
安心したように微笑み、言われる。
「じゃあ、帰るよ」
「ねえ。その事件って、有名なの?」
沈黙になることを避けたくて、玄関に向かうシンジに尋ねる。
「そうだね。炎上したし、全国ニュースにもなったし。ユリカの出身県と同じだし、知っていると思う。僕も本当は、君と同じ出身県で生まれ育ったんだ」
「……高校の時って、言ったよね?」
どくんと、大きく胸が脈打つ。
シンジと私は同じ年齢。それは免許証等で見たことがあり、確実だ。私が高校生の時、県内で猥褻教師が免職となって思い浮かぶのは……。
「それって……。私立◯◯高校……?」
「やっぱり知っていたか」
苦笑いを浮かべ、シンジは帰った。
う、嘘……。シンジ、オキハラの息子だったの?
へたへたと座りこむと、震える。それでもなんとか這いつくばりながら進み、スマホを手に取ると、友人の一人に電話をかける。
「え? オキハラ? 懐かしいねー。そうそう、自殺したってアユが言っていたよね。あんなに厳しかったのに、意外とチキンだったんだって思った」
「アユ、そんなこと言っていたっけ?」
「言っていたよ」
オキハラが学校から去ってから、アユとは距離ができて疎遠になっていた。
もっとオキハラについて知りたい。だったら、アユから話を聞くのが早い。
「ねえ、アユの連絡先、知らない?」
人の伝手を頼り、やっとアユに連絡を取ることができた。
挨拶もそこそこに、早速本題に入る。
「オキハラがどうなったのか、詳しく教えて!」
「……今さら? なんで?」
「それは……」
ただ知りたいから。
「ユリカがそんなことを言うなんて、なにか事情があるんだろうね。私に聞くより、ネットで検索でもすれば? まとめサイトとか残っているし」
「あんたは、どうやってオキハラが自殺したって知ったの⁉」
食い下がるように叫ぶ。
「それこそネットよ。全国ニュースでも取り上げられ、皆でざまあと言ったのは覚えている? 実はあの直前から私、怖くなっていたのよ。もし冤罪だってバレたら、自分はどうなるんだろうって。こんなに大きな事件を起こして、嘘でしたなんて知られたらと思ったら、怖くなったのよ」
アユの声が震えている。
「ユリカたちは社会的抹殺できたって喜んで、それ以上興味なかったよね。だけど私は怖くて、毎日オキハラがネットで叩かれているのを見て、安心していた。同時に、その叩きが自分に向いたらと思うと、怖かった。今だって怖い。だからユリカたちと距離を置くことにした」
……それでアユの連絡先、なかなか掴めなかったのか。
「私、結婚したのよ。もし主人がそんな冤罪に巻きこまれたらと思うと……。私達、とんでもないことをしたのよ。人を殺したのよ。こんなこと、主人には言えない。家族の誰にも言えない」
「自殺したのは……」
オキハラが決めたこと。
だけど家族が酷い嫌がらせを受けたって。妹が犯罪に巻きこまれそうになっても、ただの被害者として扱われなかったって。そうシンジが言っていた。それらは本当に、私たちに無関係?
「オキハラは離婚して、妻子は出て行った。一人になったオキハラは引っ越したけれど、引っ越し先はすぐに特定され、着払いで荷物は届けられる。張り紙、ゴミの散乱等で、近所も迷惑を被った。だから引っ越してほしいと、大家に言われたみたい。その日に自殺したって噂。オキハラは行き場所を失ったの。私たちが奪ったの」
炎上した奴を、どこまでも特定班は追いかける。追いかけ追いつめ、オキハラは死を選んだのだと、暗い声でアユは言う。
「オキハラには子どもが二人いた。嘘か本当か分からないけれど、娘は待ち伏せされ、襲われたって。襲ってやったって、掲示板で自慢していた奴がいた。息子も自転車を壊されたり、学校で暴力を振るわれたり、大変だったみたい。離婚してからは、三人についてはあまり書かれなくなったかな」
神に代わって天罰を食らわせたつもりだったのか。襲ったと自慢した奴らはそこで、英雄扱いされていたと言う。
「ネットは怖いよ、ユリカ。私たちが作り出した嘘なのに、信じる人が多く、さらに卒業生とかいうのが出てきて、自分も似た目にあいましたと言い出して。卒業生なんて、どうやって確認できる? ネットの文章だけなんて真偽不明なのに、その話に乗っかって、話はどんどん広がる。全国ニュースで取り上げられ、ネット上は祭り騒ぎだった。ニュースに取り上げられた、はい、確定。はい、有罪。本当は無実なのにね」
シンジの父親、オキハラは私たちが通っていた高校の教師だった。眼鏡をかけた痩せた男。厳しくて、提出物の遅れも許さない。ちょっと爪にネイルを塗っただけなのに、校則で禁止されている。他の皆も我慢しているのだから、制服を着ている間は校則を守れとガミガミ注意してきた。
校則がおかしい。おしゃれを楽しめない内容なんて、へんだ。ネイルが駄目な理由を教えてと言っても、聞き入れてくれなかった。
しまいには自分たちで校則を変えるよう、動きなさいとか言って、無茶を言うし……。
だから苛々していた私たちは思いついた。オキハラを嵌めて、学校から追い出してやろうと。
校長に訴えた。私達、オキハラ先生に指導だと言われて呼び出され、二人きりになった時に襲われたと。
厳しいオキハラを嫌っている人は多かった。一人の訴え、しかも成績が良くない私達だと無視されると思い、数日おきに人を代えて同じ内容を訴えた。生徒の間にも話を広げた。そして、オキハラは学校を去った。
表向きは自主的な退職。
だけど足りない。徹底的にオキハラを叩きたかった私たちは、それぞれSNSのアカウントで、冤罪の内容を含めてオキハラと学校名を出し、辞めて済むと思うなと書きこんだ。それが広まり、炎上した。
炎上し追いつめられるオキハラの様子を想像するだけで、達成感があり顔が綻んだ。
全国ニュースで取り上げられ、ますます追いつめられるオキハラ。学校は早期に対応したと言い、逃れようとしたがダメージを受けた。翌年以降、入学希望者ががくんと減った。
「遺書を残して自殺したって文章を読んで、ぞっとした。その頃にはある程度鎮火していたけれど、地元新聞にも小さくだけど、オキハラが亡くなったと取り上げられていた。だからユリカに言ったのに……。だから? それだけだったよね。でもそうよ。引き返せなかった。今さらあれは嘘でした、なんて言えない。だけど、死んだのに罪悪感を持たないのは……。へんだよ」
「……謝ったら、嘘がばれるじゃない」
「そうよ。だけど私たちは、人殺しなの。直接手は下していないけれど、間違いなくきっかけを作った。人殺しなの。その罪を一生オキハラに償えることなく、背負うのよ。……ユリカ、執着する人はすごいよ。息子が父の教え子と交際中って、どういうこと。お互い知っているのかって、突き止められているよ?」
「は? もしかして、あんたがシンジに⁉」
「私は息子さんに接触したことはないわよ。だけど……」
電話の向こうで、マウスがクリックされる音が聞こえる。
「ユリカ、あんたが複数アカウントを所持していて、それで浮気していることがバレて、お似合いとか言われているわね。ドライブは楽しかった?」
「シンジとは、もう別れたわ! 私は無関係よ!」
「私に怒鳴らないで。ユリカ、あんたももう、今も執着している奴らにとって、ターゲットなのよ。新しいオモチャ。浮気女にも天罰が必要かな、という書きこみがあるわ」
待って、待って、待って! それってつまり、私もシンジの妹のような目に合うかもしれないの?
冗談じゃない! なんでネットの書きこみなんかを鵜呑みにする変人に、人生壊されなきゃならないの?
「ユリカ、今はただ加害者の息子と付き合っている被害者の一人と見られている。だけどもし本当は、冤罪を作った者と息子が交際なんて知られたら、どうなるかしら。こういう奴らにとっては、面白いネタよね」
「だから、さっき別れたと言ったでしょう⁉ ドライブがバレて、別れたの!」
「私に怒鳴ってもどうしようもないって言ったでしょう? 名前と顔を変えても駄目なのね……。だけど彼はなにも悪くないから、あまり言えないし手出しできない。ただ噂されるだけ。書きすぎてバレたら、名誉棄損で訴えられるって、こいつらも分かっているのよ。……怖いわ、ユリカ。このまま彼らが執着し、いつか事実を知ったら……。私達、どうなる? ユリカが言い出したことでしょう? その時は責任を取ってくれるわよね⁉」
暗い声から一転、攻撃的な口調に怯む。
「で、でもっ。あの時、誰も反対しなかったじゃない……っ。同罪よ!」
「あの頃のユリカに逆らえる人、いた⁉ スクールカースト上位の女王に言われ、反対できると思う⁉ 逆らって学生生活真っ暗になるくらいなら、言うことをきいた方がマシだったからよ!」
「でもあんたは途中から、私たちと距離を取り出したじゃない!」
「だから怖くなったって言ったじゃない!」
アユが暗くなったのは、ネットを見ていたからなのか。やけに根暗っぽくなり、ノリが合わなくなったのが、距離を置いた理由の一つだ。
「ねえ、どうしよう。こういう人たちを敵にしたら、いつか冤罪だとバレてしまうかもしれない。ねえ、ねえ、どうする? うちの人も絶対に誰にも言うなって」
「え?」
さっき、家族の誰にも言えないと言っていなかった?
「ご主人に言ったの?」
「言っていないよ。言う訳ないじゃない。誰にも言えない。それにご主人ってなに? 私、結婚していないのに」
「でもさっき、結婚したって……」
「いつかは結婚したいわよ。でも結婚できないじゃない。だって怖くて、外出できないのよ。男性と知り合う機会がないわ。でもねネットを見て情報は収集しているの。本当色々書いてあって便利よねこれ。これで男性と知り合う人もいるしもしかしたら私も出会えるかもしれない」
早口にまくし立てる。私の知っているアユとは、別人みたいだ……。
そういえばこの電話番号を教えてもらった時、意味は分からないけれど、長時間話すのは止めた方が良いらしいと言われた。
まさか高校生の頃から恐怖心によりネットへのめり込み、正常ではなくなったの?
「ユリカだってシンジさんと合コンで知り合えたしやっぱり合コンかな」
え? なんでシンジと知り合ったこともアユは知っているの? それは本当に、ネットに書かれているの? それとも……。
指の先から冷えてくる。ごくりとノドを鳴らす間も、アユの口は止まらない。
「意外と加害者と被害者って組み合わせがいいのかもしれないよねお似合いだよなんで別れたの? もったいないよ収入もいいしこれから伸びる会社かもよ私の主人はあまり収入が良くないから羨ましいな別れたと言ってもまだシンジさんと連絡は取り合えるでしょう? ねえ合コンを設定してよそれくらいの罪滅ぼししてくれない? ほら子どもの養育費も必要だしお金はあった方がいいしだけど怖いよね最近は物騒だしなにがあるか分からない子どもを外出させるのって怖い」
……支離滅裂、普通じゃない……。
「そうだ! ユリカ、今度久しぶりに会わない? たまには私も旅行をしたいし、会いに行くよ」
急に明るく言われるが、こんな電話で、会おうなんて気が起きる訳ないじゃない!
「あ、あの、わ、私。そ、そう、アカウントの整理をしたいから! バレないように、SNSの投稿とか控えるようにするから! お互い気をつけようね! じゃあ!」
急いで切ると、即効でアユの電話番号をブロックする。
オキハラについて知りたかったのに、なんなの、アレ。完全におかしい。正気じゃない。二度と連絡を取りたくない。
「あー、そうなんだ。そう、最初は普通らしいよ。でも長時間話したり、高校の話になったりすると、おかしくなるって話。オキハラのことを聞きたいなら、ヤバいかもって言っていたの、そういう意味だったんだ」
間に入ってくれた友人に連絡をすると、そんなことを言う。
「そんな大事なことは、先に言ってよ」
「ごめん。だけど、そんなにヤバいとは思わなくて……。もう何年も前の話なんだから、忘れたらいいのにね」
電話を切っても、友人の言葉が繰り返される。
シンジたち家族とアユは、今も忘れず苦しみ怖い思いをしている。
正直、私もオキハラのことなんて忘れていた。自分のやったことが、どういう結果となったのか聞かされたのに、なにも思わなかった。
だけど今は違う。どうしよう……。アユの言う通り、今さら嘘だったとは言えない。言ってもオキハラが生き返ることはないし。世界を敵に回したくない。
本当に今も、オキハラの件で執着している人はいるの?
パソコンを開き、検索ワードでオキハラの名前を打ち込むが、怖くてエンターキーが押せない。
結局ブラウザを閉じ、ノートパソコンも閉じる。
「そ、そうよ……。もう何年も経っているし……。あの子の言う通り、忘れて、今までのように……」
でもアユが言ったように、いつか自分たちの嘘だったとバレたら、どうしよう。バレた時、私はどうなるの? アカウントを晒され、個人情報を流され、ずっと嫌がらせを受けるの? そんなのは絶対に嫌よ!
ポコン。
スマホがメッセージを受信する。
誰からだろう。
表示された文章に、悲鳴をあげる。
『嘘をついて人を殺した奴の連絡先は、こちらですか?』
ポコン、またメッセージを受信する。
『男漁りが好きなんだね。高収入の男を逃した感想は?』
ポコン。
『新しい男には、殺人者だって教えるの?』
ポコン。
『人殺し♪ 人殺し♪』
『どうやって責任取るつもり?』
『お前が死ねよ』
メッセージが止まらない。
ポコン、ポコン、ポコン。音が鳴り続ける。
『今から家に行くよ』
悲鳴をあげ、スマホを壁に向かって投げた。
ポコン。
それでも音は止まない。スマホを蹴っていると、チャイムが鳴る。
「……ひっ」
しりもちをつく。震えながら玄関を見る。本当に来たの? 本当にネットに住所が流され、それを見た誰かが来たの?
「もぉ~しぃ、もぉ~しぃ」
くぐもった太い声が聞こえてくる。その間にもポコン、ポコンと軽快に通知音が鳴る。堪らず悲鳴をあげ続けた。
「あ……。えっと、もしかして、おたくもですか? 夜中にうるさいので、静かにしてほしいと思って……」
「今は悲鳴が聞こえるんっすよ。なんかヤバいっすよね」
「警察に連絡しよう」
◇◇◇◇◇
ずっと音が鳴っている。スマホを持っていないのに、音が聞こえる。
誰? 誰のスマホが鳴っているの? 着信音を止めてよ! マナーモードに設定してよ!
あれから両親が来ると、強制的に自宅へ戻らされた。懐かしいベッドの上、頭から布団を被りながらきつく両目を閉じる。
ポコン、ポコン♪
音が、止まない。