「絵の記憶」
ー 昭和54年。
場所はどこだったのだろう。
少し薄暗いが真っ白な壁の部屋に小さい私が立っている。年は2、3歳だろうか。
私の左側には母が立っている。
私たちの後ろの壁には高いところに小窓があり、そこから日が差し込んでいて明るい。
そして、私の目の前にはイーゼルの上の白いキャンバスに向かって私たち母子の絵を描いている男がいる。
男は時々、私達を見る。
私は立ちっぱなしで、少しでも動いたら母に叱られるので絶対に動いてはいけないのだけれど、どうしても足が動いてしまう。手も動いてしまう。
その度に、次は叱られないように気を付けようと固く心に誓うのだけれど、やっぱりまた動いてしまう。
私が動いてしまう時、男は小さく「あっ…」と言う。そしてその度に母が私を叱る、その繰り返し。
どうして、こんなに怒られてまでその絵を描いてもらわなくてはいけないのだろう。
どうして、私達はここにいるのだろう。
一体、この男は誰なんだろう。
早く家に帰りたい。
私はうんざりしながら、ねっとりとした気持ちで男を睨みつけ、考える。
この男が「あっ…」と言う度に私は母に叱られるのだから、この男がキャンバスに向かっている間に気付かれないように、少しの間だけ“休め“の姿勢を取れば良いのだ。男が私の“休め“に気付く前に元の“気を付け“の姿勢に戻っていれば良いのだ。
そうすれば私は母に叱られずに済む。
小さな私はそう作戦を練ったのだが、なかなか上手くいかない。
その度に男は小さく「あっ…」と言い、私は母に叱られる。
休みなく地蔵のように固く立たせる大人達に私は苛立ち、不満を持つ ー。
大きな家の階段の上りがまちの壁に飾られた、燻んだ豪華な金色の額縁の中の赤紫色の世界の中に、赤い母と私がいた。