第5話 寝付けぬ夜 その2
数日後のリカルドの寝室。今夜も寝つきの悪い彼が、ベッドの上を転げまわっていた。
つい3時間くらい前に、「ファタライス」ファミリーの家臣や領民への、事情聴取の旅から帰ってきたところだ。報告書をどうにか仕上げてベッドに滑り込んだが、やはり気が立ったままなのか、眠りが訪れてくれない。
タキオントンネルという超光速の星間航行手段を使った移動だけでも、片道百時間ちかくを費やした旅だった。光速の千倍くらいという無茶なスピードで宇宙をはしれる方法なのだが、それでも1光年につき10時間ちかくはかかってしまうのだから。
途中にある、いくつもの星系を通りすぎる。いくつかの星系には、エネルギーを供給できる施設がある。ガス惑星でもあれば、それから採取した重水素による核融合で膨大なエネルギーが生産され、供給を受けたターミナルによってタキオントンネルは中継されている。
手ごろなガス惑星がない場合でも、人工彗星で稀薄な星系ガスから集めたり、岩石天体の中に閉じ込められたものを掘削したりして、重水素を確保し核融合を実現している星系もある。
核融合施設にしろ、タキオントンネルのターミナル施設にしろ、政府所有のものから地元領主に帰属するもの、更には連邦支部によって設置と運営が実施されているものまで、様々だ。
統治が不安定な時代には、それらは接続されておらず、複数のタキオントンネルを乗り継ぐ必要があるどころか、タキオントンネル毎に誰かの許可をとったり、メンテナンスの状態を自分で確認する必要があったりなど、恐ろしいほどの手間が星間往来にはかかった。
現在のこの国は、政情も比較的安定していて、リカルドの旅路にあるタキオントンネルは全て接続されていた。政府指導の下に各領主などが、規格を統一し役割を分担することで、実現していることだ。
おかげで、乗り換えなどの必要もなく、リカルドは目的の宙域にまでたどり着けた。
こんな風だからリカルドにとっての移動は、ただ宇宙船に乗っているだけの時間であって、これといった労務に勤しんだわけでもなかったのだが、超光速移動は人の体にたとえようのない疲労感を与えるものだ。
へとへとになってたどり着いた「ダンゲレ」領域で、20人以上の「ファタライス」ファミリーの主だった家臣や、100人近い「ダンゲレ」領域の領民代表者から話を聞いた。かてて加えて、膨大なデータの閲覧もやり、8つの星系をまたいだ30数か所に及ぶ現場検証もやり、たったの3日で作業を完了させたのだから、超が付くほどの過密スケジュールだった。戻って来たリカルドの身体は、鉛のごとき重量感におかされていた。
結論から言えば、領民との関係は良好だったというグルサリルラリルの主張は、否定されざるを得ない。領主による重すぎる税負担や不正蓄財、いわれのない役務での領民の酷使などが、領民や家臣たちから続々と告発された。
税の徴収に関しては、領民たちの天体集落や家臣たちの宇宙艇にある端末から得たデータから、蓄財に関しては、領主の住居である天然衛星内の倉庫に押し込められていた物証から、酷使については現場と指摘されたエッジワースカイパーベルトにのこされた痕跡から、それらは間違いない事実として認定された。グルサリルラリルの所領経営は苛斂誅求と評し得るものであり、領民からは怨嗟の声が上がっていたというのが事実だろう。
その声に突き動かされた彼の家臣が、彼を追放して代わりに自分たちが、当面の所領経営を担うつもりだということだった。いずれは、政府から然るべき家門に属する者を新たな領主として封建してもらうか、家臣の筆頭を正式な領主として認めてもらうか、という解決をはかるつもりだそうだ。
これらの事実や領民と家臣の主張をまえにすれば、グルサリルラリルには、領主の座に返り咲くチャンスはなさそうに見えた。銀河連邦としては、「ファタライス」ファミリーの数百年にわたる安定統治の実績を考慮に入れたとしても、やはり領主を交代すべしという結論しかだせないし、この国の政府もそれに従うだろう。
政府内の有力者と「ファタライス」ファミリーの癒着などがあるようなら、思わぬところから異論や横やりが出るかもしれないが、これだけの証拠や証言をもとに銀河連邦が領主の交代を勧告すれば、政府には逆らうことはむずかしいはずだ。
それをグルサリルラリル・ファタライスに告げる作業は、やはり気の重いものだ。彼にはこの上もない憤りと絶望にさいなまれる通告となるだろう。自分の領主としての権限を当然のものと思いこんでいる彼が、それを聞かされてどんな表情を見せるか、考えるだけでも胃がキリキリしてくる。
プライドはズタズタにされるだろう。父をはじめ、歴代の棟梁たちへの慙愧の念もすさまじいだろう。
調査を通じて知った「ファタライス」ファミリーの来歴を思い浮かべても、青年領主を襲うことになる絶望の大きさが知れた。
ファミリーの始祖が現政権樹立時に見せた、伝説的とも呼ぶべき赫々たる戦果も、台無しにしてしまう。百年以上も昔のことだが、当時は弱小だった現政権の中核一門を窮地に陥れた、圧倒的大戦力による三次元的球状包囲網に、彼らの始祖は命がけの単艦突撃によって風穴を開け、血路を開いて見せたそうだ。
できたばかりの政権内の、軟弱な基盤の上に繰り広げられた諸勢力による十年以上にもなる暗闘にも、歴代当主たちは絶妙なバランス感覚を見せて乗り切り、政権の安定とファミリーの地盤固めを両方ながら成し遂げた。
そんな祖先たちの顔にも、グルサリルラリルは泥を塗ってしまった格好だ。まだまだ多感な時期と見える青年領主が対するには、過酷すぎる精神負担であることは間違いない。彼の神経質な顔を思いだしてみると特に、なすべきことの酷なることが思い知らされた。
領民や家臣たちの言っていたような不正をやるような男には、リカルドには見えなかった。思いこみの強いタイプではあっても、私利私欲の追及にそれほど熱をあげるタイプではないように思えた。座上艦にも着衣にも、過度に華美な所は見られないし、話しぶりには誠実ささえもにじんでいた。
しかし、証拠は全て、彼に不正があったことを主張している。否定のしようがなかった。不正などやりそうにない青年に、不正の事実を認定したと告げ、彼が大事に思っている権利を取り上げなければいけない。本当に、気の重い仕事だった。
この夜、リカルドに眠りの訪れて来ないのは、それが一番の理由かも知れなかった。
(きっぱりと、はっきりと、告げられるだろうか。誤解や曲解をまねくことなく、事実を正確に認識させた上で納得させる、そんなことが、わたしにできるだろうか。)
「なんだかいつも、はっきりしない言い方ばかりするけど、それってきっと、リカルドの優しさなんだよね。」
いつかのメイファーの言葉が、リカルドの脳裏によみがえった。どっちつかずで日和見的な性格を、親や友人に指摘された覚えならいくらでもある。それをあまり真剣に受け止めたことはなかったし、改善の必要性も感じたりはしなかった。
彼の出身の星系国家において、連邦域外からの移民受け入れの可否について国論が二分されていたときにも、周囲に比して彼だけは、はっきりとした意見をもっていなかった。数世代前に彼の星系国家も参加した遠征で、甚大な損害を与えてしまったという負の歴史のある人々だから、受け入れは絶対の義務とする意見もある一方、それによって被る負担は他国とのバランスを欠いて著しく大きい、とする意見も根強かった。
銀河連邦軍への派兵に対する賛否が問われたときにも、彼の態度はいつでもあいまいだった。古くから人的交流の盛んだった、蛮族に飲み込まれる危機に瀕したその漂流星団国家は、連邦にとっては絶対に守り抜かねばならぬ対象だったので、派兵もリカルドの住む星系国家としては必須と言えた。しかし、途上で網を張る敵対勢力を踏み越えねばならない支援軍への派兵でもあり、大きすぎる危険に否定的態度の人は多かった。
これらの深刻な問題に対して、自分の意見をはっきりと決めるなんて、面倒くさいとリカルドは思っていた。はっきり決めれば、自分と反対の立場の者に説明を求められるケースが出て来てしまう。それがたまらなくおっくうで、避けてばかりいた。
どっちつかずが原因で、クラスメイトから孤立することも少なくなかった。社会性や公共意識の低い奴と、蔑まれたことさえあったかもしれない。
なのに、そんな自分に、すこしでも問題意識をいだいたことは一度もなかった。あの時までは。
メイファーに、あの言葉をかけられたときにはリカルドは、自分の性格に激しい嫌悪を覚えた。はっきりしない自分を、これほどに恥ずかしく思ったことはなかった。情けない、みっともない。自身をそんな風に思った最初の経験だったかもしれない。なぜそう思ったのかは、いまだによく分からないのだが。
けなされているあいだは、「知るか」と開き直っていられたことが、メイファーに「優しさ」だなんて前向きな受け止め方をされてみると、このままじゃいけないという焦りに、リカルドはつき動かされたのだった。
メイファーでなければ、そうはならなかっただろう。パーフェクトなメイファーだから、憧れ心惹かれていたメイファーだから、前向きな表現の裏に潜む激励のような叱責のような思いを、感じ取ったのかもしれない。メイファーにあった気持ちを感じ取ったのか、メイファーには無かった気持ちをリカルドが作り上げたのか、分からないが。
つとめて、きっぱりと決断をくだすように、それからのリカルドは、それを強く意識して行動するようになった。それからは、色々なことが上手くまわるようになった印象がある。
スクールでの成績も良くなったし、まわりの人に能力を認めてもらえる場面も、多くなった気がする。こうしてどうにか銀河連邦のエージェントになれたのも、そのことがあったからではないかと思える。
だから、今のこの場面も、きっぱりと決断をくだしてはっきりと告げなくちゃいけない。あいまいさは、完全に排除しなければならない。領主を交代すべしというのが銀河連邦の意思だと、ちゃんと理解させなくてはいけない。
領主を続けていける見込みがあるとか、決断を変更させる余地はありそうだとか、そんなことをわずかにでも匂わせるような言い方は、ぜったいにしちゃいけない。
こんな課題を意識させられることは、計り知れないプレッシャーとなるものであり、リカルドは眠りから遠ざけられるばかりだった。
「それってきっと、リカルドの優しさなんだよね。」
その言葉を、その場面を、その時のメイファーのやわらかな笑顔を、何度も思いかえした。はっきりしない性格のままじゃいけない、そう思わせた言葉。きっぱり決断をくだすことを、リカルドに意識させつづけてきた言葉。
だが今、その言葉と、その場面と、その笑顔を何度も思い返していると、リカルドの心に巣食ったプレッシャーが、少しずつやわらいでいった。
グルサリルラリルに、きっぱりと領主の座を諦めるように告げることを辛いと思う気持ちは、悪いものでも間違ったものでもないのだ。そんな風に思えるようになってきた。
「きっと、優しさなんだよね」
(そうだ。その気持ちは、優しさであって、大切なものなのだ。きっぱり告げなければいけないけど、そのことを辛く感じる気持ちは、なくす必要なんてない。)
そんな思いが、そう思わせてくれたメイファーの言葉が、笑顔が、自身への肯定的な気持ちを掻き立ててくれた。
安心できた。穏やかになれた。プレッシャーも少しだけ和らいだ。徐々に、徐々に、まぶたが重みをもち始めた。
思い出の中のメイファーが、この夜も、リカルドを眠りへと誘ったのだった。
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は 2021/9/25 です。
リカルドの使った移動手段について、ややしつこく書きました。広大な宇宙に広がる国が、交通網の整備によって一体化している、という世界観を味わってもらえる文章になっていれば良いのですが。
古代ローマの時代には、ローマ街道というのがヨーロッパ中に巡らされ、効率よく移動できたらしいのに、ローマが滅ぶとそれは寸断されてしまいました。国境を超えるたびに面倒な手続きが必要になったり、庶民には超えること自体が不可能だったり。そんな交通事情の時代による変遷を意識してもらうことで、物語の世界観に繋げようとする試みです。
日本で旅をする場合でも、県境をまたぐたびに乗り換えや検問が必要だったりしたら、面倒臭くて仕方がないでしょう。でも江戸時代までは、藩とかに分断されている状態だった。多くの人が知っているであろうこんな事情を思い起こしてもらって、時代のうねりみたいなのを感じてもらう。
そんな場面を描いたのですと説明しているこの文章からして、どうしようもなく面倒臭いものになってしまっているのでしょう。どうすれば改善できるものやら。迷走中です。