第1話 寝付けぬ夜 その1-1
スペースコロニーといったら、ある時代の人々にはきっとこんなイメージがうかぶのだろう、といった外観をした円筒形の建造物が、まっ暗な宇宙空間にうかんでいる。その中で、一人の男が、のっそりと寝返りをうった。宇宙空間にただよっているものだから、この時代の人々はこれを、宙空建造物とよんだりもする。
この時代にコロニー(=集落)といったら、宙空建造物がいくつか集まっているものを指すので、ひとつのそれをさしてスペースコロニーと呼ぶなんてことはあり得ない。時代が変われば言葉の使われ方も変わるものだ。
宙空建造物にも色々な形のものがあり、円筒形はその中でも高い技術力を要求する。その分、内部に創出される居住可能域の面積は、広大なものとなる。リング状や棒状の宙空建造物もあるが、必要な技術水準や創出できる面積、そして居住者の快適性において、円筒形のそれは最上級に位置するものだった。
円筒形宙空建造物の湾曲した外周壁の内面には、街が、森が、農場や牧場や生け簀などが、遠心力によって張りついている。ものによっては、海と名付けられた巨大で塩辛い水塊を有していたりもする。それが円筒形宙空建造物のスケールだ。
街にある建物から出てきた人にとっては、そこが実は宙空建造物の内部であっても“ 野外 ”と認識される。人にとっては“ 外 ”としか認識できないくらいの開放感を覚えさせられるのが、円筒形宙空建造物の“ 内部 ”だった。
それの1つの中で、それの外壁内面に張り付いた幾つもの街の1つの中で、街で行列をなす建物の1つの中で、建物に設えられた部屋の1つの中で、そこに1つだけあるベッドの上で、銀河連邦エージェントのリカルド・ブロッカーが寝返りをうった。
寝つきが悪かった。展転反側。
疲れはたまっているはずだが、ついさっきまで報告書の作成に熱をあげていたせいで、まだ頭も体も冷め切っていないのだろう。高ぶった気分と落ち着かない体は、ベッドの上のリカルドを右へ左へと転がしつづけていた。
寝付けない夜には誰にでもよくあることだと思うのだが、リカルドは、ある一人の心に宿った女性を思いうかべていた。彼の人生で、もっとも強く印象に残っている女性だ。
かつてはその美貌に魅惑され、その知性に圧倒され、その行動力に度肝を抜かれた。容姿も頭脳も心根も、彼にはとうてい比肩できないくらいに上等だった。
リカルドは、人工的に作りだされた夜の闇のなかで、学生時代にクラスメイトだった女性――メイファー・リンナップの姿を脳裏にえがいていた。鮮やかに。艶やかに。
横顔を思い出す。
サラサラと流れる髪の向こうで、切れ長の眼をおどるようにはね上げて、にっこりと微笑みかけてくれた。
走る姿も思い出す。
グラマラスなプロポーションをゴムボールのように弾ませて、彼の精神をしっちゃかめっちゃかに揺さぶった。
討論をすればどんな話題でも主導的立場となり、スポーツをしたらどんな種目でもエースのポジションを占め、歌っても踊ってもけつまずいて転んですらも絵になった。男でも女でも、みんながあこがれと尊敬の目で見ずにはいられなかった。
いつでも笑顔で、はつらつとして、誰とでもすぐに打ち解けておしゃべりを楽しめた。誰からも親しまれ、誰からも頼られ、誰からも妬まれたりしなかった。リカルドの記憶のなかでメイファーは、ひとつとして非の打ちどころのないパーフェクトな女性なのだった。
地元の惑星にある公設スクールに入学してから、リカルドが隣の席になった別のクラスメイトの少女に初めて「やあ」と声をかけるまでの間に、3人の恋人を渡り歩いていたメイファーだった。何をやっても、はるかにうわ手だった。常に先を進んでいた。同じクラスルームにいても、彼女だけ皆より一段高い床の上を歩いているように見えていた。
それでも、彼と話すときは屈託がなく、自然体で、時には甘えたりおどけたりじゃれついてきたりする仕草なんかも見せてくれた。愛嬌もたっぷりで、キュートだった。
こんな女性に人生のどこかで出会った男が、寝付けない夜に、何を他に思い出すだろう。寝返りだらけのベッドの上で、リカルドは、メイファーにまみれているのだった。
リカルドと同じタイミングでスクールに入ったメイファーだったが、2年後に、銀河連邦のエージェントを養成するテクニカルカレッジへの進学を決めた。合格率1%未満のせまき門であり、本来はスクールでの就学を3~5年経なければ、受験に必要な科目の履修すら完了しないはずなのに、彼女は2年で受験資格どころか合格をかちとって見せた。
彼らの時代には最上の部類と考えられているエリートコースへ、周囲に先がけてとび乗ったのだ。超の字をいくつ並べればふさわしいかも分からないくらいの優等生だ。スクールの男子学生すべてにとってのマドンナでもあったし、女子学生すべてにとってのお手本でもあった。
彼女に感化され、彼女の後を追うようにして、リカルドも連邦エージェントを目指すコースに乗ることはできたが、彼女に遅れること3年、スクールに入って5年目という、平凡と言われるなかで最もおそいタイミングでのことだった。
リカルドがテクニカルカレッジへの入学を決めたときには、彼女はすでに正式な銀河連邦エージェントの称号を得ており、連邦加盟の二大国間の仲裁というむずかしい任務を拝命していた。
長らく利害対立をつづけ、時には流血沙汰の抗争も繰り広げて平和になれた人々を恐怖させたりもしたのが、この両国だ。一方で大国であるために、銀河連邦勢力下にいる多くの民衆にとっては、日常のくらしに深い影響を及ぼさずにはおかない。
こんな国々の仲裁を任されるエージェントというのは、とびきりの手腕をもつと見込まれているということだ。銀河連邦のエージェントというだけでも、誰からもエリートと目される世の中であるのに、その中でも特に実力を認められる存在となったのだ。エリート中のエリートというわけだ。
メイファーは、リカルドには背中すら見えなくなるほど早く、軽やかに、エリート街道を駆けあがっていった。
両大国が歴史的な講和を結んだ時には、連邦勢力下の民衆すべてがおどろいたし、歓迎した。偉業とたたえられるほどの実績と言ってよかった。メイファー1人でやったことではないにしても、その歴史的講和の立役者の1人に、彼女が名を連ねていることは間違いなかった。
一方でリカルドは、エージェントになりはしたものの、銀河連邦の一番近い本部からでも千光年以上も離れ、往復するのに1年くらいかかってしまう国に、連邦勢力下の民衆のほとんどが名前すら知らないような国に、何十人も送りこまれているエージェントの1人として派遣されていた。
国家規模の事業に関与する機会もなかった。封建的な国のなかで権力の座を占めた、何人かの独裁的な領主の知行を監督し、1万人に満たないくらいの領民をかかえたいくつかの所領での、くらしぶりの改善をはかる。そんなのが、彼の任務だ。
億に達する規模の人口を抱えた大国どうしの講和を仲介したメイファーと比べれば、なんとみすぼらしい任務だろう。
国の大小や人口の多少で仕事の軽重を差別するのも、ほめられた行為ではないのだが、それでもやはりリカルドは、メイファーと自分の途方もない距離を感じずにはいられなかった。
しかもリカルドは、メイファーが担っているよりはるかに小規模な仕事であっても、ちっとも上手くさばけないことが多かった。というより、めぐってくる仕事に、ことごとく頭をかかえていると言っていいありさまだった。
(やっぱり、メイファーのようなエリート中のエリートには、自分はどうやっても追いつけないんだな・・・)
寝付けないベッドの上で、脱皮中のいもむしのように寝返りを繰り返しながら、リカルドはそんな想いを深めていた。
(今日飛びこんできた案件だって、どういう展開になるものやら、考えるだけで気が重くなるよな。メイファーなら、簡単に処理して見せるのかな、こんなちっぽけな案件なんて・・・)
リカルドの意識は、メイファーの思い出からのうつろいを示した。
その日の午後に、救援信号の受信を伝えられたリカルドは、通信装置にかけよってモニターに目をむけた。
ほっそりと骨ばった顔立ちの、血色は悪いが眼光だけは鋭い、20歳くらいかと思われる青年が映し出されていた。
「私は、『ダンゲレ』領域を食邑とする『ファタライス』ファミリーの棟梁、グルザリルラリルという者だ。」
筋トレなみに舌の酷使を強いられるような名を、モニターの中の青年は告げた。
食邑とは要するに領有宙域のことで、この国の政府から知行―つまり統治を認められたその宙域に関して、彼には独裁的な支配権が与えられている。この宙域にすまう人々を領民とし、そこで生産されたものを税として収奪することで、彼の一門はくらしを立てている。
その代りとして彼の一門は、政府に対して一定の役割を果たさなくてはならない。封建的といわれる国家体制で、地球系であるリカルドにはなじみのないものだ。ここに赴任して3年になる彼だが、未だに戸惑いを覚えている。
数千年前に人類発祥の「地球」とよばれた惑星で勃発した全面核戦争の折に、宇宙へと逃避し拡散していった人々の末裔が、宇宙系人類と呼ばれている。一方で、核戦争後の地球に残り、核汚染などによる荒廃からの復興をなし遂げ、宇宙系に遅れること5百年ほどで宇宙へと歩を踏み出した人々の末裔が、地球系人類と呼ばれている。
宇宙系人類は、宇宙での生活に関しては先発組なのだが、少人数で長期間宇宙を放浪することを余儀なくされたことで、科学技術にしろ政治体制にしろ、大幅な劣化や後退を強いられてしまった。
逆に地球系人類は、全面核戦争で人口の7割を失うという惨禍に見舞われながらも、多くの科学技術や民主的な政治体制を温存した。7割を失ったとはいえ、数百人規模で宇宙を放浪した宇宙系人類よりは、圧倒的に大規模な組織をたもってもいた。
だから地球系人類は、科学技術の水準では宇宙系人類に大きく先んじており、物質的にも豊富で、民主的な体制を損なうこともなく宇宙に乗りだすことができた。その歩みも、石橋をたたいてわたるかのように、安全を重視した堅実でゆっくりとしたものだった。
それから数百年もすると、銀河のあちこちで宇宙系と地球系の人類は、千年以上ぶりの再会を果たしていったのだが、多くの場合において、宇宙系が地球系に技術の教示や物資の拠出を求め、地球系が宇宙系に民主的な体制の導入を勧める、という形になった。
今回の投稿は、ここまでです。次回の投稿は、 2021/8/28 です。
現在では一般的にスペースコロニーと呼ばれるようなものを登場させておいて、スペースコロニーとは呼ばないなんて面倒くさい設定にしています。
作中でも触れた通り、宇宙建造物がいくつか寄り集まったものをコロニー(集落)と呼びたいものだから、一個の建造物がコロニーと呼ばれていては困るという事情です。宙空建造物という呼び方が的を射ているのか不安な部分もありますが、作中で宙空建造物と出ていたらいわゆるスペースコロニーだなって思って頂ければ幸いです。
円筒形が技術的に一番高度なんて言うのも、作者の創作です。リング状のもある設定ですが、それの方が天井は低くなりそうだし床面積も大きくできなさそうという個人的な想像です。
棒状というのもシリーズには登場していて、リング状よりランクが下という扱いです。
一番高度なものとして直径30kmの円筒形なんてのも登場していて、内部には気象現象も起きていると設定しています。科学的根拠の無い作者の勝手な決めつけです。ほとんどの雲が上空10kmくらいまでにできるらしいので、直径30km(半径15km)なら雲ができるんじゃないかという安易な発想です。
作者の知る範囲では、未だ宇宙に遠心力を利用した疑似重力のある施設を作る計画なんてないのですが、作品の中で描いたことがどこまで正確なのかの答え合わせを、是非やってみたいと願っています。