第7話 バベルハイズの別邸(前編)
萌黄町から電車を乗り継いで約一時間、雛罌粟とティアラーゼはバベルハイズ別邸があるという都内の一等地、城鐘台を歩いていた。
「うわぁ……何処も大きくて綺麗なお家ばっかり……」
二人並んで歩きながら、雛罌粟は驚嘆の声を上げる。
城鐘台は都内でも有数の高級住宅街だ。
美しく整備された大路には洒落たデザインの街灯と、手入れの行き届いた樹木が程好い間隔で配置されている。
そして辺りに建ち並ぶのは町の景観を崩さぬ立派な屋敷や洗練された店ばかりだ。
先程から凄い凄いと連呼する雛罌粟にティアラーゼは少し困った様に眉を下げる。
ティアラーゼは雛罌粟と初めて会った時の、シンプルなTシャツにジーンズという装いである。隣を歩く雛罌粟もTシャツにミニスカートという夏の子供の装いだ。
「私には萌黄町の雰囲気もとても素敵に思えたけど……」
「萌黄町は此処に比べたらど田舎だもん。萌黄町が勝てるのなんて、採れる虫の種類くらいだよ」
きょろきょろと辺りを見回す雛罌粟は端から見れば完全にお上りさんのそれである。
「えへへ。夏休みが終わったら同じクラスの友達に自慢するんだ」
(ーーこういう時、スマホがあれば写真を撮れるのになぁー……)
メールに電話に写真機能、憧れの便利ツールであるスマートフォンであるが、雛罌粟の同級生でも持っている子は半分位のものである。家計と教育上の理由から花咲家の子供も又、スマートフォンがお預けされている。
このお洒落な街並みを写真に残せないのは残念だが、仕方無い事である。
残念がる雛罌粟にティアラーゼの視線が向けられる。
「ーー雛罌粟は、友達は沢山いるの?」
「ーーえ? うん、あの辺りは1年生からクラス替え無しで上の学年まで上がるから、クラス丸ごと仲良しだよ」
「ーーそうなんだ」
「うん、ティアも休み時間とか放課後に皆でドロケイとかドッヂボールとかやらない?」
「やらない。私、友達だなんて今まで一人も出来たことないから……」
「え……っ?」
ティアラーゼの言葉に雛罌粟は思わず立ち止まる。雛罌粟から見たティアラーゼは綺麗で賢くて、しっかり者な女の子だ。
(ーー友達がいないってティアが……? そんな風にはとても見えないのに……)
「もし、ティアみたいな子が同じクラスだったら、きっとクラスの人気者間違いなしだよ」
「そんなこと……」
「そんなことあるよ! だって私はティアと同じクラスだったら嬉しいし、毎日だって一緒に遊びたいもん」
もし、ティアラーゼと同じ学校に通って、同じクラスの友人だったなら……河原で面白い石を集めたり、漫画の感想を言い合ったり、一緒にお菓子を作ってみたり……きっと毎日が楽しいに違いない。
そんな日々に想いを馳せていた雛罌粟にティアラーゼはぽつりと零す。
「ーー私の周りには私の家柄にしか興味のない人ばかりだから……」
ティアラーゼがお嬢様だということは雛罌粟も十分理解しているつもりだ。
しかし。
「友達って家柄で選ぶものじゃないよ。私はティアがどんな家の子だって絶対友達になるよ」
少なくとも雛罌粟はそう思っている。
更に言葉を連ねようとする雛罌粟を止める様に、ティアラーゼが「そうでなくとも」と言葉を被せた。
「私、こんな風だから……。余り人と話すのも得意ではないし、自分の感情も上手く表に出せないから、そのせいで怖がられてばかり」
「いつも人から距離を取られてしまう」と零すティアラーゼに雛罌粟は改めてティアラーゼと出会った頃を思い返す。
ティアラーゼが永石神社に身を置くようになった最初の頃はどんなに話し掛けても反応が薄く、迷惑に思われていないか不安に感じていた事もあった。
裕福な家庭の出であるティアラーゼと雛罌粟とでは興味関心も全く違うのかもしれないと色々悩んだし、縄跳びやぬいぐるみから始まり、漫画本や押し花コレクションなど思い付く限りの品々を手当たり次第に永石神社に運んだものだ。
(ーーまぁ、今となっては結局どれも楽しんでくれてたって分かるけど)
いかんせん無表情に加えて積極的な性格でも無さそうなので、人形の様に整った容姿と相まって冷たい印象を与えてしまうのもあるかもしれない。
「ーーごめん。雛罌粟には変なことばかり話してしまう」
「そんなこと無いよ。ティアが色々お話ししてくれて、私は凄く嬉しいよ」
摩訶不思議な出会いではあるけれど、折角友達になったのだ。こうして友達が心を開いてくれているのが分かるのは嬉しいし、少しこそばゆい感じもした。
そうして二人は城鐘台の街を歩き続け、やがてティアラーゼが「あれ」と前方を指差した。
ティアラーゼが指差す先を見れば、周囲の家々よりも一際大きな白い洋館が見える。
洋館を取り囲む塀もまた屋敷と同じ白で、重厚感のある黒い門をより引き立てている。
「うわぁー!! 此処まで色々なお屋敷を見たけど、ティアのお家が一番大きくて綺麗だね。あそこに見える黒い門が入り口かな」
「待って、雛罌粟」
玄関口であろう黒い門へと近付く雛罌粟を、ティアラーゼが静止する。
「どうしたの、ティア?」
「そっちじゃない。こっちに」
頭に疑問符を浮かべる雛罌粟の手を引いて、ティアラーゼは黒い門の前を素通りしてしまう。
「え、あそこから入るんじゃないの?」
「ちょっと仕掛けをしてあるから」
それだけ答えると、そのまま白い塀に沿って歩き続ける。
(ーー白い塀が何処までも続いているみたい……思ってたよりもずっと大きいお家なんだ)
こうして歩いていると屋敷の大きさがより一層感じられ、雛罌粟はティアラーゼがお嬢様であることを改めて実感する。
やがてティアラーゼがある一点で足を止めた。
「ーーここ」
「ーーえ、ここ……?」
そこは先程まで歩いている場所と何ら変わらない白い塀の前だった。
ティアラーゼは白い塀の前に立つと、辺りを軽く見回した後で右手をそっと塀に当てる。
ティアラーゼの意図が分からず雛罌粟が疑問を口にしようとした時、目の前で信じ難い出来事が起きた。
(ーーえっ!?)
ティアラーゼが白い塀に手を当てたまま何事か唱えると、そこに確かにあった筈の白い塀の一部が掻き消え、更に驚くべき事にもう一人のティアラーゼが現れたのだった。
白い塀の向こうに現れたティアラーゼは、レースをふんだんに使った赤いワンピースに、髪にはワンピースと揃いの赤いリボンという、正にお嬢様といった出で立ちである。
「ティ、ティアが二人……っ!? どういう事!?」
慌てふためく雛罌粟をよそにティアラーゼはもう一人のティアラーゼへと近付くと、先程と同じ様に右手をそっと当てて、何事か唱える。
そうすると、驚愕に目を見開く雛罌粟の前で先程の白い塀と同じ様にお嬢様然としたティアラーゼも消え失せた。
「あ、今何かが落ちていった気が……?」
不可思議な出来事の連続に困惑する雛罌粟だったが、お嬢様然としたティアラーゼが消える瞬間に何かが下に落ちたのを見逃さなかった。
雛罌粟の視線が緑の人口芝に向けられる。ティアラーゼもその視線に答えるようにその場に屈んだ。
「何だろう……少し曇っているみたいだけど水晶みたいで綺麗だね」
ティアラーゼによって拾い上げられたそれは子供が片手で握り込める大きさの無色透明な石の様だった。
「ーー雛罌粟は此処から正面玄関口まで戻って、そこで待っていて」
「ーーえ、ティアはどうするの?」
小首を傾げる雛罌粟にティアラーゼは謎めいた微笑で答えると、そのまま白い塀の向こうへと歩き去ってしまう。
残された雛罌粟はティアラーゼの言う通りにするしかなかった。
明日も9時過ぎの更新を目指します