第5話 ティアラーゼ(前編)
翌日。雛罌粟は朝の早い時間から自転車を漕ぎ、永石神社を訪れていた。
丁度朝刊を取りに出てきたであろう志月を見付け、元気に声を掛ける。
「志月さん、おはようございます!!」
「おはようございます、雛罌粟さん。彼女も先程目を覚ましましたよ。顔を見せてあげて下さい」
昨日と同じ様に社務所へと案内された雛罌粟は、逸る気持ちを抑えて客間へと向かった。
客間では畳に敷かれた布団の上で、金髪の少女が身体を起こして静かに窓の外を見つめていた。やがて部屋への来客に気付いたらしい彼女は部屋の入り口へと感情の読み取れない視線を向けて来る。
少女と雛罌粟の視線が交わった。
「ーー貴女は昨日の……」
「お、おはよう。体の具合はどう?」
「一晩休ませて貰ったお陰で随分と楽になった」
少女を見れば昨日永石神社で最後に見た時よりも随分顔色は良くなった様に見える。楽になったというのも本当なのだろう。
「それなら良かった! 喉は乾いてない? 志月さんに頼んでお水貰ってくるよ」
志月の元へ向かおうと少女に背を向けた雛罌粟だったが、その背に少女が声を掛ける。
「ーー待って。貴女、名前は……?」
「私は常磐雛罌粟だよ」
「ーー私は、ティアラーゼ。ティアラーゼ・バベルハイズ。昨日は倒れていた所を助けてくれて本当に有り難う。貴女にもあの男性にも何とお礼を言ったら良いか……」
そう言って目を伏せる少女、ティアラーゼに雛罌粟は慌てて首を横に振る。
淡々とした口調に、感情の読み取れない表情。雛罌粟から見たティアラーゼは謎だらけでミステリアスな美少女であるが、悪い人間には見えないし、あの場で助けないという選択肢は無かった。
「そんな、気にしないで良いよ! 困ってる人を助けるのは当たり前の事だし、ティアラーゼさんが元気になったみたいで本当に良かった!」
きっと志月も同じ事を言う筈だ。
(なんたって宮司さんだしね!)
嬉しそうに言う雛罌粟を、ティアラーゼは何処か眩しい物でも見るように目を細めた。
そこへスープボウルを二つ乗せたお盆を持った志月が戻って来る。
「鶏肉と野菜のスープです。少しでも食べられるようでしたら、これを。雛罌粟さんも良ければ一緒にどうぞ」
「私も貰って良いの!? やったぁ!!」
大喜びで志月作のスープを食べ始める横で、ティアラーゼも少々戸惑いながらも差し出されたスープボウルを受け取ったのだった。
*****
「改めて……雛罌粟さん、志月さん、昨日は助けて頂いて本当に有り難うございました」
「いえいえ、どうかお気になさらず。雛罌粟さんが貴女を背負って来た時は流石に驚きましたが、元気になられたようで本当に良かったですよ」
志月の横で雛罌粟はこっそり自分の腰を擦った。
(ーーえへへ。実はあの後腰が痛くなって、湿布を張ってるんだよね。臭くないか、ちょっと心配だよ……)
湿布臭を気にする雛罌粟をよそに、志月はティアラーゼに向き直る。
「ーーそれよりも。何故ティアラーゼさんは森の中に一人で倒れていたんですか? それもあれ程衰弱した状態で……」
志月の疑問は雛罌粟にとってもずっと気に掛かっていたことだった。雛罌粟もその疑問の答えを求めて視線を向ける。
「ーーそれは言えません」
「ーーふむ、ではもう一つ質問を。ティアラーゼさんはこの近隣の子供ではありませんね? ご家族はどちらに?」
「ーーそれも言えません」
「では、家の方へ連絡を取ることは可能ですか?」
「……」
客間に何とはいえない空気が流れる。
「ーー昨日こちらで休ませて頂いたお陰で体力も随分戻りましたので、もう帰れると思います。このお礼は後日必ず……」
「え、でも……っ」
何やら言おうとする雛罌粟を遮るようにティアラーゼは立ち上がる。
しかし。
「ーーっ」
「ティ、ティアラーゼさん……っ!?」
立ち眩みでも起こしたかの様にその場に崩れ落ちるティアラーゼをすんでのところで志月が抱き留める。
「ーー少なくとも一人で帰るのはまだ難しい様ですね」
小さく溜め息をつきながら志月が言うのを、ティアラーゼは沈痛な面持ちで聞いている。
「今の状態でどうしても帰ると言うのなら、ご家族の誰かに迎えに来て頂く以外に有りませんよ」
「……」
俯き黙り込んでしまったティアラーゼ。その姿は酷く小さく見えた。
「ーーティアラーゼさん。まだ身体の調子良くなってみたいだし、もう少し此処にいた方が良いよ! 志月さん、私からもお願いします!」
雛罌粟に乞われた志月は困った様に笑った。
「そんなに心配そうに見ずとも、こちらはティアラーゼさんを追い出すつもりは有りませんよ。せめてよろけずに歩けるぐらいには身体を治してください」
「一度乗り掛かった船ですからね」と苦笑する志月を見て、雛罌粟はティアラーゼの両手を取って強く握った。
「志月さんもこう言ってくれてるよ、ティアラーゼさん!!」
「ーーで、でも……これ以上ご迷惑をお掛けする訳には……」
雛罌粟の力強い言葉に戸惑う様に視線を泳がせる。そして、ティアラーゼは彼女の中で気に掛かっていたらしい事柄を口にする。
「ーー此処は神社、ですよね。私は貴女達の神の信徒ではないのに……良いんですか」
思いがけないティアラーゼの言葉に雛罌粟と志月は顔を見合わせた。そして、雛罌粟は朗らかに笑って見せる。
「何だ、そんな事気にしなくても良いのに! ねぇ、志月さん?」
「勿論です。私共の祀る神は弱き者の味方ですから。……寧ろ此処でティアラーゼさんを追い出したりしたら、バチが当たりそうですよ」
「そうだよ!!この神社の神様……えっと、玉虫姫だったかな……とにかく凄く優しい神様らしいから、そんな心配いらないよ!!」
「玉星姫ですよ。玉虫姫では虫の女神の様で、あまり想像したくありませんね」
そんな二人のやり取りをほうけた様に見つめていたティアラーゼだが、やがて意を決した様に二人に告げる。
「有り難うございます……もう暫く、お世話になります」
ティアラーゼは俗にいう金髪縦ロールというやつです。