第4話 永石神社
ぜぇぜぇ言いながら石段を登りきった雛罌粟は、すぐそこにお目当ての人物を見付けて顔を輝かせた。
「志月さん!」
約一時間程前に聞いた声が再び耳に入り、志月は境内の掃き掃除をしていた手を止めた。
「ーーおや。雛罌粟さん、忘れ物でもありましたか……と、どうやら違う様ですね」
志月は、見知らぬ少女を背負って現れた雛罌粟を見て目を丸くした。
千代田志月は永石神社を預かる若き宮司である。短く切り揃えた黒髪に優しげな目元、纏う雰囲気も穏やかな好青年であり、近隣には彼目当てに参拝にやってくるという女性もいるらしい。
ちなみに、雛罌粟を始め真凛も凛太郎もこの志月に大変懐いている。更に有難い事に花咲弁当の常連客でもあり、先程手製のチラシを渡した時もとても喜んでくれた。
「志月さん。この女の子、具合が良くないみたいで……」
蒼白い顔に固く閉じられた瞳。少女が酷く弱っているのは志月の目にも一目瞭然であった。縋るような眼差しを向けてくる雛罌粟に、志月は頷いて見せる。
「分かりました。取り敢えず、社務所へ参りましょうか。お布団を敷いて横にさせてあげた方が良いようですね」
そう言って志月は雛罌粟の背から少女を抱き上げると、社務所へと歩き始めた。同年代の少女の重みから解放された雛罌粟もそれに続く。
両脇を灯籠に囲まれた石畳を進むと、向かって右手側に社務所が見えてくる。
この社務所は宮司である志月の事務所兼住居である。
「さぁ、こちらへ」
「お邪魔します!」
客間に着くと手の塞がった志月の替わりに、雛罌粟が手早く布団の準備をする。そこに志月は少女をゆっくりと横たわらせた。
「水を持って来ましょうか。少し彼女を見ていてあげて下さいね」
「はい」
すぐに志月が水の入ったグラスを持って客間に戻って来た。
「さぁ、水ですよ。少しでも水分を摂った方が良い」
雛罌粟に横から支えられながら起き上がった少女は、志月から受け取ったグラスから数口水を飲んだ。そうして再び横になった少女はやがて穏やかな寝息を立て始める。
「ーー良かった。最初に森で見付けた時よりも顔色が良くなってる気がする」
雛罌粟が安堵の溜め息をつくと、志月はその横で少女の脈を測り、額に手を当てて発熱の有無を確認する。
「ーー脈も正常。熱も有りませんね。この調子でしたら十分な睡眠と栄養のある食事を取れれば、問題はないでしょう」
「有り難う、志月さん。私一人じゃどうしようも無かったから、志月さんが居てくれて本当に良かった」
「ーーさて、ではそろそろ理由を聞かせて頂けますね」
志月の言葉に雛罌粟も神妙な面持ちで頷く。
「取り敢えず、私達は別の部屋に移動しましょうか」
客間に寝かせた少女を起こさない為に別室に移ったところで、雛罌粟は此処に至るまでの経緯を志月に話した。
「一人で身動きも取れない程に衰弱しているのに、人は呼ぶな、ですか……。中々困ったお嬢さんですね」
「うん。私を止めるときも凄く切羽詰まった様な感じだったよ。何か理由が有るんだと思う」
「本来なら救急なり警察なりに連絡するのが筋なんですが……」
雛罌粟の縋る様な視線を感じた志月は、困った様に笑う。
「取り敢えず、今日一日は此処でお預かりしましょう。ですが、明日容態が思わしくなかったらすぐにでも警察に連絡しますよ、良いですね」
そう言って志月が雛罌粟の頭を撫でてやると、雛罌粟は感極まった様に志月に抱き着いた。
「志月さん、有り難う!! 今度、花咲弁当の割引クーポン券沢山持ってくるね!!」
「それは楽しみです。……そう言えば、雛罌粟さんはそろそろ帰らなくても大丈夫ですか? そろそろ日も沈みますよ」
志月の言葉に部屋の窓を見ると、確かに空が橙色に染まり始めているのが見て取れた。
「ーー本当だ。もう家に戻らないと!!」
明日の朝にまた来ると告げ、雛罌粟は永石神社を後にした。
*****
早足で森の入り口に戻ると、そこには置き去りにした自転車が数時間前と変わらぬ様子で持ち主の帰りを待っている。
「良かったーー。誰かに盗まれてたらどうしようかと思ってたんだよね」
自転車に鍵を挿し、サドルに股がる。ふと、少女を見付けたときに偶然見てしまった浮遊する光球を思い出した。
(ーーあれ、何だったのかな)
一度気にし出すと切りがないものだ。雛罌粟は頭を振って頭から光球に関するもやもやを追い払った。
(ーーとにかく、今日はもう帰らないと)
雛罌粟は今日の様々な出来事を思い返しながら、自転車を漕ぎ出した。
花咲弁当の売上アップの為に手製のチラシを方々に配り、その後偶然森で発見した弱り切った少女。しかも、何やら訳有り。
(明日になったら、少しでも元気になっていれば良いな)
そう思いながら雛罌粟は家へと急いだ。
神社って良いですよね。