第2話 チラシ配りの少女 後編
手製のチラシの束を眺め、雛罌粟は満足げに微笑んだ。
花咲弁当の美味しさが伝わる様に子供なりに知恵を絞ったレイアウト。近所の交流館に設置されたコピー機の「白黒印刷百枚無料」を存分に利用し、枚数も確保。そして最後に手分けして色塗り。
正直一人辺り50枚の色塗りで腕はかなり痛いが、苦労の甲斐もあり、ポップで可愛らしい出来に仕上がった。
「折角作ったチラシだし、萌黄町だけじゃなくて朱根町の方まで配りに行きたいんだよね」
「うん、真凛も賛成! 来年の旅行の為にも花咲弁当の事を沢山の人に知って貰わなきゃだもの!」
「そうだね。それじゃあ私が朱根町まで行くから、真凛には萌黄町の方をお願いしようかな」
「任せて!」
二人がチラシ配りの分担を話ながら階段に差し掛かった時、丁度一階から階段を登ってくる姿があった。
「げし姉に真凛じゃん。どっか出掛けるのか?」
花咲凛太郎、7才。真凛の双子の弟であり、姉の真凛と同じく癖のある黒髪とつり目気味の瞳の花咲家の長男である。
そう言った凛太郎だったが、雛罌粟が抱える紙束を見付けると呆れも露に言い放った。
「弁当のチラシなんて、マジで作ったのかよ。そんなので客が増える訳ねーじゃん。ばっかじゃねーの」
「こら、凛太郎!これは、げし姉と真凛で考えた花咲弁当の貧乏脱却作戦なんだから、馬鹿にしないで!」
しかし、真凛の言葉など何処吹く風の凛太郎は「ちょっと見せてみろよ」と半ば強引に雛罌粟からチラシを奪うと、それを一目見て失笑した。
「なんだよ、これ。子供の落書きじゃん」
「ら、落書き……」
容赦ない弟の言葉に雛罌粟は項垂れる。
先程まではとても素晴らしい物に見えていたチラシが、凛太郎に少し言われただけで途端に恥ずかしい代物に見えてくる。
凛太郎の言う通り、所詮は子供の工作だ。一生懸命配って回ったとしても、殆どがゴミ箱に捨てられて終わりかもしれない。
でも、だ。
雛罌粟が子供ながらに今回の事を考えたのにもそれなりの理由がある。
雛罌粟は俯いた顔を上げ、言うか否かを一瞬迷った後、口を開いた。
「夏休みに入る前、たまたま夜中に目が覚めた時があったんだ」
「そうしたら居間で悦子おばさんが仏壇に向かって話し掛けてるのを聞いちゃって……」
「このままだと来月の支払いも厳しくて、お店を手離さないといけなくなるかもしれないんだって……だから少しでもお客さんが来てくれる様に何かしたいんだよ」
雛罌粟の言葉に二人は言葉を失くす。最近の花咲弁当はあまり上手くいっていないとは思っていたが、まさかそこまでとは思っていなかったのだ。
青ざめる二人に雛罌粟は更に続ける。
「それに私、この家の本当の子供じゃないのに真凛や凛太郎と同じように育ててもらって、おばさんにも、亡くなったおじさんにも凄く感謝してるんだよ。だから、少しでも恩返しがしたくて……」
雛罌粟の言葉に二人は反射的に叫ぶ。
「げし姉はうちの子だろ! 血が繋がってるとか繋がってないとかそんなのは関係ない!」
「そうだよ! 次またそんな事言ったら怒るわよ!」
雛罌粟が花咲家の人間でないのは子供達も承知の事実だが、血の繋がりなどなくとも二人にとって雛罌粟は紛れもなく家族の一員だった。
「凛太郎、真凛……」
思わず瞳を潤ませる雛罌粟に、凛太郎はそっぽを向くが耳が赤らんでいるのは隠せていない。
「仕方ねぇな、オレもチラシ配り手伝ってやるよ。オレだって花咲弁当が潰れたら困るし」
「真凛も頑張る!!」
「二人とも、有り難う!!」
花咲弁当を救う為、子供達の心が一つになった瞬間だった。
善は急げと子供達は駆け足で家を出る。しかし、家の外に出た所で買い出しから帰ったらしい悦子と鉢合わせ、一度足を止めることになった。
「あら、雛罌粟に真凛に凛太郎。何処か遊びに行くの?」
花咲悦子は夫の源治郎亡き後、女手一つで花咲弁当を切り盛りする花咲家の大黒柱である。
普段は優しいが怒らせると大変恐ろしい肝っ玉母さんである。
「悦子おばさん! うん、ちょっと凛太郎と真凛と公園に遊びに行ってくるね」
「そう、分かったわ。でも、この辺りも最近は物騒だから、余り遅くならない内に帰ってきなさいね」
「はーい」
咄嗟に持っていたチラシの束を隠した子供達だったが、悦子は特に気にすることも無く花咲弁当の入り口を潜っていった。
「チラシの事、やっぱり悦子おばさんにちゃんと話しておいた方が良いかな」
「後で良いだろ」
「そうよ。後で話してお母さんをびっくりさせてやりましょ!」
別に悪い事をしようとしている訳では無いのだが、半ば反射的にチラシの事を隠してしまった事による雛罌粟の不安を真凛と凛太郎が一蹴する。
「それもそうだね」
「そんなことより、チラシ配りは何処までやるんだ? さっさと決めようぜ」
そうして三人は改めてチラシ配りの分担をする。
「私は自転車で朱根町までチラシ配りに行くから、二人には萌黄町のチラシ配りをお願いするね」
そう言って雛罌粟は家に一台しか無い子供用自転車に股がった。
「オッケー。こんなのオレに掛かれば一瞬だぜ」
「真凛もリョーカイだよ!」
「よーし、それじゃあ"花咲弁当売上アップ大作戦"開始!!」
「「おー!!」」
*****
真夏の日差しが降り注ぐ中、雛罌粟は時折額の汗を拭いながら自転車を走らせる。萌黄町から自転車で約四十五分。萌黄町の隣町である朱根町は朱波山地を擁する、広大な大自然と共に生きる町である。
手製のチラシは全て配り終え、雛罌粟の小さな胸は達成感で満たされていた。
「思ったよりも早めに配り終われて良かった! これでお客さんが増えれば良いなぁ~」
後は家に帰るだけだが、ふと雛罌粟の脳裏に浮かぶものがあった。
(そう言えば昔、おじさんに朱根町の外れにある森に連れて行って貰った事があったっけ……)
朱根町の外れに広がる朱波山地は数多の雑木からなる山である。まともに道も整備されていない様な、手付かずの大自然が広がる場所だ。
(凛太郎と一緒にオオムラサキの幼虫を捕まえて、一緒に蝶まで育てた事もあったなぁ~)
真凛が幼虫をひたすら「キモい、キモい!!」と嫌っていたのに、羽化したオオムラサキを見た途端に「ヤバい、ヤバい! めっちゃ綺麗なんだけど!」と大興奮していたのを思い出す。最後には「こんなブローチが欲しい」とも話していた。
(あの時はまだおじさんも元気で、私と凛太郎とおじさんの三人でオオムラサキが羽化するのを見守ってたっけ……)
昔を思い出してしんみりした雛罌粟だったが、折角だし少し山に寄って行こうと思い立つ。
(まだ明るいし、ちょっとだけなら良いよね。ここからならすぐだし!)
雛罌粟は自転車を漕ぐ速度を上げ、車輪を走らせる。やがて、雛罌粟の目の前に記憶のままの朱波山地が現れた。
雛罌粟は自転車を降りると、山へと踏み入る。危険な獣も当然多くいるはずなので、今回は入り口付近を少しぶらぶらするだけだ。
森の香りを存分に含んだ湿った空気を胸一杯に吸い込む。
「うーん、森の匂いがするー。こういうのを森林浴って言うんだよね」
入り口付近は射し込む太陽の光で明るいが、奥に進む程暗くなる。
マイナスイオンを沢山吸って帰ろうと鼻歌混じりに辺りを散策していた雛罌粟は、何とはなしに辺りを見回した。
「ーーあれ? 何だろう、あれ」
雛罌粟の視線が森の奥、ある一点に向けられる。それは大木の幹にもたれ掛かる、人間の様に見えた。
「ーーえ、嘘……まさか、人が倒れてるの!?」
言うが早いか駆け出した雛罌粟だったが、近付いて見れば、それは予想通り人間だった。
年の頃は雛罌粟と変わらない位だろうか。服装はTシャツにジーンズというラフな格好。
頭に被った野球帽からは縦に巻かれた長い金糸の髪がこぼれている。
「外国人の女の子だ……」
雛罌粟の呟きは森の中に消えていった。
ようやく話が動きます