4話 雛罌粟と文学少年
8月中は何処か静けさが漂っていた学園都市にも活気が戻りつつある。
マギア・グランデは9月を迎え、いよいよ雛罌粟の学園生活が幕を開けようとしていた。
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学園都市、中等部学舎の廊下には少々緊張した面持ちで歩く少女の姿があった。
オフホワイトのブレザーとワインレッドのプリーツスカート。トレードマークのポニーテールはそのままに真新しい制服に身を包んだ常磐雛罌粟である。
(ーー先ずは職員室のアマーリエ先生の所に行かないと)
始業時間にはまだ少し早い時刻、自分の所属予定のクラスはあらかじめ伝えられていたものの、直接クラスには行かずに先ずは職員室に寄る様にアマーリエから言われていたのだ。
(ーー私、上手くやれるかなぁ……)
雛罌粟には珍しく気弱の虫が顔を覗かせる。
頭に浮かぶのは先日出会った銀髪の少年とダリアである。気にしないように自分に言い聞かせるものの中々上手くいかないものだ。
気を抜くと俯きがちになり、無意識に溜め息まで出てしまう。
雛罌粟は気合いを入れるべく自分の両頬をピシャリと叩いた。
「初日からこんな憂鬱モードじゃ絶対駄目だよ。気持ちを切り替えないと……っ!!」
そうして、気合いを入れ直した雛罌粟はふと前方を見た。
(ーーうん?)
雛罌粟の視線の先には何やら覚束無い足取りの少年らしき後ろ姿がある。
(ーー何だろう。凄くよたよたしてる……)
興味を覚えた雛罌粟が早足で少年に近寄ると、その覚束無い足取りの理由が分かった。
(ーーうわわ。この男の子、一人で分厚い本を何冊も持ってる……。こんなんじゃ確かに歩くの大変だよね……)
雛罌粟が手伝うべく声を掛けようとした、丁度その時……。
「ーーあっ」
「ーーわわっ」
少年の手から落ちた書籍の束が大きな音を立てて廊下に散乱した。
雛罌粟は少年の元に駆け寄ると散らばる書籍を拾い上げる。
「大丈夫? 拾うの手伝うよ」
「ーー有り難う、助かるよ」
透き通る様な白い肌に、柔らかそうな黒髪と橙色の大きな瞳の可愛らしい少年である。銀縁の眼鏡が利発そうな印象を与えている。
少年は少し恥ずかしそうに微笑むと、雛罌粟と同じ様に散らばった書籍を拾い始めた。
二十冊はあろうかという本も二人で拾えばあっという間に片付いた。
「ーー借りていた本を図書室に返しに行く所だったんだけど、恥ずかしい所を見られちゃったな」
「それなら私も途中まで本を運ぶの手伝うよ。こんなに沢山あったら一人で運ぶのは大変だもんね」
「そうして貰えると助かるけど、迷惑じゃないかい?」
申し訳なさそうに言う少年に雛罌粟はかぶりを振って答える。
「全然大丈夫。私、これから職員室に行く所だったんだけど、図書館だったら丁度途中だからね」
「それならお言葉に甘えて……。あ、そう言えば自己紹介がまだだったね。僕はシュトリ・メルゥ。宜しく」
「私は常磐雛罌粟だよ。こちらこそ宜しくね、シュトリ」
お互いに山積みの本を抱えて微笑み合うと、二人は図書館に向けて歩き始めた。
(ーーうーん。十冊でも結構重いかも……)
半分の十冊でも中々の重量だ。一人で全部一人で運ぶとなるとかなり骨が折れそうだ。
「ーーあ、そういえば……」
シュトリと並んで歩きながら、雛罌粟は先程から気になっていたある事を口にする。
「どうかした? 常磐さん」
「ーー本を拾っている時に思ったんだけど、殆んどの本が『星の賢者』……? に関しての本だったから、ちょっと気になって」
雛罌粟の言葉にシュトリは「あぁ……」と少しばつの悪そうな顔をする。
「ーー実は僕、『星の賢者』の大ファンなんだ。自分でもちょっと子供っぽすぎるかなぁとは思ってるんだけどね」
はにかんで言うシュトリだが、雛罌粟の反応が薄い事に気付くと微かに首を傾げる。
「ーー常磐さん、もしかして『星の賢者』を知らないの?」
「うん。今初めて聞いたよ」
雛罌粟の言葉にシュトリは目を丸くする。
「ーー常磐さんも此処にいるってことは魔術士なんだよね? それなのに『星の賢者』を知らないだなんて、珍しいね」
そう言ってから、シュトリは自分の言動に気付いたのか「あ、ごめんね。別に馬鹿にしてるとか、そんなつもりは全然無いんだ」と慌ててフォローする。
そんなシュトリに雛罌粟は軽く笑って見せた。
「全然気にしてないから大丈夫だよ。魔術の事とか、知らないことだらけなのは本当だしね。でも、その『星の賢者』さんはシュトリが大ファンって言うくらいだから、きっと凄い人なんだね」
シュトリはそんな雛罌粟の横顔をまじまじと眺めると、やがて照れた様に笑んだ。
「ーーうん」
それから、図書室に着くまでの間、シュトリは雛罌粟のために彼の知る星の賢者について簡単に話して聞かせた。
ーー魔術の世界に生きる者ならば知らない者は居ない程の伝説的な人物であること。
ーー同じく伝説的な存在である8人の属性魔術の祖とも親交があったらしいこと。
ーー不老不死の清廉潔白な人物であるとされ、太古の昔から人々の営みを見守っていると考えられていること。
「魔術士の家に生まれた子供は、小さい頃から星の賢者や8人の始祖達のお伽噺を寝物語に聞いて育つんだよ」
「へぇ、そういうものなんだ」
シュトリの話す通りならば、確かに魔術に関わる人間にとってはかなり身近な存在である様だ。
真剣に耳を傾ける雛罌粟。
そんな中、シュトリは微かに表情を曇らせる。
「ーー最近は研究が進んで、8人の始祖は実在がほぼ確定だって言われてるんだけど、星の賢者の方は逆に創作だって言う研究者が増えてるんだ。……僕は、星の賢者は実在するって信じたいんだけどね」
寂しげに言うシュトリに、雛罌粟は胸に込み上げる物を感じた。
「ーー大丈夫、きっといるよっ!!」
勢いよく言い切った雛罌粟に、シュトリはぱちぱちと目を瞬かせると小さく吹き出した。
「ーー有り難う。常磐さんが言うと本当にそんな気がしてくるよ」
そうして他愛ない話をしつつ歩き続け、やがて二人は図書室の前に到着した。
「常磐さんのお陰で本当に助かったよ。有り難う」
「ううん、これくらい御安いご用だよ」
「その腕章、常磐さんも今日から中等部の一年生だよね。僕も同じなんだ。同じクラスになれると良いね」
「うん!! その時は宜しくね」
こうして、シュトリと思わぬ出会いを果たした雛罌粟は図書室を後にして職員室へと歩を進めた。
憂鬱な気持ちで満たされていた胸の内はいつの間にやら晴れやかに澄み渡っていた。




