3話 雛罌粟の入学準備(後編)
商店街のカフェで二人と別れた雛罌粟は、一人学生寮への道を歩いていた。
『ーーごめんなさいね、げしちゃん。ちょっと上から呼び出しが掛かっちゃったみたい。今から二人抜けるけど、大丈夫?』
『ーー雛罌粟、一人で学生寮まで戻れる?』
商店街のカフェでの会話である。わざわざ雛罌粟を学生寮まで送り届けようとするティアラーゼに「大丈夫だから」と言い聞かせて別れたのがつい先程の事。
(ーーティアは心配性だなぁ。商店街と学生寮はここの所ほぼ毎日行き来してるし、流石に心配いらないのに……)
カラフルなタイルの敷き詰められた商店街区画を出てから暫く歩くと大きな川があり、この川に架かる橋を渡った先に学生寮がある。
雲間から差し込む陽光を受けて煌めく水面と、緩やかな水の流れ。日本でもそうであったが、雛罌粟は川を見る事が好きだった。
石橋を渡りながら、きらきらと光る水面へと視線を落とす。
ふと、視線を上げた雛罌粟が前方ーー橋の中央付近を見やると、そこには何やら見慣れない人影があった。
(ーーあれ? 誰かいる?)
そう大きくもない橋である。人影と雛罌粟の距離はすぐに縮まり、その姿が露になる。
それは雛罌粟とそう変わらない年頃の少年だった。
先程までの雛罌粟と同じ様に、水面へと視線を向けていた少年もまた、近付く雛罌粟に気付いたらしく顔をを上げた。
癖の無い銀灰色の髪に、淡い水色の瞳。雛罌粟を視界に納めた少年の瞳が驚きに見開かれる。
突き刺さる少年の視線に若干たじろぎつつも、雛罌粟は人好きのする笑顔を浮かべて口を開いた。何はともあれ、先ずは自己紹介だ。
「ーーえっと、初めまして。私は常磐雛罌粟、9月からこの学園に通う事になったんだ」
この区画にいるということは少年も中等部の生徒なのだろう。新学期は9月からだが、ティアラーゼ同様にこの少年も早めに故郷から学園に戻って来ているのかもしれない。
「ーーまだこの島に来てばかりで色々と不慣れなんだけど、良かったら……」
「ーーお前も無理矢理連れてこられたのか?」
雛罌粟の「仲良くしてね」という言葉を遮る形で紡がれた少年の言葉に、今度は雛罌粟が目を丸くする。
「ーーえ? 別に無理矢理じゃないよ?」
雛罌粟は自分がこの島に来ることになった経緯を思い出す。確かに今思えば花咲家に直談判にやって来たアマーリエはかなり強引ではあった気もする。
(ーーでも、最終的に決めたのは私自身だから)
改めて自分の気持ちを再確認した雛罌粟だったが、対する少年は何か信じられない物でも見るかの様な目で雛罌粟を見ていた。
「ーーは? じゃあお前、自分からこんな糞みたいな島に来たって言うのかよ」
「うん、そうだよ」
「ーーお前、この島がどういう島なのか分かって言ってんのか」
「え? うん、魔術士達の島だよね」
首を傾げつつ答える雛罌粟に、少年は押し黙る。若干俯いた事で前髪が影になり、少年の表情は窺い知れない。
数秒の後、顔を上げた少年は不快感も露に言い放った。
「ーーもういいや。お前うざいし、さっさと消えてくれない?」
「ーーえっ!? う、うざい……っ!?」
ほぼ初対面な相手に向かってあんまりな言い様である。ショックの余り言い返す言葉も出て来ない雛罌粟を見て、少年は何を思ったのか雛罌粟との距離を一歩詰めた。
(ーーな、何!?)
少年は警戒する雛罌粟に向かって手を伸ばすとーー。
ーーそのまま雛罌粟のポニーテールを掴み、思い切り引っ張った。
「ーーい、痛い……っ!! って、わわ……っ!?」
思わぬ痛みに驚いた雛罌粟は体勢を崩し、そのまま転倒した。
「ーーい、いたた……」
起き上がった雛罌粟が何とか前方を確認すると、既に雛罌粟に背を向けて歩く少年の姿が目に入る。
学生寮とは反対側、商店街の方向だ。
「ーー何なの、もう。結局名前も聞けなかったし……」
涙目になりながら、雛罌粟は少年の背を見送る。
「ーー学生寮に帰ろう……」
銀髪の髪の少年と苦い邂逅を果たした雛罌粟は、擦りむいた膝を擦ると、とぼとぼと学生寮への帰路についた。
*****
(ーーはぁ。ティアみたいに友達になれるかと思ったけど、簡単にはいかないなぁ……)
先程の少年との会話を思い出しつつ、雛罌粟はどんよりとした心持ちで学生寮まで戻った。
アマーリエとティアラーゼ、リオネルとカフェの店員さんに続く、この島での新たな交流は残念ながら失敗に終わってしまった。
(ーーもうすぐ学校が始まるっていうのに、私、上手くやっていけるかなぁ……)
重苦しい溜め息をつきつつ、雛罌粟が学生寮の出入口に差し掛かった時ーー。
雛罌粟がマットを踏むよりも先に自動ドアが開き、奥から勢いよく人影が飛び出して来た。
「ーーえっ!?」
「ーーはっ!?」
雛罌粟と人影の目が合った、次の瞬間ーー。
二人は勢いよく激突し、その場に倒れ込んだ。
「ーーい、痛たた……。今日は転んでばっかりだなぁ、もう……」
その場で尻餅をついた雛罌粟が、愚痴を零しながら立ち上がる。
そうして、雛罌粟と盛大に激突して仰向けに倒れている人物の元に近寄った。
仰向けで目を回しているのは、これまた雛罌粟と同年代らしきウェーブがかった長い黒髪の少女である。
只の転倒とは言え、打ち所次第では洒落にならない場合もある。雛罌粟は少女に意識が有るかを確認するべく声を掛けた。
「ーーあの、大丈夫?」
「ーーえ、ええ。何とか……」
少女に意識があったことに安心した雛罌粟は小さく安堵の溜め息をつくと、少女に向かって手を差し伸べた。
「ーーまぁ、ご丁寧にどうも……」
雛罌粟の手を掴み立ち上がった少女だったが、雛罌粟の顔を見るや否やそれまでとは打って代わって蔑む様な顔付きに変わった。
「ーーって、あらまぁ見ない顔だと思ったら東洋人ではありませんか!!」
「ーーへ?」
突然の少女の変わり様に呆ける雛罌粟に、黒髪の少女は畳み掛けるように言い放つ。
「まぁ、なんて間の抜けた顔!! 貴女、一体何者ですの。不審な東洋人として通報しますわよ!!」
「ーーふ、不審な東洋人って……。確かに日本人だから東洋人だけど……」
「ーーお黙りなさい。わたくしが名を名乗れと言っているのが理解出来ませんの!?」
「常磐雛罌粟だけど……」
「あらあら、まぁまぁ……生意気にも花の名前だなんて分不相応にも程がありますわね。貴女なんてケシ粒がせいぜいでしょうに……」
橋から続く理不尽の連続に、流石の雛罌粟も頭に血が上った。
(ーー何て失礼な……っ!!)
「ーーい、幾らなんでも初対面で失礼過ぎるよ……っ!!」
しかし、雛罌粟の憤慨も何のそのといった調子の少女は「ふんっ」と鼻を鳴らすのみだ。
「本来わたくしは貴女の様な下々の者と話す様な身分ではないのですが……まぁ、良いでしょう。聞いて驚きなさい、わたくしの名ははダリア・アレンスカヤです」
スーパーモデルよろしく華麗なポージングを決めるダリア。
しかし、一方の雛罌粟の反応は薄かった。
「ーーえっと、そうなんだ。宜しく、ダリア」
二人の間に沈黙が降りる。
「……」
「……」
沈黙に耐えきれず、先に口を開いたのはダリアだった。心なしか握った拳が震えている。
「ーーま、まさか貴女……アレンスカヤを知らないとは言いませんよね?」
「えっと……ごめん、初めて聞く名前だね」
雛罌粟の返答にダリアは頭を抱えた。次いで自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟く。
「水属性魔術の大家であるアレンスカヤを知らないとは……。東洋人と言えど無知は罪ですわね……。しかし、浅学なケシ粒に怒っている様では名家の淑女とはとても言えません……」
「ーーダリア、属性持ちなの!?」
念仏を唱えるかのごときダリアの呟きの中に興味深い単語を聞いた雛罌粟が顔を輝かせる。
「属性持ちってこの学園でも凄く珍しいって聞いたよ!! うわぁ~、凄いなぁ。まだ来てばっかりなのにもう二人と知り合っちゃったよ……っ」
頬を紅潮させて瞳を輝かせる雛罌粟だが、対するダリアは何故か視線を泳がせる。
「ーーわ、わたくしは属性持ちではありませんけれど……お祖父様までは確かに属性判定有りでしたから、ま、まぁ……実質わたくしも属性持ちと言って差し支えないでしょう……」
先程までよりも若干トーンダウンした口調で話すダリアを雛罌粟はまじまじと見た。
(ーーえぇ、それってダリアは属性持ちって言わないんじゃ……)
ダリアの言葉に対する見解を口には出さず心の内に留めたつもりの雛罌粟だったが、残念ながら顔に出ていたらしい。
「ーーな、何ですかその顔は。そもそも魔力因子も属性因子も代を重ねるごとに薄まっていくものですから、これは全くもって自然な事なのです!!」
喋っている内に元の調子を取り戻しつつあるのか、ダリアは更にヒートアップする。
「だいだい話を元に戻しますが、此処は伝統ある誇り高き魔術士達の学び舎であって、貴女の様なケシ粒風情がいて良い場所ではないのです……っ!! それが分かったならせいぜい身の程を弁えて行動なさるのね……っ!!」
たじろぐ雛罌粟に調子を良くしたらしいダリアは「ふんっ」と鼻を鳴らして雛罌粟の横を通り過ぎる。
「わたくし、人探しで忙しいんです。ケシ粒にかかずらっている時間などありませんの」
通り過ぎざまに吐き捨てる様にそう言うと、呆然と立ち尽くす雛罌粟を残し、ダリアは石橋の方へと歩いて行ってしまう。
その場に残された雛罌粟は、ダリアの姿が見えなくなってから大きな溜め息をついた。
「今日はいったいどういう日なの、もう……」
もうすぐ雛罌粟の学園生活が幕を開けるというのに、幸先が悪過ぎはしないか……。
雛罌粟はがっくりと肩を落とすとそのまま学生寮の自室へと帰って行った。




