2話 雛罌粟の入学準備(中編)
正午過ぎ、中等部区画商店街のとあるカフェ。テラス席にはここ数日ですっかり馴染みの客となった三人組の姿があった。
「ーーどう、雛罌粟。この島での生活には慣れてきた?」
そう言ったのは豪奢な金髪の巻き髪にエメラルドグリーンの瞳の人形めいた美貌の少女、名をティアラーゼ・バベルハイズという。
スコーンにジャムを塗る仕草すらも上品な少女は雛罌粟がこの島に足を踏み入れる一番の切っ掛けとなった人物でもある。
「うん! まだまだ分からない事だらけだけど、二人がいるから心細くも無いしね」
雛罌粟がエッグタルトを齧りながら言えば、ティアラーゼは安心した様に口許を緩めた。
「それなら良かった。雛罌粟はアマーリエ先生から魔術の講義を受けているんだよね? そっちはどう?」
「ちゃんと理解するのはまだ難しいけど、何とか着いて行ってるよ。アマーリエ先生の教え方が上手いからだね」
「そうだね。アマーリエ先生は学園でも気さくで教え方も上手いって人気がある」
「ーーもう、おだてたって何も出ないわよ?」
それまで黙って子供達の話を聞いていたアマーリエが紅く染まった顔を誤魔化すようにアイスコーヒーを煽る。
アマーリエの珍しい様子に雛罌粟とティアラーゼも顔を見合わせて笑った。
「ーーまぁでも可愛い生徒達に褒められて悪い気はしないわね。良いわ、折角ティアラーゼもいることだし、少し特別授業といきましょうか」
こほんと咳払いを一つ。教師モードになったアマーリエの言葉に、雛罌粟とティアラーゼもその場で居住いを正した。
「そうね、午後のテーマはズバリ『魔術士』でいきましょう。『魔術士』と『魔術士でない人』の分かれ目は何だと思う? ティアラーゼ、答えてみてちょうだい」
「生きた『魔力炉』の有無でしょうか」
迷い無く答えるティアラーゼに、アマーリエは満足げに頷いた。一方の雛罌粟は初めて聞く単語に首を傾げる。
「魔力炉?」
「人の身体には生まれつき魔力炉と呼ばれる目には見えない器官が備わっているのよ。
この魔力炉から作られる『魔力因子』という成分が、赤血球や白血球と同じ様に身体中を巡っていて、魔術の行使にとても重要な役割を果たすの。
さて、最初の問題に戻るわね。この『魔力炉』は初めに言った通り、生まれつき誰もが持っている器官よ。でも、残念なことに殆どの人の魔力炉は現代では退化していて魔力炉としての機能を持っていないのよ」
雛罌粟は脳裏でティアラーゼの解答とアマーリエの説明を反芻する。そして何かに気付いた様に「ーーあぁ、それで!」と手を叩いた。
「ーーそれで『生きた魔力炉』なんだね。その、『魔力因子』を作れる魔力炉を持っている人が魔術の素養がある人で、『魔術士』なんだ」
「その通りよ。この魔力炉にも個人差があって、作られる魔力因子の量や質は人によってかなりの差が出てくるの」
アマーリエの言葉を横からティアラーゼが補足する。
「基本的に、古代から現代に掛けて魔力炉の機能は低下していっているというのが定説」
「へぇーー。それじゃあ昔の魔術士の方が優秀だったんだ」
「げしちゃんはここ最近じゃ珍しいくらい元気な魔力炉を持っているから、きっと昔の魔術士も顔負けの優秀な魔術士になれるわ」
「えへへ、そうかなぁ~」
アマーリエに太鼓判を押され、雛罌粟は照れた様に頬を掻いた。これから魔術を覚えるのが俄然楽しみになってくる。
「魔力炉で作られる魔力因子だけど、これには実は二種類あるの。一つは普通の魔力因子……これはどの魔力炉でも作られるもので、誰でも持っているものね。そしてもう一つが属性因子と呼ばれるものよ」
「ーー属性因子?」
雛罌粟にとって又しても初耳の単語だ。メモ帳を持って来なかった事が悔やまれる。
「ーーええ、そうよ。この属性因子は大昔に実在した8人の特別な魔術士に関わる家系にだけ伝わる希少な魔力因子なの」
大昔に生きた特別な魔術士とその後継者という事だろうか。何ともロマンのある話だ。
「その属性因子がある人は、ない人とどう違うの?」
只の魔力因子でも午前中に見せて貰った「姿隠しの魔術」や「着せ替え魔術」など雛罌粟からすれば十分過ぎる程の魔術が行使出来るのだ。その属性因子ならばどうなるのだろう。
雛罌粟の疑問に答えたのはティアラーゼだった。
「ーー属性魔術が使える」
「属性魔術?」
余りにもあっさりなティアラーゼの解答に、雛罌粟の疑問は深まるばかりだ。そんな二人の様子にアマーリエが助け船を出す。
「そうね、属性因子には地・水・火・風・雷・鉱・緑・癒の8つがあって、それに対応する属性魔術が使えるのよ。
属性因子の持ち主を属性持ちって言うんだけど、属性魔術の始まりの8人は魔術の長い歴史の中でも飛び抜けた偉人だから、現代でも属性持ちはそれだけで他の魔術士から敬われるのよ」
「ーー属性持ちは魔術士の中でも特別な魔術士って事だね。でも、特別な魔術士かぁ。良いなぁ、私にもその属性因子ってやつ、有ったりしないかなぁ……」
特別な魔術士の力を受け継ぐ特別な魔術士。子供心にかなり突き刺さる話だ。雛罌粟はうっとりと目を閉じて空想に浸った。
そんな雛罌粟にアマーリエは苦笑する。
「ーー残念だけど、私もげしちゃんも属性因子は無いのよ。属性持ちはかなり希少でね。この学園内でも数える程しかいないのよ」
「そうなんだ、残念……。でも、属性持ちってそんなに少ないんだね」
世界中の魔術士達が集まるこの島の学園ですらそうなら、その属性持ちは雛罌粟が思う以上に珍しい存在の様だ。
長い時の流れの中では仕方が無い事かもしれないが、遥か古の魔術士達の残した遺産が薄れていくことは雛罌粟には酷く残念な事に思えた。
雛罌粟は始まりの8人と現代の属性持ち達に想いを馳せる。
しかし、そんな雛罌粟の思考はアマーリエの「ちなみに、ここにいるティアラーゼは鉱の属性持ちなのよ」という何気無い言葉によって一瞬で掻き消された。
かなりの爆弾発言である。
「ーーえぇ……っ!? ティア、属性持ちなの……っ!?」
思わず手にしていた三つ目のエッグタルトを取り落とす程に驚愕する雛罌粟だが、当のティアラーゼは表情一つ変えずに「うん」と一言答えるのみだ。
「凄い凄い!! それじゃあティアは学園でも数える程しかいないっていう属性持ちの内の一人なんだね!! 鉱属性だっけ? あんまりイメージが沸かないけど、どんな属性なの?」
「鉱の属性持ちは鉱物に関する魔術が使えるのよ。石の魔術なんて呼ばれる事もあるわね」
ティアラーゼの代わりに答えたアマーリエの言葉に、雛罌粟の脳裏に以前日本にあるバベルハイズ別邸で見たティアラーゼの水晶を用いた魔術が思い浮かんだ。まさにあれは石の魔術だったのだろう。
きゃっきゃとはしゃぐ雛罌粟に、しかし当のティアラーゼの表情は何処か浮かない。
「ーーそんなに大したものじゃないから」
「ティア……」
何処か物憂げに見える友人の姿に、流石の雛罌粟も幾らか舞い上がっていた態度を改める。
そんな何処と無く重い雰囲気が漂い始めていた場に、無機質な電子音が響く。
音の出所はテーブルの上に置かれていたアマーリエのスマートフォンだ。アマーリエは二人に一言断りを入れると滑らかな動きで端末を操作し、画面に目を落とす。
やがて、アマーリエは端末から顔を上げた。
「ーーティアラーゼ、呼び出しよ。今から一緒に行きましょう」
アマーリエの言葉に、呼び掛けられたティアラーゼが目を細める。
「ーーはい」




