第19話 旅立の日(前編)
いよいよ出立の日。慣れ親しんだ萌木町を離れ、魔術士達の島ーーマギア・グランデへと旅立つ朝だ。
時刻は早朝。朝日和に鳥達も喜んでいるようだった。
(ーーアマーリエ先生が迎えに来るのは午後になってからだよね)
枕元には雛罌粟の荷物を詰め込んだトートバッグが置かれている。昨日花咲家の面々や志月達から受け取った心尽くしの品々も勿論納められている。
「……」
まだ夢の中にいる真凜と凛太郎を起こさない様にいそいそと着替えを終えた雛罌粟は、一階の厨房で仕込みをする悦子に朝の挨拶をすると花咲家を飛び出した。
向かうのは裏山だ。
歩き慣れた山道をずんずん進み、雛罌粟は思う。
(ーーもう今朝がラストチャンスだもん。赤槻さんにもちゃんとお別れを言っておきたい……っ)
マギア・グランデへ移り住む事が決まってから、雛罌粟はこの萌木町で世話になった人達にこれまでの感謝と別れの挨拶をして回っていた。
(ーーでも、赤槻さんには最後に湖の夢を見た日から一度も会えてない……)
赤槻も雛罌粟の大切な人の一人だ。この裏山で時には雛罌粟の悩みを聞いて貰ったり、時には赤槻の好きな本の話を面白おかしく話して貰ったり。とても楽しい時間だったのだ。
祈る様に山頂を目指した雛罌粟は、見晴台のベンチにお目当ての人物の姿を認め破顔する。そのまま息急き切ってベンチへと駆け寄った。
「ーー赤槻さん……っ!!」
ベンチに腰掛け、文庫本のページをめくる姿は雛罌粟にも見慣れた赤槻の姿だ。
「おはようございます、雛罌粟さん。……っと。おやおや、息を切らしてどうしました」
「ーーあのね。私、今日は赤槻さんにお別れを言いに来たんだ」
思いがけない雛罌粟の言葉に、赤槻はその世にも珍しい宝石の様な瞳を丸くした。
*****
「ーーでは、雛罌粟さんは前に話して下さった外国人のお友達と同じ場所に?」
「うん、大西洋の島なんだって」
「そうですか……。また雛罌粟さんの好きそうな本のネタも溜まって来ていたんですが、寂しくなりますね」
肩を落とす青年を「長いお休みには萌木町に戻るから」と宥めながら、雛罌粟は先日青年と交わした会話を思い出していた。
『その夢は、これから雛罌粟さんの身に起きる、雛罌粟さんにとってとても大切な事柄の予兆なのかもしれません』
ーー雛罌粟にとって、とても大切な事柄。
「ーー前に私の夢の話をした時に、赤槻さんが話してくれた話があったよね」
「予兆や兆しの話ですね。ええ、勿論覚えていますよ」
「ーーあれから色々な事があって……。あの時赤槻さんが言っていた通り、私にとって凄く大切な事……ずっと気になっていた私の本当の両親の事とか、そもそも私が本当は何処の誰なのか……今まで全然分からなかった色々な事がもしかしたらこれからの毎日で分かるかもしれないんだ」
「あんまり上手く言えないんだけどね」と恥ずかしそうに言う雛罌粟の言葉を、赤槻は最後まで真面目に聞いた。そして、「そうですか」と空を仰ぐ。
「うん。だから私、新しい場所でも精一杯頑張るね」
「ええ、雛罌粟さんの思うまま行動してみる事です。私は雛罌粟さんの自分探しの旅を応援していますから」
赤槻は更に言葉を重ねる。
「離れていても、私を始め萌木町の皆が君の事を思っています。新たな地では楽しい事だけでなく辛いことも沢山あるでしょう。でも、きっと雛罌粟さんならば大丈夫。新たな地で結んだ縁が君を良い方へ導いてくれます」
赤槻の言葉に雛罌粟は目を潤ませる。そして大きく頷いた。
そんな雛罌粟に赤槻は穏やかな微笑みを浮かべると、何処からか白い長方形の小さな小箱を取り出した。
不思議そうな顔をする雛罌粟の前に、赤槻は小箱を差し出す。
「私からも旅立つ雛罌粟さんに贈り物を。良ければこれを持っていって下さい」
「開けてみても良い?」
赤槻が頷くのを見て、雛罌粟は白い小箱を開いた。
小箱の中には楽器や杖等を型どった小さなアクセサリーチャームの様な物が8つ納められている。
「ーーわぁ、きれい……」
「幸運の御守りですよ」
「でも、こんな綺麗なもの貰っちゃっても良いの?」
「勿論です。此処での私との語らいの思い出として、是非持って行って下さい」
赤槻の言葉に雛罌粟は大きく頷いた。
萌木町で出会った多くの人々との絆を胸に、雛罌粟は新たな地へと向かう。




