第17話 花咲家の来客(後編)
場所を居間に移し、真凜と凛太郎が部屋の隅で固唾を飲んで事の成り行きを見守る中、アマーリエと悦子、雛罌粟の三人がちゃぶ台を囲む。
出された麦茶を一口飲んでから、アマーリエは口を開いた。
「ーー私はアマーリエ・フォン・ベッセル。本日はこちらの雛罌粟ちゃんについて、折り入ってお話をさせて頂きたくこちらに参りました」
アマーリエの言葉に悦子は眉根を寄せる。その顔には不審感がありありと浮かんでいた。
「し、失礼ですが……」
「あぁ、申し遅れました。宜しければこちらを……」
そう言ってアマーリエは一枚の名刺を差し出す。
「ーーは? 『ウィスルト魔術学園 教職員』? な、何ですかこれ。もしかしてふざけてます?」
「いいえ、そちらに書いてある通りですよ。魔術学校で教員をしています。勿論私自身も魔術士です。ーーそれで初めにお話させて頂いた通り雛罌粟ちゃんの件なのですが……」
「ちょ、ちょっと待って下さい……魔術だなんてそんな馬鹿な話が……」
いい加減にしてくれとでも言うように、悦子が額を押さえた。一方でそんな悦子に対してアマーリエは「ふむ」と小さく頷く。
「信じられないのも無理はありませんね。実際にお見せした方が早いか」
言うや否やアマーリエは精神を落ち着かせるかの様に深呼吸を一つする。
ーー次の瞬間、花咲家の大して広くもない居間はアマーリエから発せられた青い光に満たされた。
目映い光に雛罌粟は目を細めるが、他の三人はまるで無反応だ。
(アマーリエ先生の魔力の光……。悦子おばさん達には全然見えてないんだ……)
そんな中、アマーリエがまるで唄う様に言の葉を紡ぐ。
『ーー地の求めを知る人よ。必定の縛りより放たれ、ひとときの憩いを得よう。羽よりも軽い貴方よ、自由であれ』
アマーリエが言い終えてすぐ、変化は現れた。
「ーーえっ!!? ちょ、ちょっとどうなってるの……っ!!?」
「ーーおばさん……っ!!?」
「ーーう、うそ……っ!!?」
「ーーお母さんが浮いてるぞ……っ!?」
悦子の身体が重力に反してゆっくり浮かび上がり、その光景を目の当たりにした子供達からは次々と悲鳴じみた声が上がった。
「ーーア、アマーリエ先生……っ!! 悦子おばさんに酷いことはしないで……っ!!」
懇願する雛罌粟に、しかしアマーリエは軽く笑顔を見せるだけで何も答えない。
やがて、キャーキャー言いながら上昇を続けた悦子の身体は天井に止められた。その様はまるでヘリウム風船を思い起こさせる。
「ーーお、降ろしてぇ……っ!!」
「そうですね、そろそろ魔術が解ける頃合いです」
この世の終わりとでも言う様な悦子に、アマーリエがいとも軽い調子で言う。
事実、宙に浮いていた悦子の身体はアマーリエの宣言通り、電池の切れたラジコンか何かの様に唐突に落下ーー無駄の無い動きにより落下地点に移動したアマーリエによって抱き留められた。
「ーーどうでしょう。私が魔術士であること、信じて頂けましたか?」
「ーーは、はい……」
疲れ果てた様子の悦子の乱れた髪を手櫛で軽く整えてやると、アマーリエは再びちゃぶ台の前に座った。
悦子と雛罌粟もそれに続く。
「ーーアマーリエさんが魔術士、だという事は今のでよく分かりました。それで、その魔術士の先生がうちの雛罌粟にどういったご用でしょうか」
「ーー雛罌粟ちゃんには素晴らしい魔術の素養があります。その才能をこのまま埋もれさせない為にも雛罌粟ちゃんを私共に預からせて頂きたいのです」
アマーリエの言葉に「そんな馬鹿な」とでも言う様に悦子が雛罌粟の顔を見る。
「ーー本当だよ、おばさん。前に話した新しい友達……ティアにもそう言われたんだ」
「ティア……あぁ、何度かうちのお弁当を持って行ってあげてた子?」
「そうだよ。うちの唐揚げが好きな外国人の女の子だよ」
一方で先程まで悦子と同じく悲鳴をあげていた真凜と凛太郎は、この状況に慣れて来たのか「魔術ってマジかよ!!」「げし姉にもさっきみたいな事が出来るってこと!?」と興奮気味だ。
「ーーそういう訳でして……雛罌粟ちゃんの件、ご一考頂けませんか?」
「いえ、そう言われましてもですね……」
目の前のアマーリエが本物の魔術士だとしても、怪しい事には変わり無い。そんな所に娘を差し出せる訳も無い……それが悦子の率直な気持ちであった。
「私の所属するウィスルト魔術学園は世界魔術機構の下部組織です。機構は稀少な才能を保護する為ならば巨額の出資も惜しみません。ーー失礼ですが、こちらの弁当店……中々苦労をされている様子。私共で支援させて頂く事も可能です」
アマーリエの言葉に、その場にいた全員が目を見開く。
(ーーえ……っ!! もしかして私がアマーリエ先生と一緒に行ったら、家の借金を代わりに払ってくれるってこと……っ!!?)
雛罌粟が口を開こうとしたその時ーー悦子がちゃぶ台に勢い良く拳を振り下ろした。
「ーー馬鹿にしないでちょうだい……っ!! そんな娘を売るような真似出来る筈が無いでしょう……っ!!」
青筋を立てて、黒髪の女教師に怒鳴る悦子。
「ーーお、おばさん……」
「雛罌粟、変な事は考えなくて良いんだからね」
強気に笑って見せる悦子に雛罌粟は言葉を失う。「こんなチャンス滅多に無いのに」という焦りと「自分はとても大切にされている」という喜び……二つの感情が雛罌粟の胸の内で渦を巻く。
雛罌粟は隣に座る悦子の手に自身の手を重ねた。そして、悦子の視線が刺さるのを感じながらアマーリエに向き直る。
「ーーアマーリエ先生。私、先生と一緒に魔術学校に行くよ」
「雛罌粟、何を言って……っ!?」
「ーーあのね、おばさん。私、この花咲の家が大好き。血は繋がっていなくても私の家族は悦子おばさんと真凜と凛太郎だと思ってる。それに、花咲弁当は源治郎おじさんが残してくれた大切なお店だから、私がアマーリエ先生と一緒に行ってどうにかなるならそうしたい」
雛罌粟は更に言葉を重ねる。
「ーーそれにね。アマーリエ先生は私の本当のお母さんの事を知っているかもしれないんだ。私が本当は何処の誰なのか、知れるチャンスがあるなら逃がしたくない」
雛罌粟の真剣な眼差しに、悦子は今にも泣きそうな顔をした。
そうして一拍の後。悦子はアマーリエに深々と頭を下げた。
「ーーこの子を、どうか宜しくお願い致します」




