第14話 マギア・グランデ見学(前編)
(か、体が引っ張られる……っ)
アマーリエの腕に両手でしがみつき、雛罌粟は体が持っていかれそうになる感覚を耐える。やがて……長くも短くも感じられる時間が経過した後、奇妙な感覚と共に視界を奪っていた眩い光が収まった。
「うわ……っ!?」
反動でよろけた雛罌粟の体をアマーリエがとっさに支える。
「大丈夫?」
「う、うん。有り難う、アマーリエ先生」
「どういたしまして。さぁ、げしちゃん。無事に到着したわよ」
アマーリエの言葉に、雛罌粟は周囲を見回す。
「ーー何だろう。部屋はさっきと全然同じに見えるけど……空気がちょっと違う感じがする?」
「素晴らしいわ。感覚が優れているのは魔術士としても優れている証拠よ」
雛罌粟とアマーリエは相変わらず菱形の台座の上に立ったままだし、室内も同じく発光する液体で満たされている。一見すると何の変化も見受けられない。
二人は先程と同じ様に慎重に足場を渡り、アンティーク調のドアを開けた。
そうして、ドアの向こうに広がる光景に雛罌粟は驚愕する。
「ーー場所が変わってる……っ!?」
ドアの向こうにあったのは巨大な円形のホールで、ホールの中央には巨大な銅像が鎮座している。壁には雛罌粟達が今し方出てきた物と同じデザインのドアが幾つも並んでいた。
「他の部屋も私達が今出てきた部屋と殆んど同じ造りよ。世界各地にあるメイフィールドの私立図書館とこのマギア・グランデを結んでいるの。うふふ、凄いでしょう?」
アマーリエの言葉に雛罌粟はこくこくと頷く事しか出来ない。
「まるでテレポートみたい!! これも魔術なんだよね。凄過ぎるよ……っ」
「その通りよ。こんな素晴らしい物を残してくれた偉大な先人達に感謝しないとね」
*****
「ここは学園都市なのよ」
「学園都市?」
「ええ、そうよ。マギア・グランデはその名の通り魔術士達の島で、広大な大地には魔術士達の為の組織や団体が多く存在しているわ。この学園都市もその一つという訳」
転送魔術の建物から出た二人は、緩やかな傾斜の上り坂を歩いていた。
今のところ、人の気配はまるで無い。
長期休暇の期間中は多くの人が自分の故郷に戻って過ごすらしく、この時期のマギア・グランデは大体いつも閑散としているそうだ。
アスファルトで舗装された道を行く途中、園内マップと時計のモニュメントが設置されているのに気付いた雛罌粟は、時計が示す時刻を見て目を瞬かせた。
「あれ、朝の7時半……? あ、そっか。日本とは時差があるんだよね」
そもそも萌木町でアマーリエと会った時点で午後の3時頃だった。そこから電車で移動したり何やかんやで1時間近く使って、日本を発った時は午後5時に近かった筈だ。
「良い所に気付いたわね。そうよ、日本とマギア・グランデだと大体9時間位の時差があるかしら。なので、こっちはまだ朝よ」
「ティアはもう起きてるかな?」
「あの子は休みの日でも規則正しい生活をしてるから、きっともう起きてると思うわ」
アマーリエによると学園都市は大きく分けて「初等部」「中等部」「高等部」の3つの区画で構成されているらしい。それぞれの区画に学舎、事務舎、医務舎、学生寮、職員寮、商店街が設置されていて、区画内で生活が完結出来る様になっているのだという。
ちなみに、転送魔術の建物は基本的には事務舎に設置されている設備らしい。
「ティアは9月から中等部に進学するって言ってたけど、今はどっちにいるんだろう」
「一昨日から中等部に移ってるわね」
「それじゃあ、中等部の寮に行けばティアに会えるんだね! えへへ、楽しみだな~」
園内マップによれば、雛罌粟達が出てきた転送魔術の建物は中等部に置かれているものであった様なので目的地は近い筈だ。
弾む足取りでマップで確認した学生寮に向けて進もうとする雛罌粟。しかし、そんな雛罌粟をアマーリエが制止した。
「ごめんなさいね、げしちゃん。学生寮に行く前に寄らなくちゃいけない場所があるのよ」
「え、そうなの?」
「ちょっとした入島手続きみたいなものよ。医務舎に人を待たせているから、先にそちらに行きましょう」
(手続きなのに事務舎じゃなくて、医務舎なんだ? ちょっと不思議……)
少し疑問に思った雛罌粟だったが、この短時間でアマーリエの事もすっかり信用しきっているので、素直に従うことにした。
「はーい」
*****
中等部区画内に存在する白く巨大な建造物、医務舎と呼ばれるその場所は同区画内の住人達の健康管理を一手に引き受ける場所である。
「見た目は只の病院と変わらないでしょう?」
「うん、そう見える」
二重ドアの正面玄関口から中に入ると、広々としたロビーがある。幾つもの長椅子が等間隔に設置された待ち合い室だ。
(あ、白衣の人がいる……っ!! この人がアマーリエ先生が言っていた人なのかな……?)
受付にはカルテを携えた白衣の男性が立っている。
此処で初めて自分とアマーリエ以外の人間をマギア・グランデで見た雛罌粟だったが、白衣の人物は雛罌粟に訝しげな視線を向けた後、アマーリエと何やら言葉を交わしてそのまま二人の元から立ち去ってしまった。
(うーん、何を話してるのか全然分からなかった……。でも、あの人じゃあ無かったんだね……)
医務舎に入ってから急に口数が少なくなってしまったアマーリエに連れられ、雛罌粟は医務舎の奥へと進む。
階段で上階に上り、長い廊下を何度も曲がる。幾つもの部屋の前を素通りし、奥まった区画にある一室の前で漸くアマーリエは足を止めた。
ノックもせず、アマーリエは白く無機質なドアを押し開く。
そう広くはない無機質な室内。白い壁沿いにはガラス扉の棚が並べられ、中には多様な薬品が納められている事が見て取れた。部屋の中央にはパソコンや硝子の小瓶等が置かれた大きな作業台も置かれている。
そんな研究室の片隅に置かれたデスクにこの部屋の主と思しき青年の姿があった。
アマーリエとは同年代であろう、線の細い青年である。ティアラーゼのそれよりも色の薄い金糸の髪は後ろで一つに束ねられ、背中に流れていた。
(あれれ、全然こっちに気付いてないみたい)
デスクに向かう青年は何かに夢中になっているらしく、その横顔は真剣その物だった。一向にこちらに気付く気配もない。
「ーーアマーリエ先生、あのお兄さん全然こっちに気付いてないみたいだよ?」
「そうみたいね……」
「全くこの馬鹿は」と渋い顔をしたアマーリエはヒールの音を立てながら、青年へと近付いて行く。
そうして心配そうに様子を見守る雛罌粟をよそに、アマーリエは青年の手元から携帯ゲーム機を奪い取った。
「ーーっ!!?」
部屋に響き渡る衝撃音。
アマーリエの行動に酷く驚いたらしい青年が椅子ごと引っ繰り返っていた。
そんな青年の元に雛罌粟は慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ーーへっ? あ、もしかして……君がアマーリエが話していた日本人の女の子かい?」
「えっと……たぶん、そうだと思います」
「そうかそうか! いやぁ、想像していたよりもずっと可愛い子で良かったよ。僕の日本語ちゃんと通じてる? 変じゃないかな?」
「大丈夫です。ちゃんと分かります」
「それなら良かったよ。そうだ、数量限定の取って置きのキャンディーがあるんだけど、食べるかい?」
へらへらと笑う青年に、雛罌粟は少し困惑する。
(さっき、思いっきり頭を打ってた気がしたんだけど……大丈夫なのかな?)
そんな青年の元につかつかと歩み寄ったアマーリエは相変わらずの渋い顔だ。
「全く……何を変質者みたいな事言ってるのよ、貴方は」
「変質者ってそれはないだろう……。あ、それよりもさっき君が取り上げた物を返してくれよ。ここ最近の命の次くらいに大切な物なんだ」
アマーリエの手には先程青年から取り上げたゲーム機がある。電源も入ったままだ。
青年の言葉につられる様にアマーリエの手元に視線を向けた雛罌粟は、その画面に映る映像に感嘆の声を上げた。
「ーーあっ!! これって『ようこそ、あにまる村』だよね!?」
「君もこのゲームを知ってるのかい!?」
「勿論だよ!! テレビでも沢山CM流れてるし、学校の友達も皆はまってるよ!! 村長になって村をどんどん大きくしていくゲームだよね。友達の村に遊びに行ったりも出来るって聞いたよ」
「そうそう、そうなんだよ。たかがゲームと侮るなかれ。必死に大きくした村にレアリティの高い村人が越してきた時の喜びたるや……。やり込み要素も凄いし、本当に素晴らしいゲームだよ」
その後も「グラフィックの良さ」やら「村人達との掛け合いの楽しさ」等を延々と熱弁する青年だったが、唐突に頭頂部に振り落とされた拳骨によって半ば強制的に口を閉ざされた。
「ーー私がわざわざ貴方を此処に呼んでおいた理由はちゃんと分かっているのかしら、リオネル?」
「どうして君はそう暴力的なんだ。そんなんじゃ嫁の貰い手が無いぞ」
涙目で頭頂部を押さえる青年ーーリオネルが非難じみた眼差しを向けるも、アマーリエの方は何処吹く風といった様子である。
「心配して頂かなくとも結構。それで、準備はもう出来てるの?」
「あぁ、魔術士の適正検査だろ。しかも属性判定検査までやるって……。僕の知る限り日本に属性魔術士の家系なんて無かった筈だけどね……。全く何もこんな長期休暇中で検査技士がいない時にやらなくても良いのに……。」
「つべこべ言わずにやって頂戴。貴方がいつも仕事中にサボってスナック菓子やらケーキやら食べている事、上に報告するわよ」
「分かった、分かったよ。注射器の準備をするから少し待ってくれ」
あわあわと二人を見守る雛罌粟だったが、突如聞こえてきた「注射器」という言葉におののく。
「ーーえっ!? ちょ、ちょっと待って!! 注射器ってどういう事!?」
「ごめんなさいね、げしちゃん。ほんの少し血を採らせて貰うだけだから、そんな怖がらなくても大丈夫よ」
(いやいや、全然大丈夫じゃないよーー。そもそも此処に来たのって島に入る手続きの為だよね? それで血を採る必要があるの? ほんとにどうして?)
雛罌粟の脳内でぐるぐると思考が渦を巻く。古今東西、注射が好きな子供はいない。
携帯ゲーム機を返されたリオネルが頭を抱えて唸る雛罌粟を心配そうに見る。先程までとは反対の光景である。
そんな雛罌粟の元にアマーリエが近付いた。
先程の自分を思い出したリオネルは、思わず自分の口許を押さえる。
しかし、リオネルが心配する様な事は無く、しゃがみ込んで雛罌粟と視線を合わせたアマーリエは雛罌粟の耳元で囁いた。
「ーーこれもティアラーゼの為と思って頑張って、げしちゃん」
そう言われては、雛罌粟の取る行動は一つしかない。
「ーーが、頑張ります」
雛罌粟は注射を受け入れた。
巷で大人気のゲームのネタを使わせて頂きました。




