第10話 ティアラーゼの客人
ティアラーゼと別れた雛罌粟は屋敷を暇するべく、メイドに案内されながら玄関口へと歩いていた。
「お嬢様のあの様にいとけないお顔は、私もこちらにお仕えする様になってから初めて拝見致しました。きっと雛罌粟さんのお陰でございますね」
「いえ、そんなことは」
「これからもお嬢様と仲良くして差し上げて下さいましね」
「ーーはい!」
メイドの言葉に雛罌粟は満面の笑顔で答えた。きっと今頃ティアラーゼは客人を迎える為の準備に追われている事だろう。
(確か、ティアの学校の先生って言ってたよね……どんな人なんだろう)
長い廊下を歩きながら雛罌粟がそう考えていた時、前方から屋敷のメイドに案内されて来る背の高い人影が見えた。
(あれ、もしかしてあの人がティアのお客さん?)
背の高い、すらっとした女性だ。肩辺りで切り揃えた艶やかな黒髪に、キリッとした深緑の瞳。左目の下の泣きぼくろが少々ボーイッシュにも見える彼女の印象を和らげている。
ライトグレーのパンツスーツがとてもよく似合っていた。
(ーーわぁ、格好良い美人って感じだ)
まじまじと女性を注視する雛罌粟だが、相手側の女性はこちらに気が付いていないようだった。
すれ違い様、雛罌粟は軽く頭を下げ、
ーー次の瞬間強い力で腕を捕まれ引き寄せられた。
「ーーえっ!? ーーい、痛っ!?」
突然感じた鋭い痛みに雛罌粟が悲鳴を上げる。
今まさににすれ違おうとしていた、黒髪の女性である。
黒髪の女性は突然の事に理解が追い付かない雛罌粟の頬を両手で掴み、強引に顔を上げさせる。
そうして雛罌粟の顔を凝視した女性は驚愕に目を見開いて何事か呟いたが、その呟きは狼狽するメイド達の悲鳴じみた声によって掻き消された。
「ーー雛罌粟、何かあった!?」
メイド達の悲鳴を聞き付けたティアラーゼや他のメイド達が駆け付ける。
「ーーあ、私ったら何を」
自分のした事に思い至ったらしい女性がすぐさま雛罌粟を解放する。
「ごめんなさい、痛かったわよね?」
膝を屈めて、雛罌粟と目線を合わせるようにした女性が罪悪感を滲ませて言う。白人であろう女性もまた流暢な日本語を話しているが、今の雛罌粟はそこまで頭が回らなかった。
「だ、大丈夫……です」
雛罌粟が若干涙目になりつつ言うと、後方からティアラーゼが心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫だよ、ティア。ちょっとビックリしただけだから」
「そう……」
ひとまず安心したらしいティアラーゼが、黒髪の女性へと胡乱げな視線を送る。
「ーーアマーリエ先生、どうなさったんですか?」
ティアラーゼの言葉に黒髪の女性、アマーリエは困った様な顔をして言う。
「本当にごめんなさい。自分でも何故こんな事をしてしまったのか……」
アマーリエの言葉にティアラーゼは半目になる。そんなティアラーゼを見て、雛罌粟が慌てて二人の間に入った。
「ーーあの、私はもう大丈夫なので。アマーリエ先生も気にしないで下さい。ティアも、ね」
雛罌粟にそう言われたティアラーゼはそれで納得したのか、大人しく一歩下がった。
「アマーリエ先生はティアに用事があったんですよね。私はもう帰らないといけないので、今日はこれで失礼します」
アマーリエ先生の用事は急ぎの様だったし、雛罌粟の方も電車の時間がある。
尚も心配そうにするティアラーゼを安心させて、何とかその場を抑えた。
*****
屋敷の外まで見送りに出ていたティアラーゼとアマーリエは雛罌粟と付き添いのメイドの姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を見ていた。
真夏の午後4時はまだまだ日差しが強い。あちこちから聞こえてくる蝉の鳴き声が暑さを助長しているようだった。
「ーー可愛らしい子じゃない。それに、とても良い子そうだし。何にせよ、貴女にも同年代の友達が出来たみたいで良かったわ」
「はい。雛罌粟はとても優しいです。何度も助けられました」
「そう」
「はい」
その言葉を最後に二人の間に沈黙が降りる。お互いに姿の見えなくなったポニーテールのよく似合う栗色の髪の少女について考えているのだろう。
やがて、沈黙を破ったのは長身の女教師の方だった。
「ーーところで、あの子はどういった子なの?」
*****
メイドに駅まで見送って貰い、電車に乗り込んだ雛罌粟は驚きの連続だった今日一日を振り返っていた。
(ーーティアラーゼは実は魔術士で、海の向こうにある魔術士の学校に通ってるだなんて、何だか漫画や小説の世界のお話みたい)
電車の揺れを心地よく感じながら、雛罌粟はティアラーゼから発せられていた魔力の赤い光を思い出す。
本当に綺麗だった。
それに、だ。
(ーー私にも魔力の素養があるなんて。自分でも信じられないけど、ちょっとどきどきしちゃうな)
そうして、廊下で衝撃的な出会いを果たした黒髪の女性。
(ーー突然だったからびっくりしちゃったけど、あの先生も多分良い人だ)
何の根拠もなく雛罌粟はそう思った。
目を閉じるとティアラーゼと出会ってからの怒濤の様な日々が思い起こされた。大変な事も沢山あったけれど、素敵な事も沢山あった。
雛罌粟を乗せた電車は萌木町へと車輪を走らせ続けた。
長かった一日が幕を閉じる。
女教師、アマーリエ。中々の曲者です。




