2.悪魔の本領と冒険者の実力
「えっと、いつもの如く?」
この街ではあまり見かけない可愛らしい猫耳をぴょこんと生やし、長くしなやかで綺麗なベージュの髪を持つ亜人の店主が経営する宿屋に立ち寄った。
「はい、お願いします」
「そう言えば結構やつれましたね……?」
「あはは……」
何時も借りていることもあり部屋はほぼ固定。宿屋の店主さんも俺が稼ぎも少ない弱小冒険者だということを理解してくれているのか宿代を安くしてくれるので本当に有難くこの宿を利用させてもらっている次第だ。
『へー珍しいね? 亜人の、それも若い女の子が一人で切り盛りしてるんだ』
何時もの部屋に入るや否やすぐさま質問を投げかけて来た。
「親から引き継いだ大切な宿屋なんだってさ」
『稼ぎは充分なのかな?』
「それがあまり良くないらしくてな。稼げるようになったらまけてもらった分を返してやりたいと思っているんだよ。亜人ということもあって煙たがられるんだってさ」
『大変ね……』
この街では基本亜人は差別の対象として見られる。そのためか屋内でひっそりと暮らすケースが多くその姿を外で見ることは稀である。
亜人にとってすれば生きにくくて仕方がない。
『じゃあ明日はたーんと稼いであげなきゃね』
「まあ俺よりは稼ぎはいいよ。多分」
今だって小袋に入っている通貨は本当に無けなしのものばかりで満足に飯だって食えたものじゃない。クエストの分け前も少なかった訳だし。
『まあ今日はゆっくり寝ましょ!』
「それもそうだな」
――
『おーきーろー』
ラネアの声が脳内に響き渡る。
暖かな布団から出たくないと身体は訴えかけて来ている。あと少し、あと少しだけ寝ていたい。
『店主さんがご飯持ってきてくれたよ』
その声と内容を聞き、すぐさま目覚める。机の上には美味しそうな焼き魚と炊きたての白米、それと漬物があった。
「飯だッ! 何日ぶりの飯だろうか!」
『しっかり食べて備えなきゃね』
「頂きますッ!」
狂乱しつつも朝食を済ませる。久しぶりに胃が膨れた。こんな幸せな事があるだろうか。
「ご馳走さまでした……」
しみじみと思いながらそう手を合わせる。
支度を整え部屋を出て、何時もの様にカウンターにいる店主に感謝を述べてから宿屋を後にする。
いつもなら憂鬱に感じるこの道も今日だけは気楽で気分がいい。それもこれも全て店主さんのお陰だ。
『私のお陰は無い訳? モーニングコールしてあげたけど?』
……多少はある。かもしれない。
そうこうしている間にギルドへ入り、クエストが貼られるクエストボードの前に立つ。
実はこうやってクエストを眺めるのは初めてだったりするのだ。
今まではリーダーが手頃なクエストを見つけてくれていたからな。
「とりあえずスライム狩りか」
『そんな初級モンスター狩るの? 私が付いているんだしここはドラゴンの一匹二匹ババーと倒しちゃおうよ!』
何を言っているんだと横目に見ながら(実際には見てないが)スライム狩りのクエストの紙を手に取る。
「来てたのか」
背後から元リーダーであるアルガスの声が聞こえてくる。
「仕事……だからね。昇級試験?」
「聞くまでもねえだろ。何時までもスライムなんざ狩ってんじゃねぇぞ」
そういいアルガスが手に取ったのはワイバーン討伐のクエスト。明らかにレベルが違った。無論、昇級試験は突破したに違いない。
だが不思議な事にアルガスのパーティメンバーが少ない。まだ来てないだけかもしれないし俺の思い違いかもしれないが……。
『ワイバーンなんてまだまだね。ほら、ドラゴンを倒すわよ』
「何言ってんだか。俺はスライムか出来てゴブリンしか倒せないってーの」
『私を信じなさいな』
仕方が無いのでワンランク上のオークの討伐を受理することに。
はあ。そう溜息こそ聞こえてくる様だが、俺自身実力なんて無いに等しいし、まだラネアを信じきれている訳じゃない。出来ることならスライムを狩っていたいがそれは許してくれなそうである。つまり妥協点という訳だ。
『ちょっとでも店主さんに楽させたくない?』
「……」
実に唐突な問いかけだ。
俺からしたらまるで悪魔の囁き。
ドラゴンを単独で倒すなんて夢物語。このギルドではまだ誰も成し遂げてない偉業。だがラネアの言い方からしてその偉業が達成出来そうに感じてくる。
『さあ、やろう』
「いや……だが」
戸惑う俺の事など気にも止めていない。
『私を信じて』
真っ直ぐと芯の通った声が曲がった俺の気持ちを貫いたのだろう。
いつの間にか手にはスライムの討伐でもオークの討伐でもなく、ドラゴンの討伐が握られていた。
まんまと騙されたとはまた違う。
乗せられたのだ。だがどうしてか悪い気はしない。
「えー、リュアズ荒野のドラゴンの討伐を……ドラゴンの討伐!? 何考えているんですか!? 低ランク冒険者が、それもソロの冒険者がどうにかできる代物じゃないですよ!?」
視線が一気に集まる。
「いいから受理してくれ」
「死んでも知りませんからね! ギルドは一切責任を負いませんからね!」
そう言った趣旨のことが書かれた紙にサインを書かされる。
こちらを見る人達は皆嘲笑の一択で、誰もこれをこなせるとは思っていない。
だが俺と悪魔だけはそうは思っていない。
『見せてやろう。強くなった、ってところをさ!』
この自信に満ち溢れる悪魔と共にいればなんでもこなせる。そんな気がしてならないのだ。
――
『で、リュアズ荒野って何処にあるの?』
「この街を出て西にまっすぐ行くとあるんだ。昔は至って平和だったが漆黒のドラゴンが住み着いてからというもの生態系が狂うようになったらしい。それに何度も冒険者が挑んだが全員返り討ちか死亡だ」
『ふ〜ん。ドラゴンの強さなんて私にはどうでもいいんだけどね』
聞いておいてなんだその興味皆無な返答は。とも思ったがドラゴンの強さを勝手に語ったのは俺の方でこんな返答になるのも無理はないということに気付く。
朝出発しても馬車を借りなければ着くのは夕暮れ頃になりそう程には遠い。しかしそんなものを借りれる金は無いので仕方なく徒歩で行くしかないのだ。
街を出て暫く獣道を歩んでいたその時だった。
「グオオオオ!」
「!?」
上空から圧倒的な威圧感と存在感を放つ、二枚の羽根を持った真っ黒なドラゴンが何かを加えて物凄いスピードで通過する。恐らくあれがクエストのターゲットだ。
『さあ追うわよ!』
「いや、無理臭くないか? 地上に降りてからでも遅くは……っておい!?」
黒いキューブは唐突に俺を包むようにして変形をし始める。
そして完成されたのは足の爪先から頭の頂上まで覆い尽くす程のゴツめの鎧と剣。
急にこんなものを出されて困惑しないわけが無い。訳が分からなすぎる。
「ちょっと待て何だこの装甲は!?」
『何って……ただの装甲よ』
「騎士でも無ければなんなんだこれは!?」
頭は完全に隠れているものの、どうしてか前は見える。こんなゴツい装備をしていても動きやすいのがこれまた不思議だ。それに色々付いている様だし。
『脚には魔力エンジンが備わっているからぶっ飛ばせるわよ!』
「いやいやいや!? 意味わかんないから!? ぶっ飛ばせるって何が!?」
『私の魔力で発動させるよ。いち、にー……』
――ギィイイイイ!
「やめろおおおお!?」
「さーん!」
奇怪な音がしたと思えば次の瞬間、身体は宙を舞っていた。
「ああああああ!」
絶叫――
これは死ぬ。
確実に死ぬ。
説明不十分もいい所だ。
『ひゃっほーい! 背中には魔翼が備わっているから空を飛ぶことができるんだ! 気持ちいいね!』
「あばばばば」
どうやらバランスを取ることが出来たらしい。
風の抵抗に逆らう様に飛んでいる為、少しでも少なくしようと前のめりにするとより速くなった。
『さあ剣を構えて!』
どうやらあのドラゴンよりも明らかに速いスピードで飛んでいるらしい。最早俺の常識じゃありえない事が起こっている。
なんで、なんでこんな風にドラゴンよりも速く空を飛んでいるのだろう。
……考えるのはやめだ。今は言われた通りに、剣を構えて時が来たら振るおう。それでいい筈だ。
『やっとやる気になったわね! 頭を空っぽにして私に着いてきなさい!』
――今だッ!
赤黒い一本の閃光がドラゴンを垂直に、真っ直ぐに両断する。
それは雄叫びを上げる間もなく血飛沫を上げて墜落し、大きな砂埃と音を立てた。
事はほんの一瞬で片付き、後には余韻が残る。
『やるじゃない! 流石! 悪魔憑きの冒険者! ヒューヒュー!』
……俺がこのドラゴンを倒したのか?
ポカンとしつつもラネアは俺を褒め続ける。嬉しいのか、ラネアのお陰と思うのか。今の自分の感情はいったいどう言ったものなのか理解出来ずにいた。
きっとこの力は自重しなければ行けない物。
無闇に使っていいものでは無い。
『どうしたの? 嬉しくないの?』
「……いや、複雑な心境だよ」
『ここは素直に、ね?』
どういう訳か俺はガッツポーズを取っていた。