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盗まれ罪

作者: 村崎羯諦

「では、起訴状の読み上げをお願いします」


 原告側の席に座っていた検察官が立ち上がり、被告人の罪状を説明し始める。


「本事案は次のようなものとなります。被告人松前氏が事件当日、戸締まりを失念していたことから強盗滝沢明氏による住居侵入を助長し、さらに、家に侵入してきた強盗滝沢明氏に対して『誰だ貴様は!』という逆上を誘うような言葉を発したことで強盗犯の感情を逆なで。その結果、本来は暴行行為の意志がなかった強盗犯に自身への暴行行為を誘発したものとなります。さらには日頃から自身の身体メンテナンスを怠慢し、その結果一度の暴行行為でその場に倒れ込むという失態を犯し、それにより、強盗犯に松前氏の自宅から強盗犯が金銭約200万相当の物資を盗み取る機会を与えてしまった。これら一連の行為はいずれも、松前氏の過失によって誘発された強盗事件であり、松前氏がそもそも善良な市民たる相応な防犯行為を実施していれば未然に防げるものであって、その怠慢的な行為により、犯罪行為を惹起してしまったことのそしりは免れない。したがって、被告人に対しては、住居侵入され罪、暴行され罪、および盗まれ罪の計三つの罪に対して、懲役三年を求刑します」


 検察官側が座り、裁判官が被告人側席を見る。被告人席には整髪料で髪を整えた若い弁護士の男性と、顔に強盗事件の際にできた痣を持った、若い青年が座っていた。


「それでは、被告人。何か意見は?」

「意見も何もこんなの絶対におかしいじゃないか! 私は何も悪くない!」


 机を拳で叩きつけながら被告人が叫ぶ。しかし、裁判長は眉間にしわを寄せ、被告人を睨みつける。


「形だけでも反省の色を示していた方が情状酌量の余地もありますよ」

「そんなの糞食らえだ。そもそも、私が一体何をしたというのか説明してくれ!」

「説明するまでもないですよ。あなたが戸締りを忘れ、自宅に金品を置くという真似をして窃盗犯を誘惑し、その結果として社会に犯罪者を生み出してしまった。また、あなたが被害届を出したせいで、警察が出動し、捜索がおこなわれ、犯人は逮捕され、そして裁判が開かれた。あなた一人のせいで一体どれだけの人間の時間を奪われ、そして貴重な税金が使われたと思っているのですか?」

「だって……それが彼らの仕事だろ」


 被告人が反論を加える。しかし、その意見に裁判長はやれやれと肩をすくめる。


「はあ、自分さえ良ければいいという精神は見ていて本当に醜いですな。まあしかし、あなたの言う通り、ただ税金が使われたというだけなら問題はないでしょう。道義的にはもちろん別ですが。しかし、あなたの行いのせいで取り返しのつかない傷を負っている人もいるのです。少し早いですが、被害者参加人を呼び出しなさい」


 裁判長がカンカンと木槌を叩く。その音に合わせて検察官側の扉が勢い良く開き、やつれた男が警備員に挟まれた格好で入廷してきた。男の顔を見た被告人があっ! と叫ぶ。やつれた男はたどたどしい足取りで証言台に立つ。


「ご自身の名前と被告人との関係を説明してください」

「滝沢明、38歳。職業無職で、現在は府中刑務所で服役中です。被告人との関係ですが、まさに私が被告人の防犯意識の低さゆえに窃盗犯となってしまった被害者なのです」


 やつれた男がたどたどしく説明し終わると同時に、被告人が下品なヤジを投げかける。


「てめぇ! よくもいけしゃあしゃあと出てきやがったな!」

「静粛に! 静粛に! では、自身の陳述をお話しください」


 元窃盗犯がキョロキョロと周りを見渡しながら、ゆっくりと自身の体験を語り出す。


「あの日のことは今でも忘れられません。ふと通りかかった家の玄関がちょっとだけ開いているのを見てしまった、あの夜のことを。私は仕事を解雇されたばかりで、家には養う妻と子供がいました。つまり、お金が必要だったのです。盗みというものがいけないことは重々承知はしています。しかし、あの無防備な家を見た瞬間、私の良心が揺れ動いたのです。それが運の尽きでした。盗み自体は成功したものの、結局逮捕されて刑務所に入れられ、愛する妻と子供とは離れ離れとなりました。刑務所でも、私のような弱い人間は虐げられるばかり。服役前と今とでは、ストレスで体重が10キロ近くも落ちてしまいました」


 そこで元窃盗犯が手で目を押さえる。押し殺したような嗚咽に、傍聴席から同情の声が漏れ出していく。


「まだ、こんなひどい目に遭っているのが私だけなら我慢できます。いくら相手が無防備だからと言って、その誘惑にまんまと乗っかった自分の弱さのせいでもあるのですから。……ですが、問題は私の子供です。犯罪者の家族として陰口を叩かれ、学校では陰湿ないじめの対象にされてしまいました。活発で、溌剌としていた目は輝きを失い、毎日通うのを楽しみにしていた学校も、いじめのせいで通えなくなってしまいました。まだ、未来のある小さな子供が、これだけひどい目にあうなんて、可哀想で可哀想で……」

「そ、そんなの……自分の身から出たサビじゃないか」


 痺れを切らした被告人の言葉に、傍聴席から非難の言葉があがりだす。


「人でなし!」

「自分のしでかした事の重大さがわからないのか!」

「反省しろ!」

「鬼!」


 それを制するように被告人が声を張り上げる。


「好き勝手言いやがって! そもそも俺はきちんと戸締まりをしていたはずなんだ! そんなボロクソ言われる筋合いはない!」

「なんですと?」


 裁判長が眉をひそめる。すると、今まで被告人の隣で黙っていた弁護士が立ち上がり、手元に持った資料をパラパラとめくりながら説明を行う。


「彼の言う通り、その日の夜にきちんと戸締まりをしています。自宅の防犯カメラに置いてもその様子が撮影されています」

「しかし、あの日確かにドアが半開きになっていました!」

「こういう可能性はありえないでしょうか。あなたの前に実はもう一人窃盗犯が彼の家に侵入し、その犯人がわざと扉を半開きにしたまま帰ったのだと。けれど、ここで大事なのはそこではありません。大事なのは被告人が戸締まり行為をしていたという事実であり、社会通念上義務付けられている最小限の防犯行為を実施していたということです」

「そんなメチャクチャな」


 元窃盗犯のつぶやきに賛同するように傍聴席からも非難の声が上がる。


「しかし、それが事実だとしても、彼にはまだ暴行され罪と盗まれ罪が適用されるのでは?」

「彼はその時期、胃潰瘍をわずらい通院をしていました。そのため、病気のストレスによって若干気が短くなっていたとしてもそれは非難すべきことではありませんし、何しろ病気で身体自体が弱っていたので、窃盗犯からの暴行により気を失っても仕方ありません。裁判長、ちなみにこれが病院の診断書です」


 弁護士が裁判長に一枚の書類を手渡す。裁判長は資料を一読し、うなずく。それと同時に部屋の右壁に設置されたモニタに、被告人宅の監視カメラの映像が流れ出す。灰色に着色された画面の中で被告人が背中を丸めながら閉じまりを確認する姿が映し出される。そして、映像の左端部分には、犯行日と同じ時刻が刻まれていた。


「ふむ、たしかに本物のようですな。それに防犯カメラの映像に関しても、確かに戸締まりをしているように見えなくもない」

「しかし、被告人の主張はあまりにも荒唐無稽です。それに防犯カメラというものがあるなんて、私の裁判のときには一切触れられていませんでした」

「まあ、あなたの言うことにも一理あるのですがね、疑わしきは罰せずが刑事裁判の大原則なんですよ。さらに、被告人側でこのような証拠を出された以上、検察側でこれに反駁しないと駄目なんです」


 裁判長が検察側に目をやる。検察側も弁護人側が突然提示した証拠になすすべもなく力なく首を横に振った。


「判決。被告人は無罪!」


 カンカン。木槌を叩く音が法廷内に響き渡る。無罪。その言葉を聴いた男は安堵のため息とともに椅子に座り込む。これで終わった。しかし、そんな男に対し、裁判官が冷たい言葉を浴びせかける。


「確か、裏で警察官が待機していたな。早く、彼を連行しなさい」


 バンッと弁護人側の扉が開き、外から二人の警察官が法廷に入ってくる。そして、荒々しい足音を立てながら被告人に近づき、両脇から無理やり被告人を立ち上がらせる。


「な、何をするんだ。私は無罪だぞ。一体、今度は何をしたっていうんだ!」

「ごちゃごちゃうるさいな。何をしたかだって? そんなの決まってるだろ」


 警察官の一人が腰にぶら下げたケースから銀色に光る手錠を取り出しながら言った。


「ほら、早く手を出せ。『無実の罪で起訴され罪』で現行犯逮捕だ」

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