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もしも天国が究極のブラック企業だったら

作者: みづきあや

やりがい搾取というブラック労働が蔓延りますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

天国とか天使って、究極の利他主義のように思えますが、それって、究極のやりがい搾取なのでは?と考えながら書きました。お楽しみいただけたら幸いです。

「もしも天国が究極のブラック企業だったら」

「気がつきましたか?羽鳥光さん」

あれ?俺は…どうして生きているんだ?

確かに俺は、駅のホームから転落して、電車に轢かれた筈なのに…

ここはどこだ?妙に周りが何もかも白い。病院か?

「ここは天国ですよ。あなたは過労でふらつき、駅のホームから転落して、電車に轢かれて死にました」

ああやっぱり。あんな会社さっさと辞めとけば良かった。

初めは良かった。久々に入った新卒ということで、周りは温かく接してくれた。歓迎会も開いてもらって、みんなが頑張れよと言ってくれた。

初めの、ほんの数日は。

ある程度経って周りが見えてくると、この就職は失敗だったと悟った。

仕事を教えてくれた先輩たちは、最低限の事を教えると、あとは人の事どころではなくなり俺はマニュアル片手に放り出された。

何とかマニュアルを頼りに仕事を進めるが失敗だらけ。挙句に余計な事をするなと怒鳴られた。

何をしていいかわからないまま右往左往していると、いきなり「お客様サービスセンター」に配属された。所謂苦情係だ。人手不足だからと、朝7時から夜の1時まで、電話の前での待機を強いられた。土日もだ。休みは「代わりがいないから」という理由で一月に一日取れればいい方だった。

せめて週一日休みたいと社長に頼めば

「最近の若者は甘えている。昔は二十四時間闘えますかと言ったものだ」

じゃあ辞めますと言えば、

「ここで耐えられないならどこへ行っても同じだ。君は社会性がない。修行だと思ってやってみろ」

と辞表を引き裂かれた。今思えばパワハラだよなあれ。

周りの先輩たちに相談したくても、みんな俺以上に忙しそうでピリピリしていて、誰にも言えなかった。何人かは体壊して辞めてったし。

そうこうしてるうちに、精神のすり減った俺は、長時間労働にも、電話越しに怒鳴られることにも、何の疑問も抱かなくなってしまった。

せっかく新卒で入れた会社を辞めるなんて。

休みたいなんて甘えだ。

超過勤務手当が欲しいなんて、金欲しさでで仕事をしてるみたいで、恥ずかしい事だ。

修行なんだから、もっともっと頑張らないと。

社長の言うとおり、俺は自分で自分を追い込みはじめた。これを耐えてこそ、社会人として一人前なんだと…

きっとあのときの俺は、さぞや会社にとって都合の良い社畜だったんだろう。

毎日毎日夜中まですみませんすみませんとコメツキバッタのように電話に頭を下げ続ける日々は、思いの外俺を消耗させていたらしい。

「で、ホームから落っこちてしまった訳ですね。いやあ、君は運がなかった」

頭を掻き掻きなははと笑う、目の前の男の背中には翼が生え、頭には光の輪…天使の輪が光っている。ということは。

「ええ、貴方をお迎えに来ました、大天使ミカエルと言います」

ミカエル!天使なんかあんまし詳しくない俺でも知ってるような偉い天使が迎えに来たってのか。すげえ。

「最近の死者は自殺が多くてねえ。自殺した死者は地獄に行ってしまうし、やっと捕まえたまっとうな死者を天使に勧誘しても、すぐに堕天してしまう。貴方なら事故死だし、生前の行いにも問題はない。おまけに働き者ときている。天国に来ていただくにはうってつけです。是非天使として、人々の為に働いていただきたい!」

…俺が、天使?

「俺にも、天使が務まりますかね?」

「熱意さえあれば、他になにも要りません」

…あれ?このセリフ、何処かで聞いたことあるような…

そうだ。会社の面接だ。あのパワハラ社長、入社面接の時には

「うちは人柄重視だから。熱意以外なにも要らないよ」

とか抜かしやがったんだ。信じたおかげでエラい目にあった。

しかし今は状況が違う、今日から俺は天使の一員。天国で働けるんだ。万々歳だぜ。 ざまーみろパワハラのクソったれ社長!

「お願いします。俺、天使になります」

俺は、ミカエルの手を取った。


こうして俺は天使の一員となったが、知らなかった。

天使の白衣や翼、輪っかなんかは支給じゃないのな!自費で購入するんだと。天国の通貨はまだ持ってないから、給料から天引きになる。熱意さえあれば、とはいうものの、金が必要だったわけだ。

「天国にも、金ってあったんだあ…」

なんでも、長いこと新入りが来たり、転生して出て行く者がいたりで人員が入れ替わるうちに、天国も変わっていくものらしい。

とにかく白衣に着替え、輪っかと翼をつけたら、俺も一人前の天使だ。

「で、仕事は何をすればいいんですか?」

良いことをすればいい。それはわかるんだが。

ミカエルは分厚い本を取り出して

「このマニュアルに目を通して。あとで研修をします」

なんだか、ますます現世じみてるなあ…


「声が小さいですよ!」

ああ、研修まで現世と同じだ。嫌な思い出が心をよぎる。

マニュアルには「天使たる者、自分以外のものの為、身を粉にして働くべし」と云った内容が実に回りくどく長ったらしく書かれている。言っちゃなんだが、マニュアルと言うより精神論の類だ。

「光さん!表情が良くないですよ!天使たるもの、常に幸せそうに勤めを果たさなければなりません!」

うっせ。おかしくもないのに笑えるか。そういや社長も言ってたな。我が社で働ける喜びをとかなんとか。社員が体調不良でも笑って仕事しろとか言う腐れ野郎だったな。

周りを見れば、同じように成り立ての天使たちが張り付いた笑顔のまま、マニュアルを音読している。

…堕天する天使が多いっての、わかるような気がするわ、こりゃ。

「それでは皆さん、ひととおり研修も済んだことですし、早速下界で業務について頂きます。割り当ての地区は…」

え、もう終わりかよ。マニュアルの内容唱和して、ミカエルの説教聞いただけじゃねえか。


こうして俺は天使として地上に降りた。

業務内容は「一人当たり少なくとも五人、真っ当な死者を割り当ての地区から天国へ勧誘すること」

え、それだけ?天使の仕事って、人助けとか、縁結びとかそんなんじゃないのか?

「言ったでしょう?天国は今、人手不足なんです。労働力を確保してなんぼ、本来の業務はそのあとです」

マジかよ。俺スカウトなんてやったことないぜ。

「根性でカバーして下さい」

根性ときたか。嫌な台詞だ。これじゃまるで、死ぬ前の会社と同じだ。よく営業に配属された先輩が社長にどやされてたっけ。根性がないから契約が取れないんだとかなんとか。

「根性の問題じゃなくて、そもそものノルマに無理があんだろ」

ぼそりと呟いたそれは、ミカエルの耳にも届いたらしい。

「光さん?」

あ、やべ。

「いや、なんでもないです」

「では行ってらっしゃい。ノルマは五人、お忘れなくね。二十四時間以内には戻って来て下さい」


…地上には降りてみたものの、死者なんてそうそう彷徨いている訳ではない。

当たり前だ。世界のあちこちで毎日人は死んでいるが、一人の人間、いや今は天使だが、その目の届く、行動できる範囲での人死になんてそんなにあるものではない。あったら既に地獄だろ、そこ。

ちきしょう。なんで天使なのに千里眼とか、死者を察知する能力とかが身についてないんだよ。これじゃ白衣着て羽根と輪っかのついた只の人間じゃないか。コスプレと大差ないぞ。

「…とにかく死人、死人と…」

死にそうな人間がいる所。即ち…

「病院だな」

俺は市内で一番大きい救急病院に向かい、集中治療室にこっそり入り込んだ。

いや、こっそりする必要ないんだ。俺もう天使だもんな。人の目には見えないんだっけ。

狙い通り、機械に幾本ものチューブで身体をつながれた老人がいる。…これは恐らく長くない。

集中治療室は静かでピッ、ピッという微かな電子音と人工呼吸器から時折漏れる呼吸音、そして時々交わされるスタッフの短い会話ががこの空間の支配者だ。

「こんな所で死人待ちかい?因果だねえ、天使くん」

アイドル声優のような可愛い声が、静寂を破った。

隣を見れば、なんだかわからん英語が書き殴ってあるタンクトップに、ふわふわ広がった黒いミニスカ、黒白ボーダーの膝上まである靴下、というパンクファッションを可愛くしたような服装の女の子が立っている。

「俺が見えるのか?」

「そうさ。あたしは悪魔…天使くんには悪いが、この死者はあたしの領分だ」

…悪魔?領分?どういう事だ?

「こいつはもう死ぬが、生前は暴力団の一員でね。殺人や傷害で、シャバより刑務所にいる方が長かった、札付きの悪だ」

小柄な彼女が俺を見上げて、にいっと笑う。

「地獄が相応しいのさ」

「地獄…」

いくつもの機械にチューブで繋がれ、弱々しい呼吸を繰り返す、枯れ木のように痩せきった老人。

こんな老人が、行くのは地獄だなんて。

「言っとくが同情は禁物だよ、天使くん。善は天国へ、悪は地獄へ。それは絶対変えられないルールなのさ。仕事の邪魔だよ、さ、行った行った」


「地上でいったい何をしていたんですか、光さん」

たった一人の死者も勧誘出来なかった俺に、ミカエルの態度は冷たかった。いや、はじめから優しい言葉やら態度やらを期待してたわけじゃない。そんなもの見込めないって事は「研修」の時からわかってた。

同じだったから。あの会社と。

「俺だって遊んでたわけじゃ」

「お黙りなさい」

俺の反論を、ミカエルはぴしゃりと封じる。

「今日ノルマを達成出来なかった人は、始末書を書いてもらいます。それと、達成出来なかった分のノルマは、明日に持ち越しです」

…始末書に、ノルマ持ち越しと来たか。

ハッキリ言う。天国なんて名ばかりだ。前の会社も真っ青のブラック企業じゃねーか!

辞めてやる。こんな生活耐えられるか!

しかし、天使ってどうやって辞めるんだ?辞めたら何処へ行くんだ?わからないことだらけだ。

とりあえず、近くにいた俺よりももうちょっと古株らしい天使ふたりを捕まえ、天使を辞めたらどうなるのか、を聞いてみる。

「人間として転生する、っていうのが一般的らしいけど、ミカエル様の裁可がいるんだ。この人手不足で、裁可なんかして貰えないし…それに転生しても、また子どものうちは勉強に追われて、それが終わったと思えば、それこそ死ぬまで仕事に追われるから…ここに居るのと変わりないよ」

なるほど。ミカエルの許可が無いと、転生は出来ない、と…あまり現実的な線じゃないな。

「天使のまま地上で暮らす、とかいう奴はいないのか?」

「地上に降りたら、二十四時間以内に、一旦天国に戻ってこないと、天使の資格を剥奪されるって聞いた…その時点で只の地上を彷徨う幽霊になるらしいよ。…もういいかい?始末書を…始末書を書かないと…明日のノルマは五十人だ…ああ!」

ふたりとも声は弱々しく、その視線は虚ろにさまよっている。大丈夫かこいつら?

…なんだか、死ぬ前の俺を見ているようで痛々しいな。

俺は嫌味の一つも承知で、ミカエルに声を掛けた。

「ミカエル…様」

「なんですか、光さん。始末書は書けましたか?」

「それは…とりあえず後で。それより、あいつらを何とかしてやってくれ、…下さい。オーバーワークで壊れそうだ」

ミカエルはふたりを一瞥して

「人の心配より先に、ご自分のノルマをお果たしなさい」

ああ、言うと思ったよ。あんたはそういう奴だ。何が大天使だ?何が天国だ?どちくしょうが!

「言っておきますが、貴方達の為なのですよ、光さん。我が身可愛さに囚われず、粛々と天国の為に働くものこそ、あるべき天使の姿なのです」

…粛々と、ねえ。

我が身可愛さにってなんだよ!辛いから休みたい、それのどこがおかしいんだ。

ミカエルの言う事は正論だ。天使が人の為に働くのは当然。でも、それで自分がすり減って行ったなら、何の為の天国なんだ?

次の日。勧誘のノルマは十人に増え、俺はダダ下がりになったモチベーションをミカエルには隠し、再び地上に降りた。

ああムカつく。生きていた時あんなにブラック企業で辛い思いして、天国ならと思えば、現世以上のブラック労働。存在するだけで、心がすり減りそうだ。

いっそもうただの幽霊で良いから、天国に戻るのを止めてやろうか。

「やあ、天使くん」

声に振り向けば、昨日の悪魔の少女が、なんとも言えないにやにや笑いを浮かべて立っていた。

「どうだい天国は。なかなかにブラックだろう?」

訳知り顏ににんまり笑う悪魔。こいつはきっと、天国の事情を知っているに違いない。

「どうだい。地獄に来ないか」

地獄だあ?それこそ、行けば何をされるかわかりゃしない。お断りだ、との意思表示代わりにそっぽを向いた。

「そう嫌ったもんじゃないさ。こっちは良いよ。悪と言えば聞こえが悪いが、つまりは利己的な世界だけあって、労組が強い。福利厚生は約束されてるのさ」

「労組」

そういや、世の中にはそんなもんもあったんだな。前の会社では、とんと聞いたことはなかったけど。ていうか天使の堕天が多いって、こいつが原因か。まあ天国の環境も大問題だけど。

「どうだい。働き者が歓迎されるのは、天国も地獄も同じさ。お前なら上手くやれるよ」

「せっかくだけど断る」

少女はひひひ、と意地悪げに笑い出し、

「まあ、無理にとは言わんさ。こうしてわざわざ、天国から転職してくれる人材にも事欠かないしね」

言いながら、悪魔の少女は後ろに向けてちょいちょい、と手招きをした。

「あんたら…!」

昨日話を交わした天使たちがふたり、腑抜けたような虚ろな眼差しで立っている。

「あんたら、まさか堕天するのか!?」

「簡単なもんだったよぉ?赤子の手をひねるより簡単さ」

少女は笑う。凶々しく笑う。

「だって地獄なら勧誘しなくても死者の方からくるって…」

「こちらに一歩踏み出すだけで、明日からは現れるかどうかわからない死者を探さなくていいって」

俺は少女を睨みつけた。敵意を込めて。

「こっちの事情に付け込みやがって!」

「だからどうだっていうのさ?あたしは悪魔。悪魔が天使に堕天を唆して何が悪いんだい?」

俺は言い返せない。奴は悪魔としての領分を全うしてるだけだから。

…それを楽しんでいるようなところは、俺の理解を超えるが。

「ちきしょう!」


「…それで?同僚を連れ戻す事もなく、むざむざ帰って来たのですか」

ミカエルの冷たい態度にも慣れきった俺ははいとだけ言って俯いた。

何も言えなかった。「天使」としては、同僚の堕天を防ぎ、天国に連れ戻すのが正しい選択肢だったんだろう。

けれど。

戻れとは言えなかった。

一歩さえ。

一歩さえ踏み出せば、天国とは名ばかりの、先の見えない労働から抜け出せる。

そんな甘い言葉に疑問も抱けなくなる程、精神が磨り減る労働の日々を過ごしてきた彼らに、天国で働くのが正しいのだ、とは言えなかった。

何より当の俺ですら、このままここに居る事が、自分にとっていいのかわかりかねていたのだから。

「光さん?聞いていますか?貴方がふたりを連れ戻さなかったばかりに、天国は貴重な労働力を失いました。その穴は、貴方に埋めてもらいます」

貴重な労働力を失った?それだけか?天使の長たる存在が、天使をたかが労働力扱いか?

これが、この場所が、天国と言えるのか?言っていいのか?

「やってられっか!!」

天国に来てはじめて、俺は怒鳴った…いや、感情に任せて怒鳴り散らすなんて、前の会社で這いつくばって働いていた頃から忘れてた。

「何が天国だ!朝から晩まですることと言えば死人探しで明け暮れて、天使って、もっと幸せで、その幸せを人に分け与える存在じゃないのかよ!」

俺の怒鳴り声に触発されたのか、数人の天使がやって来て様子を伺うが、ミカエルの冷たい視線に引き下がり、固唾を飲んで行方を見守っている。

「ですから言っているでしょう。天使たる者、幸せそうに任務を遂行しなさいと」

「表面だけ幸せそうにして何が変わるんだ!あんたは天国の長だろ!部下を、天使を労うとか、ふりじゃなくて、本当に幸せにするとか、そんなこと考えたことあるのかよ!」

「天使らしくない言葉使いですね、光さん。私は、ノルマをこなしなさいと言っています。幸せとか楽しみは、義務を果たしてこそです。義務の中からもささやかな喜びを見いだすようでなければ、地上の人間に示しがつきませんよ」

「そのノルマに無理がありすぎなんだ!綺麗事ばかり言いやがって、あんたは、自分が人にやらせている事が、実際自分に出来るか考えた事があるのかよ!」

そのまま勢いに任せて天国を飛び出し、地上に降り立つ。

気がついたら、あの悪魔の少女と出会った病院の屋上だった。

…これからどうしよう。もう天国には帰りたくない。帰っても、ミカエルに睨まれながらの労働で心身がすり減っていくだけだ。

なら堕天するか?あの少女を頼って、悪魔として働くか?

(地獄は労組が強い。福利厚生は約束されてるのさ…)

労組。福利厚生。そんなもんが天国にもあったなら。

…待てよ?

今はない。けどこのままでいい訳ない。

「だったら、作ればいいんじゃないか…」

それはまるで天啓のように、俺の頭に閃いた。

俺が労組を作ればいい。そうしてミカエルにまっとうな労働条件を呑ませればいいんだ!

「こんな夜更けに死人探しかい?まあ未明の方が、死者は多いからねぇ」

すっかり聞き慣れた声に振り向けば、件の悪魔の少女。俺を見上げてにいっと笑う。

「どうだい、堕天する気にはなったかい?」

頼るならこの子しかない。俺は少女に切り出した。

「天国に労組を作りたい。作り方と運営の仕方を教えてくれ」

悪魔の少女はしばしきょとんとしていたが、俺の言葉の意味を飲み込むや、声を立てて笑い出した。

「あはははは!天国に労組だって?人の為に働く天使が、ストライキでもする気かい?」

「確かに天使は人の為に働く存在だ。でも、ノイローゼになったり、天使として生きること自体が嫌になるまで働かされるのは間違ってる」

少女は無言で、俺の目を見つめる。俺の決意が固いと見るや、少女は例のにやにや笑いを浮かべて頷いた。

「面白い。今まで何万人と天使を堕天させて来たけど、お前みたいな存在は初めてだ…力を貸してやろうじゃないか」


労組を作るのは、思うよりも簡単なのだそうだ。

まず組合員を募り、決起大会を行い、その上で雇用側…今回はミカエルにだが、雇用条件を交渉する。

もちろん、その間に雇用側の内情を調べたりとか、予算や交渉する雇用条件の内容、各係を決めたりはあるものの、悪魔の少女曰く、まだるっこしく下準備をしているうちにミカエルに動きを察知されては元も子もない、まずは迅速に動け、という事だ。

「まあ、危なくなったら助けてやるよ。やりたいようにやるがいいさ、ひひっ」

そして今、俺はミカエルと相対している。

「今更戻って来てなんです?光さん。貴方は本来なら天国を追放されても仕方な…」

「俺は!」

ぺーぺーの天使の俺だ。ミカエルと渡り合う術なんて持ってない。機先を制するしかない事は、悪魔の少女にも言い含められていた。

「労働組合を結成する!入りたい奴は俺に言ってくれ!それと大天使ミカエル!あんたと労働条件を交渉したい!時間は追って告げる!」

「なっ…!」

効果あった。ミカエルが一瞬だが戸惑った。これで労組に加入したいという天使が現れてくれれば、ミカエルを揺さぶれる…ミカエルの眼の前で彼に逆らいたいと言う物好きがいれば、の話だが。

「そんなもの認めませんよ」

流石は大天使。一瞬で形勢を立て直し、氷の様に冷たい声で、視線で俺を威圧しようとする。

「皆さんも。天国に労働組合など必要ありません。他者に尽くす存在である天使が、自らの権利を主張するなど愚の骨頂。わかりましたか?直ぐに業務に戻るように」

ミカエルの態度に、天使たちはそそくさと退散していく。

だが。

「どうしました?業務に戻りなさいと言っています」

何人かの天使が、そこにとどまった。

「僕…労組に入りたいです」

「私も、もう限界です。交渉できるものならしたいです」

「俺ももう無理。楽になりたい」

ミカエルも驚いているだろうが。一番びっくりしたのは多分俺だろう。誰もぺーぺーの天使の無謀な賭けについてきたりしないだろう。内心では孤独な戦いを覚悟していたのだから。

「あんたたち…!」

俺は彼らに駆け寄り、その手を取った。

「頑張ろうぜ、頑張ってここが天国だ、って胸張って言えるところにしようぜ!」

「はい!」

「ええ、死者の人たちに、是非天国に来て下さい、って、言えるように!」

「おー!」

みんな疲れてるだろうに、威勢良く声をあげ、拳を掲げる。

言ってよかった。勇気を出して良かった。

「赦しませんよ!」

ミカエルの怒号が響く。気に入らない事柄や人物に対しては距離を取り、氷のような態度で接してきたミカエル。

その彼が激昂し、瞳を赤く燃やして怒りに震えている。

「赦しませんよ、労働組合など!天国にこのミカエル以外の秩序など認めません!貴方たちは、全員天国から追放です!地上を幽霊となって彷徨いながら、自らの選択を後悔しなさい、全員地上に投げ落として差し上げます!」

「せっかくだが、そうはいかないよ」

割って入ったその声に、ミカエルが酷く驚いた様子で、声のした方を見た。

天国の入り口に立つ悪魔の少女。その後ろには、大勢の悪魔が控えている。

…いや、危なくなったら助けに来る、とは言ってたけど、そんなに沢山連れてこなくても…

「ルシファー!悪魔の貴女が、この天国に何の用事です!?」

ルシファー?この子が?てかミカエルと知り合いなのか?

「左様。このあたしこそ、最初の堕天使にして地獄の女王、悪魔の首領ルシファーさ」

…ええええええええ!

こいつ、地上に死者探しに来てたくらいだから、俺みたいなぺーぺー悪魔かと思ったら、メチャクチャ偉いんじゃん!

「あたしは生涯現役でいたいのさ。天国でそっくり返って命令しかしないあんたとは違うんだよ、ミカエル?」

「悪魔は悪魔らしく、地獄で亡者を使っていれば良いでしょう、天国に何の用です。それともわざわざ天国まで天使を堕天させに来たとでも?」

「ああ、それも良いね。しかし」

ルシファーが、俺を指で指し示す。

「あんたに逆らおうってぇ物好きに加勢してやるのも、たまには一興だと思ってね、どうだいミカエル。天使にも最低限の生活をする権利ぐらい認めちゃどうだい?」

ミカエルを見れば、先程までの激昂は何処へやら、元の冷たく澄ました表情に戻っている。

「失敬な。最低限の生活をさせていないというおつもりですか」

「だからこそ、天使の堕天が減らないんだろうさ」

「あなたと話すことなど何もありませんよ、ルシファー。誰か、この悪魔どもをここから追い払いなさい!」

「…」

「…」

誰も、動かなかった。

「聞いていないのですか!?此奴らをここから追い払いなさいと言っています!」

ミカエルが焦りを見せて叫ぶが、動くものは居ない。

ただ、醒めた視線を、ミカエルに向けて佇むだけだ。

「残念だったな、ミカエルさん。自分の都合で天使を使い潰してきたツケが、今回ってきたぜ」

俺がぽつりと漏らした一言に、ミカエルがその場へ崩れ落ちた。

「わ、私は…ただ天国の為に…天国の為だけを思って…」

ミカエルは、壊れたラジオの様に、それだけをただ繰り返していた。


「じゃー俺、地上に帰るわ!労組の事頼むな!」

「光さん、ありがとう!」

「お元気で!」

「生き返れて良かったですね!」

沢山の天使の喝采を後に、俺は地上へ戻った。 

天使ではなく、生者として。

天国に変革をもたらした俺の処遇については、色々と問題もあったわけで。

なにより俺自身の希望もあり、俺は特例として生者として地上に戻る事を許された。既に火葬されてしまった身体の代わりに、新しい身体を与えられて。

そうして俺は、天国で労組を作った経験を活かして、ベンチャー企業を立ち上げた。

会社は順調に成長し、俺が中年に差し掛かろうと言う時には、100人以上の従業員を抱えるに至った。

時折俺をワンマンだとか、従業員を大事にしないだとか雑音が聞こえてくるが、全て握り潰した。


俺には、怖いものなんてない。パワハラ社長からはうまく逃げ、大天使も捻じ伏せて、俺は生きてきたんだ。


そんなある日、出勤する為に駅のホームで電車を待っていると、ひとりの男が近寄ってきた。

「社長」

「お前は…」

確か、うつ病になったから休職させて欲しいと申し出てきた社員だ。

「まだ休暇が欲しいとか言うのか。今は人手不足で無理だ」

男の顔をみて思わずギョッとする。こいつはこんなに痩せこけて、目がギラついていただろうか?

「あ!あんたが…!あんたさえいなければ!」


どしん


男の両手によって、いとも容易く俺は線路に突き落とされていた。

待て待て待て!洒落にならないだろ!

「おい!何やってんだ!早く引き上げろ!」

俺は男に怒鳴るが、奴は醒めた目でただ俺を見下ろしている。

ーそう、あの日、俺たち天使がミカエルをただ見ていた様にー

電車の警笛と共に遠くなっていく意識の中で、ルシファーの笑い声が聞こえた気がした。 


「今度こそは地獄に来てくれるだろうねぇ?ブラック企業の経営者なんて、地獄にぴったりの逸材じゃないか。いっひひひひひ…」


俺の…会社が…ブラック企業?そんな馬鹿な…


「握り潰した社員の声に、お前は殺されたんだ。お似合いの最期だよ。さぁ、早く地獄に来るんだよ。言ったろう。福利厚生は約束されているとね」


そんな馬鹿な…そんな…馬鹿…な…


〈完〉





ここまでお読みくださりありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読んでいて星新一先生のショートショートを思い出しました。 とてもおもしろかったです。
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