表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
誇り  作者: 晴樹
2/2

大会

大会当日は、ギラギラと太陽が照り付けていた。雨だろうとレースは決行されるが、ダダイが知っている内ではなぜか大会の日に雨が降ったことはなかった。村のほとんどの者が大会を観るために、村の広場にやってくる。


子供の部の長距離部門にダダイは出場する。もちろん、カイジンたちも同じ種目だ。村の外れにある崖の上にある御印を取ってスタート地点であるこの村の広場まで戻ってくるというレースである。能力的に張り合う相手ではないことを分かっているくせに、カイジンたちはダダイにちょっかいを掛ける。それに対してダダイは何の反応も示さなかった。


スタートの合図と共に、選手たちは一斉に舞い上がる。そのとき、カイジンの腰巾着の一人がダダイに蹴りを入れる。ルール上は反則なのだが、集団の中にあってその行為を捉えることは困難だ。それを見越しての犯行だろう。しかし、ダダイは気にする素振りを見せずに全力で翔ける。


次第に形成される先頭集団の中にカイジンとダダイがいた。しかし、カイジンは意に介さなかった。このレースは鳥人族にとって長距離だ。しかし、ダダイはまるで短距離走でもするかのように全力だ。だからこそ先頭集団にいるのであって、次第に落伍することは目に見えていたからだ。


しかし、カイジンの予想は外れた。会場からが見えなくなる頃には、先頭集団はカイジンとダダイの二人のみとなった。ダダイのハイペースに着いていこうとしたため、他選手が次々と落伍していったのだ。目の届く範囲にはカイジンとダダイしかいない。


カイジンは余裕を失っていた。レース自体の心配をしているのではない。ダダイは既に限界が近いが、カイジンはまだ余裕がある。そういうことではなくて、あの万年ビリ争いを演じてきたダダイがちょっといい成績を取ったことで、次期族長でも良しとする風潮が生まれることを恐れていた。弱い奴が少しくらい強くなったところで、なぜ称賛される。強き者が強くあることの努力はなぜ褒め称えられない。そういう小さいころから抱いていた想いが鎌首をもたげてきた。


「おい、弱虫の次期族長」


そうして、カイジンはレース中にダダイに話しかけた。



レースの三番手であった選手が、ダダイを発見したときには一瞬自分の目を疑った。レースの性質上、ケガは一定数発生する。それは、命に別条がない限りリタイアとして扱われ、他の選手も意に介さないのだが、今回は違った。彼は非常事態発生を知らせる笛を吹いた。レースの区間中に審判員のような存在がいないため、異常はこの笛のリレーによって伝えられる。笛の音を聞いた選手がまた笛を鳴らし、最終的にはスタート地点の本部まで届くのだ。そうして何かがあったことを知り、現場に到着した審判長も務めるカルラが見たのは、息子の背中にあるべき翼がなくなり、代わりにどす黒い血液が溢れ出す光景であった。


「何があった」


取り乱しそうになるのをぐっと堪えて、カルラは周囲の者に問うた。しかし、誰も答えようとしない。ここにいるのは笛の音を聞いて何事でレースが中止されたかを見に来た選手ばかりで、それ以外には、カルラが連れてきた医師のルルーしかいない。少しして、他の大人たちも到着したが一様に呆然とするばかりだった。


「誰がこんなことを……」


誰かが呟いた一言は、沈んだ雰囲気を一気に張り詰めたものにした。そうだ、これは事故ではない。鳥人族は翼を本能的に守る。それはヒト族や他の生物が重要部位を本能的に守ることと変わりない。それはいくら飛行中だからといって、いくらダダイの飛行能力が劣ると言ってもありえないことだった。そして、本能的に守られる程重要な部位を失った者の末路は誰しもが知っていた。


「父様……」


ダダイの意識が戻ったのか、弱弱しく父に呼びかける。その最中も背中からは血が溢れ出す。ルルーの懸命な応急処置は、ほとんど意味を成していなかった。


「翼を失った者など、鳥人族とは言えない」


息子の最期にどんな言葉をかけるのか、固唾を飲んで見守っていた周囲からは、言い過ぎだという思いもあったが、ダダイは嬉しそうに「分かりました」と言ったきり、苦しそうな呼吸を止めた。ルルーは、ダダイが死んだことを周囲に告げた。


常日頃、「ダダイは次期族長にふさわしくない」と思い、あるいは口にしている人でさえ、一人の死を悼まないわけはない。まして、選手は、十歳前後の若者であり、人の死というものを体験したことがない者がほとんどである。場は、沈痛な雰囲気が漂っていた。


そこに、カイジンが何事かと舞い降りた。カイジンは笛の音も聞こえず、折り返してここに戻ってきたのであった。


「何があったんだ」


「ダダイが死んだ」


選手の一人が答える。


「なぜ」


カイジンは反射的に問いを重ねたが、よくよく現場を見渡してみれば状況は明らかだ。所々に飛散している羽と血、医者のルルーの両手が真っ赤になって、そのすぐ脇にうつ伏せで倒れているダダイを見て、状況を察した。そして、選手や大人たちから向けられる疑惑の眼差しと、その理由についても瞬時に悟った。


「僕はやっていない」


カイジンがダダイを虐めていることは周知の事実だ。そして、誰も見ていないレースにおいて、殺意はなかったにしろ事故を起こしてやろうと試みて、結果がこの有様というのは、自然な推論だ。


「場所を移そう」


カルラの一言で、大人たちは我に返ったように動き出した。ダダイの遺体は、白い布に包まれ運ばれていった。カルラも遺体に付き従うようにして飛び立った。


広場にいる人たちに、ダダイの死と大会の中止が伝えられ、騒然となった。レースに参加した選手から情報が瞬く間に拡散し、「カイジンが殺した」ということが半ば事実として村中の噂になった。



カルラは、カイジンに事情を聴こうと、彼と対面していた。その脇にはカイジンの父でカルラの兄であるキュロスもいた。ヒトで言えば、ダダイとカイジンは従兄弟であったが、鳥人族はそれを親戚関係とは思っていない。この関係が陽に現れるのはこういうとき――族長の子供が死んで次期族長がいなくなったとき、族長の兄弟の子孫から次期族長が選ばれる――しかない。しかし、そのような決まりごとは、実際に起こることが稀であるため、おそらくカイジンは知らないだろう。であるから、動機としてカイジンが次期族長を狙ったということはないだろう。


「それで何があった」


カルラが口を開くと、カイジンは委縮した。


「何も……」


やっと絞り出した声も、かすれている。カイジンの内心は荒れていたけれど、カイジンの思考の一部ではこれしきのことで、答えに窮する自分を侮蔑していた。


「そうか。スタート直後にカリアが行った行為も知らないということか」


カイジンの鼓動は一層早くなった。「バレている」――族長の目が素晴らしいというよりも、その他大勢は中止しなくとも、親であるカルラがダダイを注視しないはずはないという基本的なことが抜けていた。


「それは私の指示です。……しかし、それだけです。あのような事故に何も関わっていません」


「お前が見聞きしたものを話せと言っている。関わっていないかは私が判断する」


「……はい。あのレースで私は先頭集団に居ました。ダダイもです。最初はすぐに落伍するだろうと思っていました。しかし、そうならず、結局、私とダダイの二人で先頭を飛んでいました。後ろを振り返っても、他の誰も見えません。」


ここまで振り返ってみて、胃に鉛が入れられているような感覚を覚えた。この状況は、誰がどう見ても自分がダダイを殺したようにしか見えない。


「それで?」


カルラは眉一つ動かさずに、続きを望んだ。


「それで、私は彼を挑発しました。しかし、彼には言葉を返す余裕もない程に喘いでいました。もう限界だったのでしょう。私は彼を抜き去り、その後は知りません」


そう、何もなかった。身体的接触があったわけでも、ダダイが挑発に乗ってきて危険な飛行をしたわけでもない。言葉にすれば、それだけの事実だった。しかし、父のキュロスは「そんなわけがないだろう」と怒鳴りつけようとして、カルラに制された。


「なるほど。疲労困憊したダダイが、飛行できなくなり……ということもあり得るな」


カルラの言葉にカイジンとキュロスは耳を疑った。疲れたからと言ってあのような事故を起こすわけがない。鳥人族の常識から言って、そんなことはあり得ない。それを族長が口にするとは。


「ダダイは不幸な事故だった。これによって、次期族長候補がいなくなったわけだが、その場合、私の兄弟のこの中から次期族長が選出される。カイジンにもその候補となる資格があるわけだが、今回のレースの妨害を指示した罪により、候補からは除外する」


それが、族長としての今回の事件の結論だった。誰もがそれに従うしかなかった。


この結論を直接耳にしたのは、カイジンとキュロスのみではなかった。その場にはダダイもいたのだ。鳥人族の信仰によれば、死ぬと子孫を守る祖霊として村に住まうとされていたが、実際のところは誰も知らなかった。ダダイも死に、意識だけで自由に見聞きすることができることが分かった。しかし、誰かに何かを伝えることはできない。


(父様は、私の浅はかな考えなどお見通しなのだろうな)


実際、カイジンが何かしらの手段でダダイを死に至らしめたのならば、カイジンの罪はこれほど甘くはならない。カルラは事の真相を見抜いている。ダダイの自死であるということを。


ダダイに翼は要らなかった。鳥人族でなければ、速さのみがステータスとなり、虐げられることがなかったのかもしれない。ヒト族には手先が器用な者、頭が良い者、力が強い者、色々な長所があってそれを活かして暮らしている。そんなことを本から得たとき、どうして自分が鳥人族であることを恨んだ。この翼さえなければ、もしかしたら、ヒトになれるかもしれない。そういった妄執がダダイを支配するのに時間は掛からなかったし、身を守る術も知らなかった。


しかし、翼の切除が死を意味することは病んだダダイにも分かっていた。それでも、死後の世界においてならば、ヒトとなれるかもしれない。自分の能力が活かせる世界であるかもしれない。鳥人族を止めるというよりも、死後の世界に希望を見出す方向へ、ダダイの思考は収れんしていった。


そういう意味で、死を怖がってはいなかったが、しかし、単に死ぬのも面白くない。そこで一計を案じた。カイジンが殺したように見せて死のうとした。それ自体は容易いことだ。カイジンがダダイを虐めていることは周知の事実だ。ダダイが死ねば、カイジンが族長候補となることは、家にあった書物で知った。これで動機は完ぺきで、後はカイジンの取り巻きもいない、真に二人だけの場所を作らなければならなかった。それで大会が思い浮かんだ。カイジンは圧倒的に速いから、他を引き離しトップに立つだろう。そこに自分が居れば問題ない。


走破するつもりのカイジンと、半分にも満たない距離を飛ぶことしか頭にないダダイならば良いレースになった。それに加えて、秘密の飛行法は、カイジン以外の選手を引き離すのに役立った。それでやっと五分なのだから、自らの非力を嘆くしかない。後は死へダイブすればよいだけだ。後は状況証拠からカイジンが犯人であると皆が思うだろう。


(結局、父様はすべて見抜いていた。私が、鳥人族を止めたいと思っていたことも)


ダダイは聡明な父を尊敬していた。これは、ダダイがカルラに挑んだ知恵勝負でもあったわけだ。


しかし、ダダイはここに居られる時間もそう長くないことを悟っていた。段々と意識が遠のいていく。それはそうだ。もし死後、こんなにも自我が残っているのなら、他のご先祖様にも出くわして良いはずだ。そんな理屈で自分を納得させる。意識は次第に大気に溶けていき、やがて風となった。



カルラは、他に誰もいない室内で風を感じた。死者は村を守る霊となるというが、自分より早くそうなるとは思ってもみなかった。


「どうして死んだんだ」


カルラが吐き出した言葉は、そこに留まったままだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ