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誇り  作者: 晴樹
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族長の一人息子

鳥人族は背中に大きな翼を持ち、長躯を翔け、より高く飛ぶことを何よりの誇りとする種族であった。鳥人族の長は世襲制ではあるが、兄弟の中で最も飛べる者が選ばれるため、自ずと種族の中で一二を争う走力を持つ者が族長であることが常であった。当代の族長、カルラもまた、種族一の走力を誇り、一族の子供たちからは尊敬の眼差しを集め、大人たちからは畏敬の念を抱かれているのであった。


「帰ったぞ」


カルラは、自分の家の前に降り立つと、威儀を正して家族に帰宅を伝えた。「おかえりなさい」と迎えてくれたのはカルラの妻アンリと、10歳になる息子のダダイだった。毎日の変わらぬ光景だったが、カルラの心に暗い影が差した。族長の帰りを家族総出で迎えるのが習わしであり、カルラも小さい頃は兄弟と共に先代の族長であった父を迎えたものだ。しかし今のこの光景は、族長の後継者候補がダダイただ一人であることを、カルラに直視させるイベントでしかなかった。


族長の威厳を家内でも示すようにして、カルラのいつもの席に着いた。場にはよい緊張感が張り詰めている。少なくともカルラはそう思っている。無言で用意されている食事に手を付けると、アンリとダダイもまた食べ始める。


「今日はどうだった」


カルラは、目を射るようにダダイに向けた。ダダイは、びくっと肩を震わせると、おずおずと答えた。


「ダメでした」


カルラの中で暗いものが一層降り積もっていく。しかし、顔には出さないようにして「励め」とだけ言った。家族の食卓における会話はこれだけだった。


鳥人族では年に一度、走力を競う大会がある。年齢や種目が分かれているが、速さを誇りにする彼らにとって優秀な成績を収めれば尊敬を集めることができる。ダダイが良い成績を上げることは、族長の息子として至上命題であった。しかし、ダダイは遅い。同年代の子供と比べても平均以下、いや、最下位争いをしているといってもよい。このままでは、ダダイが族長を継いだとしても、一族はバラバラになるだろう。それを避けるために常以上に、今度の大会の結果が重要なのである。その練習が捗っていないことを、毎晩の食卓で思い知らされるのだから、カルラの気分は一向に晴れない。せめてもう一人でも息子がいてくれれば何とかなったのかもしれないと、そんな妄想ばかりがカルラの頭の中を廻っていた。



ダダイに友達と呼べるような者はいなかった。族長の息子は同年代の子供を率いて、族長になった時の練習をするのだ、と父から言われていたが、速く飛ぶことも高く飛ぶこともできないダダイに従う子供などいなかった。逆に、「族長の息子のくせに」を枕詞として常に悪口を浴びせられ、いじめられていたのだった。それでもダダイは、それを父に伝えられずにいた。


「おい、ダダイ。族長の息子なんだから、あの山の上の木の実を取ってきてくれよ」


そう言うのは、ダダイの1つ上で、同じ年代の鳥人族の中では最も優れているカイジンだった。指さしたのは、村外れにある小高い山で、父ならばその力強い翼で瞬きもする間もなく叶えられるようなことだろうが、ダダイには到底無理だった。なにせ、同年代で最も優秀であるカイジンでさえもギリギリできるかどうかという内容なのだから、ダダイに聞くまでもない。しかし、ここで無理などと言っても、痣を増やして結局行く羽目になることは、これまでの経験から分かっていた。


「分かった。取ってくる」


「『分かりました』だろ」


「……分かりました」


唇を噛んで、悔しさをぐっと堪える。カイジンもその取り巻き立ちもニヤニヤしている。ダダイは貧弱な翼を広げて飛び立った。「これは、力強い羽ばたき」などという嫌味から逃げるように力を翼に込めた。全力で駈けたはいいが、程なくして激しい動悸と荒い息がダダイの体を蝕んだ。カイジンたちが見えなくなったことを確認して、スピードを落とした。あらん限りの暴言を虚空に浴びせて、せめてものうっ憤を晴らす。


「どうして僕はこんなに遅いのだろう」


独り言はダダイの癖になっていた。


「翼さえなければ、いやせめても族長の息子でなければ、こんな思いはしなくて済んだのに」


物心付いたころから、ダダイにあるのはそんな思考だった。いくつもの「どうして」は、結局答えが出ずにただただ自分の心に重しを残していき、ついでに翼をも重くしているようだった。そんなとき、ダダイはヒト族の書物に思いを巡らす。族長であるカルラの家には、他の鳥人族はほとんど関わることがないヒト族が闊歩する世界の知識がときどき入ってくる。それは外の商人の雑談だったりすることが多いが、本としてもたらされることもある。先代の族長よりもっと昔から、そのような書物は保管されていたが、鳥人族の常としてそのような知識にあまり関心を持たず、蔑ろにされてきた。だから、「保管」というよりは「処分されなかった」という方が正確なのである。実際、あまりに古い本はとても読める状態ではない。


外の世界には大きな水たまりがあって、そこを進むためヒト族は「船」と呼ばれる乗り物を作ったとか、グルンフェルドという者がなぜ船が水の上に浮くのかということを議論していたりとか。本には様々なことが書かれており、どれもダダイを夢中にさせた。しかし、本を読んでいることを両親に知られれば、「もっと飛べるようになれ」と言われるのが分かっているから、常に隠れて周りを警戒しながらでなければ読むことができない。それでも幸運なことに、ダダイは一度読んだ内容を一言一句忘れることはなかったため、いじめられている最中でも本を読むことができて、それは痛みを少なからず忘れさせてくれた。


「ああ、確かにこうやって飛ぶと楽だな」


翼が鉛のように重く、一旦休もうかと思ったとき、ふとある本に書いてあったことを思い出して、風に乗ってみたのだ。鳥人族は、風を征服することを美徳として、風に逆らって飛ぶことを良しとする。ダダイもそんな飛行法しか知らなかったのだが、風に身を任せ風の赴くままに飛ぶことが可能であることを本によって知り、実践してみた。これが案外翼を羽ばたかせる必要がなく楽なのだ。


「でも、こんなの父様に見られたらぶん殴られるだろうな」


そういう後ろめたさで、キョロキョロあたりを見渡して、誰も見ていないことを確かめる。分かっていたことだが、周りに誰の目もない。独りぼっちであることを、孤独と表現するか自由と表現するか。ダダイにとっては後者であった。


「どうしてみんなこんな楽な飛び方をしないのだろう」


ある程度飛んでみると、体力的にも楽なだけでなく、速く飛ぶことも可能であることが分かった。風を制して飛ぶよりも風を味方に付けて飛ぶ方が、何倍も速く飛べるのではないか。そんな考えが確信に変わりつつあった。しかし、それを例えば大会で披露したとして、一族のみんなが納得するかというと、しないと断言できる。早く飛ぶことが鳥人族の誇りと言うが、厳密に言えばその飛び方さえも理想化されているのであり、ダダイの飛び方が称賛を受けることは想像だにできない。


山の上に到着すると木の実が生っていた。甘くて美味しい木の実なのだが、村の近く、子供の走力で行ける距離には生えていない。取ってくるよう指示されたのは三つだったが、木にはそれ以上に生っていたので、ダダイはもう一つ取り噛り付いた。甘いはずの木の実を、甘く感じたことはない。今日もその実はしょっぱかった。


結局ダダイは、この飛び方をパシりの時の密かな飛行法に留めた。カイジンらが想定する時間との差異は思索に充てられた。飛ぶ練習をする時間にしても良かったのだが、ダダイは考えている方が好きだった。カイジンらには、非常に苦労したという演技で彼らの嗜虐心を満たすことを忘れなかった。


しかし、大会は近い。一族の誰からも、家族からさえも期待されていないとは言え、結果を残す必要があった。ダダイは、父が毎日のように口にする「励め」という言葉通り、練習を怠らなかったが、結果は出ていなかった。そもそも、その体躯からして速く飛べるはずがない。そんな思いが、日に日に強くなっていた。


だからいつもと変わりない食卓で、ちょっとした憤まんが爆発してしまったのかもしれない。


「族長が一番早い者の称号ならば、大会の優勝者に与えればよいでしょう」


いつもの独り言が、こんなところで無意識に出てしまった。しまった、という思いで父の顔を見ると、大きく目を開き、憤怒とも驚嘆とも取れぬ顔で固まっていた。


「そう思っているのか」


長い時間だったと思う。少なくともダダイにはそう感じられた静寂の後、父は静かに問うた。


「いえ、そのようなことは……」


ダダイの頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。どう答えればよいか、方針すら立たない。


「ならば、カイジンを次期族長とするか」


父は意外な人物を口にした。いや、意外ではない。確かにこの年代で最も優れているのはカイジンだし、父の耳にも入っているのだろう。ダダイもそうなってくれれば、周りの視線が穏やかになってくれるのではないかと思ったこともある。しかし、カイジンが族長になったとき、やはり自分の安寧はないだろう。


「いえ、彼は横暴で、一族を率いる器ではありません」


精一杯の反論だった。喉はすでにカラカラだ。


「しかし、人望もある」


そうだ。この社会において速く飛べることこそが最大のステータスであって、それさえ備わっていれば、どんな無能も族長たり得る。速いことこそ正義なのだ。


長い沈黙から父が何を読み取ったのか、ダダイには分からないが、「負けぬよう励め」といういつもと同じ言葉で会話は終わった。しかし、ダダイの頭の中は一層渦巻いていった。

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