④
3日間健太郎を避け続けたのは朔夜だが、学校を休んでいたわけではない。
夜になるまで駅で待ち続けていてくれたっていいじゃないか、そんな乙女チックな願望が「おとこおんな」な朔夜の心の隅にもあったことに朔夜自身は気付いていない。
ただ、健太郎が自分を追い続けてくれなかったことに、「所詮、自分はその程度の存在なんだなぁ」とあきらめモードが入っていたことは事実だった。
だから「あいつ、何考えてるんだろう!」とぷりぷり怒りながら靴を履きバタンと下駄箱の扉を閉めても、ほぼ女子高の紫音まで来て、しかもあんな目立つことしてまで自分を探し、説明しようとしてくれたことが実は少し嬉しかったりもする。
外に出ると校門の外で健太郎が神妙な顔をして待っていた。
「こんなことして。・・・納得がいくように話してね」
「ああ」
そうは言ったものの、健太郎はなかなか切り出さず、ただ黙々と歩く。
朔夜も足元を見つめてただ歩いた。
駅までの道のりが重苦しく、長い。
改札を過ぎて階段を上がろうとすると、健太郎がぴたっと立ち止った。
「何?」
「あのさ・・」
うつむく健太郎は何か言いたげだ。
何?
ここで話しをするつもりなの?
はっきり言ってここじゃ往来の邪魔になる。
なに?ともう一度言おうとした時に手を取られた。
「けん・・」
朔夜の手をギュッと握って、そして足を踏み出した。
手を引いて、黙って階段を上がっていく。
ラッシュのときに密着しているのとは違う。
健太郎の熱が直に伝わって、朔夜は心臓が手のひらにあるような感じがした。
健太郎は、ホームでも電車に乗っても、まるで朔夜が自分からまた走り去っていってしまうのを恐れているかのように、朔夜の手を決して離さなかった。
いつもの場所ではなく、空いていた座席に並んで座る。
「・・俺さ、何がダメだったのか、最初わからなくて」
「・・・・・」
「なんで朔夜が突然電車を降りたのか・・何を怒ってるのか」
「・・・・・」
「あの時は幸恵のことも、誤解してるとさえも思わなかったんだ」
「どうして?どういう知り合いって聞いたら、健太郎、教えたくないって言ったんだよ」
「ごめん」
「そんな言われ方したら・・」
「ほんとに・・・ごめん。幸恵とは小さい頃からの友達で」
「小さいころから?」
「ああ。でも、ほんとにただの・・昔から一緒にいるってだけで」
「・・・・じゃあ、先輩はほんとに彼女とかじゃないの?」
「ああ。あいつは俺の天敵といってもいいくらいの奴だから・・彼女だなんてとんでもない」
「天敵って」
本当に彼女じゃなかったのか。
ふいに笑いがこみあげてきた。
フフっと笑うと健太郎の険しい顔がゆるんだ。
「次の日に話そうと思ったら会えないし・・、その次の日も朔夜に会えなくて・・俺、必死に考えたよ」
「・・・・」
「朔夜は幸恵のこともそうだけど、俺が教えたくないって言ったことに腹が立ったんじゃないかって」
「・・・そうだね、たぶん」
「ごめん」
朔夜は、ん・・と頷いた。
「あれは幸恵とのことを話したくないって言ったんじゃなくて・・」
「え?」
「あ゛~うぅ~ん・・・・やっぱ、これから行くところで話すから」
「・・そう言えば・・どこ行くの?」
「俺んち」
「え゛!」
「あ、おふくろもいるし、姉ちゃんもいるから。やましいことは何もしない!」
「そ・・そう・・」
「時間、大丈夫か?帰り遅くなっても。」
「別に・・ものすごく遅くなるわけじゃないでしょ?」
「あ、もちろんだよ。うん」
ハハ、と笑う健太郎。
下心がないのはいいとして、それよりそれより・・お母さんやお姉さんに会うの!?
と、朔夜は別の意味でドキドキしていた。
「ただいま!朔夜、上がって」
「う・・ん。お、おじゃまします」
健太郎の家のおしゃれな玄関で朔夜は靴を揃えた。
下駄箱の上にはトウシューズを履くバレリーナの陶磁器が花と共に飾ってあり、何とも言えずいい香りがする。
「これ。お母さんの趣味?」
「あ?うん」
おかえり~とキッチンから顔を出した健太郎の母親の目が点になった。
「お・・女の子!!」
「桐原朔夜と申します!」とあわてて朔夜は深々と頭を下げた。
「あらぁ、しつけの良いお嬢さんねぇ。健太郎の彼女さん?」
「あ・・たぶん・・そう・・です」
「たぶん?」
母親が健太郎を見ると、そうだよとふてくされたように答える。
「おお!認めた!ほんとに彼女さんだ!」
よく来たわね、どこの高校?コーヒーと紅茶とどっちが好き?クッキーでいいかしら?と矢継ぎ早に質問する母親を、健太郎は遮った。
「ちょっと大事な話があるからさ。俺の部屋で話すけど上がってくるんじゃねえぞ」
「大事な話?」
「ああ」
「エッチなことはしちゃダメよ」
「バ、バッカ!!」
まじめな顔で釘を刺されて、健太郎は真っ赤な顔をしている。
「じゃあ、今、麦茶入れてあげるから持って上がりなさい」
母親は、冷蔵庫から麦茶を出し、コップを二つとお菓子をトレーに乗せて健太郎に渡す。
危なくなったら大きな声を出すのよ、と朔夜にウインクして手を振った。
「楽しいお母さんだね」
「うるせえんだよ。あのくそばばぁ」
健太郎の言い草に笑いながら、階段を上がる。
明るい木目のドアを開けると、全体的にブルーや黒の色調の男の子の部屋が広がっていた。
目を引くのはケースに飾られた、メダルや盾、トロフィーや賞状だった。
「これ何のメダル?」
朔夜が近付くと、それがさっきの答え、と健太郎が頭を掻いた。
「全国舞踊コンクール バレエジュニアの部 第一位、全日本バレエコンクール ジュニアA 第一位・・」
バレエ・・?
バレエって・・あのバレエ?
白鳥の湖とかのバレエ?
健太郎が・・・・・バレエ!?
「これって・・健太郎の・・・?」
「そう」
「バレエやってるの?」
「ああ。ちびのころから、姉ちゃんと一緒にさ」
「優勝するほど上手いの?」
「・・・一応ね」
トロフィーに吸い寄せられたままの朔夜に、聞かれたままを答える健太郎。
笑われたらどうしよう。
呆れられたらどうしよう。
どうか朔夜に気味悪がられませんように。
それだけが健太郎の願いだった。
朔夜がバッと振り向いた。
「すごい!健太郎!健太郎ってすごい!!!」
「え・・」
「だって、これ全部健太郎のなんでしょう?すごいよこんなに!!」
「笑わない・・の?」
「どうして!?バレエだから!?あ~っ びっくり!健太郎がバレエ踊れるなんて想像もしてないもん。でもすごいし、似合うかも!!」
熊川哲也~♪ 王子様~♪
と、ハイな状態でくるくる回る朔夜に、健太郎は思わずハハ・・と気が抜けた。
俺は何を心配してたんだろう。
朔夜はこんなに自然に、嬉しそうに、俺とバレエを認めてくれた。
どさっとベッドに腰掛けて、朔夜に手を伸ばす。
手を取られた朔夜は健太郎の膝に倒れこみ、後ろから抱きしめられた。
「きゃ!」
「ありがとう」
「・・何が?」
「俺がバレエをしてるのを、笑わないでくれて」
「・・・ちょっとびっくりだけどね。でも笑うようなことじゃないよ?」
「そうか?」
「うん」
「そうか」
ギュッと抱きしめられたままの朔夜は、健太郎の腕に自分の手を重ねた。
だいぶ恥ずかしい体勢だが、健太郎はバレエのことで真剣に悩んでいたということが朔夜にも分かる。
そのまま、先輩のことを口にした。
「岩見先輩もバレエをやってるの?」
「ああ」
「そうだったんだ」
「・・小さい時からずっと一緒のクラスで。今は時々組んで踊ったりするんだ」
「組んで?」
「うん。回るのをサポートしたり、支えたり、持ち上げたり」
「持ち上げる!?」
「ああ。バレエの男性はそれが仕事・・みたいなところあるから」
「先輩のこと、持ち上げられるの!?」
「それがさ、あいつすっげー重いの。なのに、フラフラするなだの、不安定だのってほざくんだぜ」
先輩を持ち上げる・・・
すごい!と思うと同時に、なんだかもやもやした感じがする。
「ふぅん・・重くても・・持ち上げられるんだ」
朔夜の声が少し変わったことに健太郎は気がついた。
「あれ、もしかして・・妬いてくれてる?」
「え?そんなことないよ」
「でもさ、今度の喧嘩も・・もしかしたらほんとに幸恵のこと彼女だと思って・・妬いたんだ!!」
「ち、ちがうよ!!」
あわてて立とうとしても健太郎ががっちり抱きかかえているから動けない。
「ちょっ・・離してよ!」
「やだね。せっかく朔夜を抱いてるのに」
「抱いてるなんて言うな~!!!」
足や手をジタバタと動かしてみるが、びくともしない。
さすが先輩を持ち上げられるだけのことはある・・と朔夜は妙な感心をしてしまった。
「でもさ」
「え?」
「今回、朔夜に会えなくなって、俺ほんとにどうにかなるかと思った。どうしよう・・どうしよう・・って。学校でも、稽古してても上の空で。夜も眠れなくて」
「けんたろ・・」
「俺、本当に朔夜が好きだ」
またギュッと抱きしめられ、朔夜は胸が熱くなった。
「私も、健太郎が好きだよ」
「さく・・」
「あのね、私、最初はわからなかったんだ」
「わからなかった?何が?」
「健太郎に付き合ってくださいって言われて、とりあえずって付き合うことにしたでしょ?」
「ああ。」
「健太郎と会うのは楽しかったけど、本当に好きなのかどうかがよくわからなかったの」
「・・・・・。」
「でもね、健太郎に会えないってなったときにね、なぜだかボロボロ泣けてきちゃって」
「・・泣いたの?」
「うん。・・・・素直に言うことにするね。私も健太郎にすごく会いたかった。会えなくて、すごく悲しかった」
「朔夜」
「ああ、私って健太郎が好きなんだなって自覚しました」
「朔夜ぁ」
「今まで、ちょっと中途半端な気持ちだったけど・・ちゃんと彼女になっていい?」
健太郎は朔夜の顔が見たかった。
手をほどいて、朔夜を自分のほうに向かせる。
少し照れくさそうに笑う朔夜がまぶしかった。
「俺でいいの?」
「それを言うなら、私でいいの?だよ?」
「・・・朔夜がいい。朔夜じゃなきゃだめ」
「私も健太郎じゃなきゃだめ。・・だと思う」
「だと思う、か」
あはは、と朔夜が笑うと健太郎の目が光った。
「じゃあ、俺じゃなきゃだめな朔夜にするまで・・だな」
「え?」
ニヤッと笑うと、朔夜の首筋を後ろから大きな手で引きよせた。
「な!・・まって・・け・・ん・・」
健太郎のとっても形の良い唇が、自分の唇に重なっている。
とんでもなく魅力的な瞳が目の前にある。
朔夜は目をまん丸にして硬直した。
「目・・つぶれよ」
健太郎がほんの少し離れて朔夜を見る。
止まっていた息が吐き出されて、喘ぐように吸うと、また唇が重なった。
角度を変えられて、重なりがもっと深くなって、そのまま「目、つぶれ」とささやかれた。
思わず目を閉じる。
やわらかい唇が自分の唇に重なっている。
朔夜の体からだんだんと力が抜けて行き、身体を支えられなくなりそうで、健太郎のシャツをにぎりしめる。
唇が名残惜しそうに離れ、またギュッと抱きしめられた。
「・・・朔夜。もう、俺だけだからな」
「う・・ん」
「俺にも朔夜だけだからさ」
「信用しろよ」
「うん」
「好きだよ」
うん。
私も好き。
健太郎が好き。
そう呟きながら、朔夜もギュッと健太郎を抱きしめた。
「おじゃまいたしました」
朔夜が靴を履いて振り返ると、健太郎の母親と姉はにっこりと笑った。
「また来てね」
「今度は私とも話そうね。健太郎の弱点とか教えてあげるから」
「弱点?あはは、はい。またおじゃまします」
ぺこりと頭を下げて、ドアを開けてくれていた健太郎について外に出る。
姉はサンダルをつっかけて、朔夜を門まで見送った。
「じゃ、今日は稽古休むのね。ちゃんとお家まで送ってくるのよ」
「ああ、わかってる」
「じゃあね、朔夜ちゃん!」
健太郎は学校が終わってから、毎日バレエの稽古に通っていた。
夕方から夜まで。
それは朔夜という彼女ができても変わることはない、習慣であり、信念だった。
朔夜は一度、美加子に不思議がられたことがある。
どうして放課後にデートしないのか。
電車内で会うだけではなく、そのままどこかで遊べばいいのに、と。
確かにそうだな、と朔夜はその時思ったが、理由がわかった今は納得だった。
何しろ、朔夜と喧嘩をしている間でさえも休まなかったのだ。
朔夜はそれだけ健太郎が熱中しているバレエを見たいと思った。
「ね、今度健太郎が踊ってるのを見るチャンスない?」
「・・5月に発表会があるけど」
「あ、それ行く!そうかぁ、そのうち会えるって、岩見先輩はその発表会のこと言ってたんだ」
「見に来るのか・・?」
なんだか歯切れが悪い。
「うん。見ちゃ悪い?」
「いや・・」
「私が見に行くのって迷惑?」
「そんなこと!・・ないよ。」
「嬉しくないの?」
「・・・嬉しい・・けど」
「煮え切らないなぁ。なに?」
「・・・・・・・・・・・笑うなよ」
笑うな?
・・何を?
健太郎の、何を笑うの?
実力・・は十分なんだよね。
・・・・・・あ!
「もしかして、タイツのこと!?」
「そーだよ!絶対笑うなよ!!!」
コンクールに優勝するほど上手いのに、タイツのことで恥ずかしがってるなんて。
朔夜は吹き出した。
「何、そんなこと気にしてるの?ずっと気にしながら踊ってるの!?」
健太郎は真っ赤な顔を大きな手で撫でた。
「あ゛~・・今まで恥ずかしいなんて一度も思った事ねえよ。誰が見に来てたって、俺の踊りはどうだ!って見せられたよ」
「じゃあ、なんで?」
「お前だからだろ」
「私だから?」
「朔夜がどう思うのか、気になるんだよ!」
「へぇ・・へぇぇ・・そう・・ふぅ~ん、楽しみだなぁ」
なんだか健太郎の弱点をつかんだような気がする。
お姉さん、私、教えてもらわなくても大丈夫かも。
健太郎の弱みは・・
きっとそうなんだ。
たくさんの女の子があこがれる健太郎。
そんな男子が自分を好きだなんて少し前までは半信半疑だった。
でも今は信じられる。
なんだよ、その笑いは!と健太郎が朔夜を追いかける。
むふふふ~と不敵な笑みを浮かべながら朔夜が逃げる。
いいな、こんな感じ。
そう思いながら二人の長い鬼ごっこが始まった。
おしまい
一応完結ですが、いくつか小話があります。
シリーズものにできるといいなって考えてます。