③
朔夜が健太郎と付き合っているという事実は、一週間を待たずに紫音や緑風だけでなく近隣の高校に広まっていた。
良かったね、頑張ってね、いいですね、羨ましい。
羨望混じりの好意的な声ももらったが、それは掛けられる声のごく一部で、大多数は「なんであんな子が?」という言葉と態度。
他校の子などはすれ違いざまに「ブス!」と小さく罵ったりもしてくれる。
あまり考え込まないたちの朔夜でも、こう毎日ではさすがにうんざりしてきた。
「なんだか疲れてるねぇ」
美加子が朔夜を見てつぶやく。
「さくちゃん、大丈夫?クマできてるよ」
桃子が心配そうにのぞきこむ。
「あんないい男が私の彼氏だなんて間違ってる・・」
「そんなことないよ。朔夜と健太郎君、お似合いだったよ」
つい昨日、二人は健太郎に会っていた。
桃子が健太郎君に会いたい!と駄々をこねたので、ならば会いに来れば?ということになり、帰りに同じ電車に乗ったのだ。
美加子と桃子は、話に聞いていた健太郎が想像以上にハンサムなことに驚いた。
健太郎は、朔夜と朔夜の親友の二人には、ずーっと眺めていたいと思わせるほどの極上の笑みを終始湛えて会話を繰り広げた。
地がいいうえにアイドル並みのパフォーマンスをされたらたまったもんじゃない。
ときどき周囲を気にしていた桃子は、美加子に「これはさくちゃんたいへんかも・・」とささやいた。
こんな顔を朔夜に向けていたら、他の女子の嫉妬をあおるだけだということが簡単に想像できるからなのだが、事実その通りで、二人が付き合い始めると同時に同じ車両に乗り合わせるようにし始めた健太郎ファンは、他の女子には冷たい表情しか浮かべない健太郎がうれしそうな顔で朔夜を見ることに我慢がならない。
ましてや朔夜が健太郎に見合うだけの美女ならともかく、自分と同じ程度の造作だとなれば、「なんで私じゃなくあの子なの!?」というジェラシーが燃え上がるのも当然だった。
「お似合いだけど・・女の子たちの嫉妬の対象になっちゃってるもんね、さくちゃん」
「まあね、あれはちょっと怖いかも」
「・・でしょ・・?」
「でもさ健太郎君が守ってくれるよ」
「・・・今のところ直接何かされるわけではないけど。でも、あの視線は・・。」
「気にしないのが一番じゃないの?」
「やっぱりそうかな」
「うん。さくちゃんだって健太郎君のこと好きでしょ?だったら負けないで!」
「・・・・・・・」
はた、と朔夜は思う。
私は健太郎のことどのくらい好きなんだろう。
あの顔は間違いなく好きだ。
あんなに麗しい顔はそうそう間近で拝められるものじゃない。
懐かれている感じも悪い気はしない。
間違いなく「好き」なのではあると思う。
でもこれは恋なのだろうか。
あんな理不尽な視線にこれからも耐えなくてはならないほど、健太郎が好きなんだろうか。
新たな悩みに、朔夜はため息をひとつついた。
自分が健太郎に恋をしているのか、よくわからないまま数日が過ぎた。
朝と帰りの短い時間のデートは相変わらず楽しいし、一度だけした日曜の映画デートも文句なく楽しかった。
ただそれは、美加子や桃子と遊んでいる楽しさと大差ない。
朔夜は、「これは恋?こんなはっきりしない気持ちで、たくさんの女の子を傷つけたままでいいの?」と暗澹たる気分をずるずると引きずっている。
何しろ健太郎ファンの子たちが健気なのだ。
朔夜に対しては敵対心しか持ち合わせていないようだが、朔夜が確認できるだけの間だけをとってみても、ずっと彼を見つめ、後を追い、彼の態度に一喜一憂する。
本当に健太郎は彼女たちのアイドルなんだろう。
一般人である健太郎にとってはそんなファンたちに囲まれて過ごすことは気の毒の一言に尽きるが、それはそれ、朔夜にとってはまた別問題で。
そんな男の彼女が私でいいのか。私は彼女たちの想いに恥じないほど健太郎を好きなのか。
自分の心がいまいちよくわかっていない朔夜にとって、この難問が頭の中をぐるぐるする。
めったに落ち込まない朔夜でも食欲が減り、1.5キロもダイエットしてしまっていた。
そんなある日、食欲ないなぁと思いつつも購買部に昼食用のパンを買いに行くと、並んでいる途中で後ろから肩を叩かれた。
「桐原さん?」
「はい?」
3年の、美人なことで有名な先輩がにこっと微笑んでいた。
「健太郎の彼女ってあなた?」
「あ・・はい。一応・・」
・・・健太郎?
呼び捨て・・知りあいなのかな。
「ふぅん、健太郎の好みってあなたみたいな子なんだ」
親しげな言葉と態度。
でも含みがあるようでなんだか引っかかる。
「あ、ごめんね。私、3年の岩見幸恵。健太郎とはちょっとした知り合いなの」
「そうですか」
「健太郎から紹介されるの待ってたんだけどさ、あいつ、私には黙っているつもりみたいだから・・挨拶しに来ちゃった」
紹介?
黙ってるって・・私のことをこの先輩には話したくないってことだよね。
どういう知り合い?
「今度、別の場所で会えるかもね」
「別の場所?」
「そう、健太郎もいるときにね。きっとそのうち会えるわよ」
「あの、どういうこと・・」
パンの列が朔夜の順番になって、購買部のおばさんから何にするの?と声をかけられた。
あ、えっと・・と視線をパンに戻した時に、岩見先輩は「じゃ、またね」と朔夜から離れて行った。
優雅な後ろ姿を見送ってパンを選ぶ。
焼きそばパンを手に取りながら、一体何なんだ、となんだかもやもやした気分が朔夜に充満していた。
帰りの車内。
健太郎にカバンを預け、いつも通り隅に寄りかかった朔夜は目の前の男前を見上げた。
もう冬服では暑いとか、授業がかったるかったとか言っている。
朔夜はお昼の出来事を思い出していた。
自分には紹介してくれないつもりらしいって言ってたってことは、それなりに親しいってことだよね。
健太郎はどうして私のことを先輩に話さないんだろう。
「今日ね」
「うん?」
「岩見幸恵っていう超美人な先輩が会いに来たの」
「・・げ」
「健太郎が紹介してくれないから挨拶に来てくれたんだって」
「・・・・・・・・・」
あきらかに、ヤバイって顔をしている。
ただの友達ならこんなにうろたえないよね。
もしかして、二股?
あんな美人と?私を?
あり得ない。
「どういう知り合い?」
「・・・・・・・・・」
前に年上でも別にいいって言ってたよね。
「元かの?」
「ち、違うよ」
じゃあ、現在進行形か!?
ほんとに!?
「・・なんか含みがある感じだったんだよね。いじわるな感じじゃなかったけど」
「へ、へぇ」
しらばっくれようって顔をしてる。
「もう一度聞くけど、どういう知り合い?」」
「・・・・・・・・・教えたくない」
!!!
「そぉ、そういうこと」
朔夜は健太郎からカバンをひったくると、タイミング良く開いていたドアから飛び降りた。
「あっ!朔・・」
健太郎の前でプシューっと音を立ててドアが閉まる。
朔夜はアッカンベーをしながら、あわてふためく健太郎を見送った。
次の電車に乗る気もせず、駅から出てプラプラと商店街を歩く。
古ぼけた書店に入り、文庫の新刊を見やった。
そういえば、このところ本を読むペースがガタ落ちだ、と朔夜はボーっと考えた。
朝も帰りも、読書タイムだった通学時間で健太郎と話していたのだから当然と言えば当然。
好きな作家の新刊が出ている。
明日はこれでも読むか、と手に取った。
何日で読めるかな。
別なのも買っちゃおうかな。
とたんに涙があふれてきた。
ボロボロと、信じられないくらいこぼれてくる。
どうして涙が出るんだろう。
悔しいなあ。
あれ・・なんでこんなに悔しいんだろう。
ポケットの中で携帯が震えている。
無視して、新刊を二冊手に取り、レジに向かった。
次の朝は、電車を変えた。
思いっきり早く学校に行って、めったにしない英語の予習を済ませる。
帰りは下校終了時間ぎりぎりまで図書室に粘った。
そうして駅に行くと、健太郎はいなかった。
車内にも、朔夜が降りる駅にも。
いなくてホッとしながらも、心のどこかで、健太郎は自分を待っているんじゃないかと思っていた。
そんな想いが可笑しくてまた涙がにじんだ。
次の日も、また次の日も同じことを繰り返した。
美加子と桃子は何かを察知したようだったが、朔夜に問いただすことはしなかった。
朔夜は3日間、朝も帰りも健太郎に会わず、携帯の電源も切りっぱなしにした。
どうしてこんなに腹が立つのか自分でもわからない。
でも、きっと健太郎には先輩のほうが似合うし、だいたいそんな人がいるのに自分が彼女だなんて思えないし、思うのはおこがましい。
健太郎はきっと気まぐれで声をかけたんだ。
こうして彼を避けていれば自然に終わってしまうようなものだったんだろう。
健太郎ファンの子たちもきっとこれで納得してくれる。
朔夜が健太郎に会わなくなって4日目。
授業が終って荷物をカバンに詰めていると、窓際が急に騒がしくなった。
あちこちのクラスから同じような騒ぎが起こっているのが聞こえる。
「何?」
朔夜が窓際に向かうと、校門に茶系の制服が見える。
「健太郎!?」
遠目でもはっきり分かる。
それは健太郎だった。
桃子が「さくちゃん!」と腕をゆすってくる。
健太郎は、「小杉く~ん」と黄色い声を出してベランダに鈴なりになっているだろう全クラスの女子学生の中から、誰かを探してた。
「ほら、さくちゃんのこと、探してるよ!」
違うよ。
きっと先輩のこと探してるんだよ。
桃子に言ったのか、自分に言い聞かせたのか。
朔夜は小さくつぶやいた。
美加子はそんな朔夜を見るとベランダに飛び出して、ぐっとおなかに力を込めて大声で叫んだ。
「健太郎君!ここ!!」
健太郎が美加子を認めて、そしてその後ろにいるであろう朔夜を探した。
「朔夜っ!!!」
イヤーッとあちこちから悲鳴が上がる中、健太郎はまた叫んだ。
「朔夜!降りて来いっ!!」
降りて来いってなによ。
「降りて来いったら!!」
朔夜はムカムカして、行ってなんかやるもんか!と思う。
「降りてこないなら、そっちに行くぞ!」
キャーッとまた悲鳴が上がる。
うそっ!
朔夜はあわてて前の子をかき分けてベランダに出た。
「何の用よっ!!」
「話があるんだよっ!」
「私にはないわよ!」
くっそー!と健太郎はカバンを地面に叩きつけて、そしてぐっと朔夜をにらむと校門の中に歩を進めた。
信じられないほどの悲鳴の中をベランダの下まで歩いてくる。
健太郎と朔夜がにらみ合っていると、周りはだんだん静かになっていった。
「・・・悪かったよ」
「何のことですか!」
「幸恵のことだよ!」
イライラしながら健太郎が答えると3階から声が降ってきた。
「あら、私?何?私が喧嘩の原因なの!?」
そうだった、岩見さんのクラスは真上だった、と朔夜は思い出す。
健太郎は上を見ると、迷惑そうに怒鳴った。
「お前が余計なこと言うからごちゃごちゃになるんだろうが!謝れ!」
「・・だって私、別に何にもしてないわよ。桐原さんに挨拶しただけだもん」
「それがやばいんだろうが」
「なんでやばいのよ」
「何も話してねえんだよ」
何も?
朔夜は直接二人のやり取りを聞いても、さっぱり話が見えない。
一体健太郎は何を私に話してないんだろう・・。
「・・あんたまさか・・内緒にしてたの!?」
「・・・・・ああ」
どうやら上と下では話が通じたようだ。
だが朔夜は相変わらずさっぱりだ。
内緒?
二人が付き合ってるってこと?
あれ?違うの??
上から朔夜に声が降ってきた。
「桐原さん、ごめーん。私、知らなくて。誤解させちゃったみたい」
「・・誤解も何も・・話がまったく見えないんですけど」
「あのさあ、こうやって健太郎も迎えに来たことだし、一度ちゃんと、話し聞いてあげてよ」
「・・・・・・・・・・」
意地を張るつもりはないが、朔夜はすぐには答えられなかった。
「朔夜、一緒に帰ろう。連れて行きたいところがあるんだ」
「・・・どこに?」
「いいから」
「また内緒なわけ?」
「・・・・降りてこないと、そこまで本当に迎えに行くぞ」
真剣な顔をした健太郎は凄味があった。
ハンサムのそんな顔は当然かっこよくて。
キャー!!!!!!!
オーディエンスの悲鳴にクラクラする。
「何事だーっ!」と先生方が校庭をバタバタ走ってくるのが見えた。
健太郎が校門の外に逃げていくのが見える。
きっとそのまま外で待っているつもりだろう。
「仕方ないか・・」
朔夜は健太郎と一緒に行くことにして、カバンを持った。
桃子と美加子は頑張れ!と両手でガッツポーズをして朔夜を送り出してくれた。