星を映して
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
はあ〜、裸眼の視力検査って、本当に憂鬱だわ。
実際のところ、私って「C」の空いた部分、けっこう勘で答えちゃっているんだ。はっきりと見えていなくても、形の乱れだったら判別できるしね。これって、本当はまずいことなのかしら?
私たちは、自分に起きていることは、主観で判断できるけど、相手のことに関しては言葉や結果、仕草などからしか、うかがうことしかできないわ。
何が見え、何を考えているのか……ついぞ分からなかったり、誤解したまま通り過ぎたりして、勝手に相手を値踏みしている。
そういった誤解を正すには、色々なものを読む力は元より、伝える力だってそれ以上に鍛えないといけないと思うわ。
そして伝えるには、勇気が必要。相手の機嫌を損ね、自分への印象を悪くしてしまうかもしれないという不安に耐え、はっきり示すという勇気が。
私も振り返ってみて、勇気が必要だったなと思ったことがある。その時の話、聞いてみない?
小さい頃から、両親に「何かしらで一番になりなさい」と言われて育ってきた私。学校のみんなと競う機会があれば、自分なりに全力を出して取り組んだつもり。
だけど私は、勉強でも運動でも、ある女の子相手に勝ちを得ることができなかった。良くて、テストでお互いに満点という同率の一位。
――私にだって、彼女に勝てる何かがあるはず。それだけでいい、絶対に勝つんだ。
周りにちやほやされる彼女を見ながら、私は暗い対抗心を燃やしていた。
そして冬の星座が、夜空に映えるようになった頃。
授業合間の休憩になると、彼女の周りにはたいてい多くの人が集まっている。純粋に彼女を好きな人、彼女に媚びを売ってへつらう人。周りに流されるまま、群れる人。
これまでの時間であけすけになっている個々人の心。把握していると、あの光景に対してこっけいさと、腹立たしさと、うっとおしさが、ないまぜになってこみ上げてくる。非常に不愉快。
私は自分の席で本を読みながら、チラ見をしつつ聞き耳を立てていた。
「北斗七星って、昔は視力検査に使われていたのって、知っている?」
みんなは「な〜に、それ?」と言いたげに、首を振る。
「振っているのは、首だけじゃなく、尻尾もでしょ」と私は頭の中で突っ込んだ。
彼女は黒板に白いチョークで、ひしゃくの形をした7つの点で構成される、「北斗七星」を書いていく。そして柄の端から二番目の星の下に「ミザール」と書き、そのやや上に弱いタッチで新しい点を打ち、「アルコル」と書いた。
「このアルコルって星、『寿命星』とも言われていてね。見えなくなると年内に死んじゃうんだって。今度、明かりが少ない場所に行くことがあったら、見てみなよ。もしかしたら、自分の寿命が近づいているかもしれないから」
「こわーい」と騒ぎ出す、一部の子たち。特に視力が低い子にとっては、心底恐ろしく感じられたでしょうね。
それを察したのか、「ま、レンズ越しであっても構わないらしいけど」と付け足した。
私の家は、国道や県道から外れていて、部屋の明かりを消せば星がよく見えた。
北斗七星を探し、ぐっと見つめる私。あの「アルコル」が確かに見える。
ほうっと短いため息をつくけど、次の瞬間には安堵してしまった自分に、歯ぎしりしたわ。
――こんなの、彼女が出した課題をクリアしただけ。対等な位置にすら立っていない。もっと、もっとすごくなくちゃ、意味がない。
私は北斗七星が動いて、近くの家の屋根に隠れてしまうまで、穴が空くように見つめ続けていた。
数日後。彼女は集まったみんなに、「アルコル」が見えたか尋ねてきた。
見えたと答える人。まだ試していないという人のいずれか。あの話を聞いた上で、「見えなかった」などと話すのは、相当な度胸だ。
「みんな、すごいじゃん。それじゃ、次の課題ね」
次に彼女が提示したのは、おうし座にある「プレアデス星団」だった。
また黒板の前に立った彼女は、星座を成す星のうち、ひときわ明るい「アルデバラン」を赤いチョークでぐりぐりと大きい丸にし、おうし座の結びつきを作っていく。そして背中にある最も右上の点に、青いチョークでぽつぽつぽつ……と無数の点を打った。
「ここにはね、たくさんの星が集まっているの。この星がどれくらい見られたか、教えてほしいんだ」
彼女を囲んでいる子たちは、次々に了承した。秘かに私も。
今回、彼女はどれだけの星が見えればよいのか、話してくれなかった。とにかくベストを尽くそうと、その晩に私はおうし座の方を見上げ、目を凝らしたわ。
数日後。また彼女が自分を取り巻く人に、どれくらいの星が見えたか訊く。今度は私もギャラリーの中に混じった。
私は7つ見えた。他のみんなが5つや6つと申告するたび、優越感が湧いてくるけれど、まだまだ些細なレベル。肝心かなめの彼女がいくつ見えたかだ。
私は自分から尋ねるようながっついた真似はせず、他の人の動きを待つ。ほどなく女の子のひとりが「いくつ見えたの〜?」と彼女に尋ねる。
「8個」と静かに答える彼女と、「おお〜」と盛り上がる観客。
そこへ私はぼそっと付け足した。
「9個見えたよ、私」
すっとざわめきが止んだ。「空気を読めよ」とでも言いたげな雰囲気。私はあえてもじもじ、申し訳なさそうな罪悪感アピール。
ウソだと糾弾する人は出てこない。同じものを見たって、人によって見えるものが違うのなら、出来上がる構図は単純。
見えれば上、見えなきゃ下。今この時、私は上、彼女は下。
彼女はすっと私を見つめてきた。その目からは、いかなる感情も読み取れない。「たまたま、そちらを向いた」といっても通用しそう。
私も変わらず、心底「すいません」という気持ちを出して、瞳をうるませる。
自分の望むがまま目頭を熱くできる特技、持っていて良かったわ。大勢の前で泣きそうになれば、追撃してくる輩の方が「空気読んでいない」ことになるもの。
彼女は「トイレ」と席を外し、みんなもなし崩し的に散っていく。何人か彼女のシンパらしき子たちににらまれたけど、彼女のワンサイドを変えてやったというだけで私には大収穫、大満足だった。
放課後。彼女から「『サシ』で星を見ない?」と尋ねられるまでは。
その晩、学校近くの川原で落ち合うことになる私たち。
ぶっちするのもありだったろうけど、私もウソをついて優位に立った負い目があったせいでしょうね。
「実はウソをついた証拠をつかんでいるんじゃ」と考えたら、胸のうちでマイナスのドキドキばかりが大きくなっていく。
――謝っておいた方がいいよ。傷を深めないうちに。
良心が、私の耳元でささやき出す。けれど同時に、これは彼女に対して、恒久的に優位に立ち続けられるチャンスでもある。
――ウソでもいい。貫き通すんだ。もう下から見上げるだけの、みじめな思いはごめんなの。
時間の20分前だというのに、彼女はもう集合場所である、草の茂る土手の真ん中で空を見上げていた。私が声をかけると、こちらへ顔を向ける。
心なしか冷たさを感じた。私は弱みを見せないよう、努めて平静を装う。
「もう一度、プレアデス星団を見ましょ? 今日は天気がいいから、たくさん見えるかも」
否と答えるのは不自然。私は彼女と並んで、昨日のようにおうし座を見やった。
やはり見えるのは7つ。でも、彼女の口ぶりからして、9個以上の申告をしないと怪しまれるかしら? あるいは……。
ふと私は後ろから、ぴとりと左右のこめかみを押さえられた。後頭部にかけてすっぽりと、何かが掴んできている。
冷たい。手のひらの感触と思った時には、一気に冷えが去り、触れられている部分が熱くなっていくのを感じていた。
思わず首をひねろうとすると、「動かないで!」という刺すような制止と共に、首の筋が一本揺れて音を立てた。声はまぎれもない彼女のもの。私が空を見上げている間に、彼女は背後に回り込んでいたんだ。
従わないと、壊される。そう思うに十分な力だった。
彼女の指が伸び、私のまぶたを押し開ける。まばたきを許さない仕打ちに、私の目はほどなく痛みを訴え出した。苦しさのままに口から漏れた声も、彼女には届いていないよう。
こじ開けられた視界へ、どんどん星空が近づいてくる。顕微鏡でズームにする時みたいに、彼女がぐりぐりと私のこめかみを回すと、私の視界はいっそう星の海へと連れていかれる。
――彼女は、私の目を天体望遠鏡代わりにしているんだ……!
思うや、一気に「倍率」をあげられた。
プレアデス星団よりも、ずっとずっと先。青や赤に燃える星たちを越え、その向こう。
いきなり、見えていた星々が消える。真っ暗になった視界に悲鳴をあげかけたところで、彼女の指が眼球の上に、そっと乗せられた。
つつっと表面をなでていく感覚は、私への最大限の脅迫。
もう、瞳から血が飛び出すんじゃないかと思った時、私は解放された。
目は見えないまま。頬に触れる草の感覚で、私は倒れたんだということを悟ったわ。
「眼がいいようだから使ってみたけど、他の人と大差ない……もしかして、ウソ?」
彼女がつぶやくのが聞こえた。そしてそれ以上の追求をすることなく、去っていく足音だけを残していく。
私はどうにか土手を這いずりながら上り、家に帰ろうとしたけど、街灯の明るさがかろうじて目に沁みるだけ。電柱やガードレールを頼りにして、どうにかというところ。
翌日になっても、私の目は回復しなかった。
メガネやコンタクトレンズの世話になるなんて、悔しくてしかたなかったけど、登校する際に、道路によろけ出て車にひかれかけては、言い訳ができない。
私がコンタクトレンズで視界を取り戻すまでの一両日で、彼女が何をしていたかは分からない。けれど回復した視界の中で、彼女は私の方を見ることなく、いつものように取り巻くギャラリーたちとおしゃべりするばかり。
文字通り、彼女の眼中から私は消えたんだと、感じざるを得なかったわ。