産廃ドリームの時代
感染性廃棄物は産廃錬金術の一つだった。重金属類や揮発性有機物質など他の特別管理産業廃棄物と比べて定義が曖昧で、感染性かどうかは病院(医師)の判断に委ねられており、医療系廃棄物はすべて感染性としている病院、感染症病棟の廃棄物だけを感染性としている病院、血液が付着している廃棄物だけを感染性としている病院など、まちまちだった。特別管理産業廃棄物に区分されるため、収集運搬についても処分についても、許可業者が少なく、処理費は普通の産廃の数倍の一トン十万円以上だった。しかし他の特別管理産業廃棄物のように取り扱いを間違えたらすぐに爆発したり中毒したりする危険を増すわけではない。SARS(2003年)のようにパンデミック(世界流行)の危機迫る事態が廃棄物を媒介として起こることがないとは言えないが、現場の緊張感は低い。特殊密閉容器と特殊な保冷車両で運搬することが必須になってはいたが、ルールどおりに容器ごと焼却してしまえばなんの問題もなく、処理の手間は普通の産廃と同じである。それなのに何倍もの料金を請求できたのだ。感染性廃棄物がおいしい時代は産廃ドリームの時代だった。そのころを懐かしむ業者は多いだろう。