第2話 義理の兄
「ただいま……」
学校から自転車でそれほど遠くない距離に私の家がある。なんてことない一軒家、というか借家だ。引き戸の玄関はガラガラと音を立てる。正面に見える綺麗なひまわりの造花が私を迎えた。
私は帰宅すると、高い段差のある玄関に座って靴を脱いで居間に行く。自室に行くにはまずこの居間を通らないといけない。
「ただいま……」
今日も疲れた……私はため息をつきながらドアを開ける。
「おっかえりー!」
「うわぁああああああああ!?」
背後から声を掛けられ、私は悲鳴を上げてしまった。
「た、隆お兄ちゃん!?」
振り返ると、エプロン姿の茶髪の男の人がニコニコしながら立っていた。
少し長い髪を雑に縛り、私に向ける人懐っこい笑顔。左目には泣きぼくろがあって色っぽい。155㎝の私は彼を見上げてしまうが、彼は176㎝と男性としては平均的な高さだ。
高野瀬 隆お兄ちゃん。彼は私の義理の兄だった。
「おかえり~、陽菜。ご飯にする? お風呂にする? それともお・に・い・ちゃ・ん?」
冗談めかしに言いながら、隆お兄ちゃんは大きな箱を私に見せた。
「……なにそれ?」
それはゲーム会社の名前が書いてある箱だった。
「今日発売のゲームのハードとソフト。遅れたけど、ハッピーバースデー、陽菜」
「ウソでしょ!?」
ハードの方は製造が間に合わないという話で、私は欲しいゲームがあるのに誕生日プレゼントを泣く泣くあきらめたのだ。
「公式サイトの方は在庫があったんだよねー? さあ、この有能な兄を褒め称えよ、妹よ!」
「きゃー、隆お兄ちゃん素敵! かっこいい! 最高!」
「だろう? 兄は有能だろう?」
私は隆お兄ちゃんからゲームが入った箱を受け取った。
「……ん?」
ハードが入った箱なのにやけに軽い。いくら従来のものを軽量化したとしても軽すぎる。
私は箱を開けると、中身は何も入っていない。透明の袋だけが残されていた。
「…………お兄ちゃん?」
私が隆お兄ちゃんをじっと見つめると、隆お兄ちゃんはにこっと笑った。
「ごめん、先にプレイしてる!」
「この外道!! そこに座りなさい!」
バンバンと箱を叩きながら私は言う。
「人にあげるプレゼントで先に遊ぶ兄がどこにいるの! 鬼!」
「あははははっ! ゲーム、ちょー楽しかったぜ!」
「聞いてないよ!! バカ!」
「あははは! ごめんごめん、ちゃんと陽菜の分があるからさ……」
「どういうこと……?」
「ほら、ハード高いからオレは事前予約で先に買ってたんだよ。独りでやるのは忍びないし欲しいソフトもなかったから隠してたけど、陽菜のはこっちにあるって」
隆お兄ちゃんが奥の部屋から持ってきて、はい、と隆お兄ちゃんが私に渡したもう一つの箱。ちゃんとずっしりした重みが伝わってくる。
中身が入っているのは確かにわかった。私は頬を膨らませて箱を小脇に抱えて言った。
「隆、絶対許さない」
「なんでだよ!? からかって悪かったよ!」
ごめんよーとお隆兄ちゃんは言いながら私の頭を撫でた。
それで私の機嫌が直るわけがない。もう私は中3だ。頭を撫でて機嫌が直るほど幼くないのだ。
「ごめんて…………オレのアイスあげるからさ」
「許す!」
「さすが、我が妹。食べ物に弱い。風呂、沸いてるから先入ってきな。ご飯作っておくから」
「はーい」
6年前のあの日から私の生活は一変した。
裏野ドリームランドに両親と行ったあの日、私は遊園地内で両親とはぐれてしまった。はぐれた私を見つけたのは、遊園地に遊びに来ていた大学生のグループで、無事私は両親の元に帰ることが出来た。ここまで聞けばただの迷子の話。
はぐれた私が見つかったのは、遊園地が閉園した3年後だった。たまたまその遊園地に肝試しに来た大学生たちに発見され、一時期ニュースにもなった。それもそのはずだ。私が行方不明になったのは、まだ遊園地が営業している頃。それも遊園地の営業最終日。警察も出動し、さらには情報提供の紙まで配った。行方不明になった私は三年後に見つけられたが、その姿は三年前のまま。
私は自室に行くと、カバンを置いて、制服から私服に着替えた。
部屋の洋服かけには色褪せたウサギのパスケースがかけられている。
日付は9年前の8月3日。その遊園地が閉園した日。
両親は保護された私を見て、涙を流していたのをよく覚えている。遊園地に連れて行って行方不明になった娘が戻ってきたのだ。でも、行方不明当時と姿が変わらないこと、そして三年間の間の記憶が私にはないことに不思議に思っていた。
私の記憶は両親と一緒に遊園地に行った時のまま途切れていた。気づいたら閉園したあの遊園地にいて、医者にはショックで記憶が飛んでいるのだろうと判断された。
『遊園地のことは早く忘れなさい』
両親は遊園地のことも思い出したくないのか、このパスケースを何度も捨てようとしたけど、結局捨てられなかった。別に捨てたはずのパスケースが戻ってきたとか怖い話じゃなくて、私がなんとなく捨てられなかった。
「……下着がない」
箪笥の中を確認すると、中に下着が入ってなかった。最近雨続きで洗濯物が溜まっていたのを思い出す。今日の朝、学校に行く前に干している。いつも洗濯は私の仕事だ。そういえば、今日の洗濯物はすでに中にしまわれていた。ということは……
「陽菜―、パンツとスポブラ、こっちに畳んであるからもってけー」
居間から隆お兄ちゃんの声が聞こえて私は顔を真っ赤にさせ、居間へ駆け込む。
「ありがとう!! でも、洗濯物は私って約束でしょ?!」
「だって、洗濯物をさっさと片付けたかったんだよ」
「そういう問題じゃないよ!! 恥ずかしいの!! 隆お兄ちゃん、男でしょ! 女の子の下着見て恥ずかしくないの?!」
私がそういうと、隆お兄ちゃんは「えー……」と言い、首を傾げた。
「お年頃だな……もう……別にスポブラは見てて恥ずかしくないな。むしろ微笑ましい。オレは大人だからな!」
「こんなデリカシーのない大人、見たことがない!」
「身内以外で見かけたら通報することをオススメする!」
隆お兄ちゃんのそういうデリカシーのない所はたまに嫌になる。
「ほら、早く風呂に入りなさい」
「もう……人の気も知らないで……このまま覗いたりしないよね?」
「…………しないよ?」
「その溜めはなに!?」
「冗談だよ。本当にからかい甲斐があるなぁ、陽菜は。オレがご飯作ってる間に入っておいで」
隆お兄ちゃんは笑っていい、私は頬を膨らませたまま風呂に向かった。
隆お兄ちゃんは私の本当のお兄ちゃんじゃない。9年前、私が行方不明になってから両親が養子として隆お兄ちゃんを迎えたのだ。その時、行方不明だった私は6歳、お兄ちゃんは15歳だったと思う。そしてその3年後、両親に内緒で隆お兄ちゃんは友達と廃遊園地へ肝試しに出かけ、そこで私を見つけたのだ。最初に私を見つけ、私に話しかけてくれた人。
隆お兄ちゃんも私を見つけた時は驚いたらしい。夜の廃遊園地に一人でいる女の子。そして、聞いてみれば自分の姓と同じで、調べてみれば養夫婦の実子。こんな偶然が重なるなんて思いもしないと思う。
『陽菜ちゃん、ずっと遊園地にいたの?』
『うん…………』
『何してたのかな? オレに話してくれる?』
『……お兄ちゃんは、あたしの話しんじてくれるの?』
『うん、オレは陽菜ちゃんのお兄ちゃんだからね』
大人たちは私の話したことを誰も信じてくれなかった。きっと、恐怖で記憶が飛んでしまったのだろうと。話を聞いて信じてくれたのは隆お兄ちゃんだけだった。
私が発見されたあと、私たちは家を引っ越した。3年前と同じ姿の私が近所の人に奇異な目で見られないように。
でも、転校してもニュースで流れてしまえば、私が行方不明だってことが分かってしまう。転校した先でもバレてしまい、何回か転校したこともある。
つい3年前、まだ隆お兄ちゃんが大学生だった時、両親は事故に遭って亡くなってしまった。隆お兄ちゃんの就職も決まって、お祝いをしようと張り切っていた両親が買い物に出かけていた時、信号を無視したトラックが両親の車に突っ込んだらしい。
らしい、というのも隆お兄ちゃんが私にそれ以上のことを教えてくれなかった。
それから、私たちは隆お兄ちゃんの職場に近いあの遊園地がある町に越した。私が6年生のことだ。支部は他にもあるのに配属先がこの町だと知って、隆お兄ちゃんも「なんで寄りにもよってこの町に……」とぼやいていたのを覚えている。
「あー、気持ちよかった……」
お湯にどっぷりつかった私は、着替えて居間に行く。
「おう、ちょうどよかった。陽菜、ごはんと味噌汁よそってよ」
「はーい」
二人で暮らすのもだいぶ慣れた。隆お兄ちゃんが仕事で遅い時は私がご飯を作って、隆お兄ちゃんが休みの時は隆お兄ちゃんがご飯を作る。お掃除や洗濯は私の仕事。皿洗いは二人でが基本。分担をすればそれなりに回るものだ。
「皿洗い終わったらゲームしよう。本体設定やってあげるからさ」
「本体設定あるの?」
「うん、今回もユーザーIDとパスが必要なんだよね」
「IDか……何がいいかな?」
「ONICHAN-DAISUKUでいいだろ?」
「よくないよ」
「ちなみにオレはHINA-LOVEだ」
「聞いてないよ」
「我が妹が冷たい……」
隆お兄ちゃんがそういって、リモコンでテレビの電源を入れた。
『今年も夏がやってきた! 想像以上に怖い話! 怖い話で涼しくなろう! 主演は……』
お盆にやる特別番組のCMが流れ、隆お兄ちゃんは渋い顔をする。
「夏だからこんな番組ばかりだな……」
「隆お兄ちゃん、怖い話とか好き?」
私がそう聞くと、隆お兄ちゃんはぎょっとした顔をする。
「え、なんで……?」
「だって、大学生の頃、友達を肝試ししてたくらいだし、怖い話とか好きなのかなーって……」
私と初めて会った場所はあの廃遊園地だった。よほど、興味がなければ、あんな場所にはいかないと思ったんだ。でも、隆お兄ちゃんの反応は違った。いつもみたいに笑って「ないない」って否定するかと思ったら、低く唸りながらご飯を食べていた手を止めた。
「ナイショ」
「えー!」
私が頬を膨らませると、隆お兄ちゃんがニシシと笑う。
「ほら、ごはん食べたらゲームするんだから、早よ食べよう」
隆お兄ちゃんはそういうけど、私は腑に落ちないまま晩御飯を食べた。
隆お兄ちゃんとゲームをした後、私は部屋に置きっぱなしにしていたスマホに通知がきていることに気付いた。それは山田さんからのグループチャットへの招待状だった。
「やだなぁ……」
私はそう呟いた。
山田さんは小学校が一緒だった。一緒だったと言っても、隆お兄ちゃんの就職の関係で6年生の頃引っ越したから、その時同じクラスだった。最初は私にも優しくてよく好きなドラマやテレビに話をよくしていたと思う。でも、山田さんは私が6年前の行方不明者だと気付くと、しつこくそれをネタにしていた。
その時、入江君も同じクラスで転校してきたばかりの私に仲良くしてくれた。今はそうでもないけど。
鈴木くんや安藤くんは今年初めて同じクラスになった。休み時間に話くらいはすることもあるけど、山田さんみたいに遊びに行くのに誘ったりする仲でもない。
私はグループチャットの招待を無視して、部屋の電気を消した。