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第10話 縁

 


 最初は、小さい子どもみたいな子だって思った。

「高野瀬 陽菜です。よろしくお願いします!」

 小6の春の頃だった。高野瀬が転校してきたあの日、オレは教卓の隣に立つ高野瀬を頬杖つきながら見ていたのをよく思えている。

 痩せっぽちで小さな体。黒い髪はまっすぐ伸びていて肩の高さで切りそろえられている。

「席は入江の隣で、教科書は入江に見せてもらって」

「はい」

 高野瀬はオレの隣に座って、緊張した顔で「よろしく」と言っていた。

 当時、通路を挟んで隣だったカイリの視線が、強烈に痛かったのは今でも忘れない。

 高野瀬は他の女子より小さくて、白くて、幼い。年下の親戚の子どものような感じがした。それになぜか目が離せない。好きとか、可愛いとかそういう感情じゃなくて、何かに吸い寄せられるような気分だった。

 それの理由が分かったのは、しばらくしてからだった。

「高野瀬さんは三年前にあの遊園地で行方不明になってたんだって?」

 カイリが高野瀬のいない時に、他の女子と話していることを聞いてしまったのだ。

 オレはその時、教室に忘れ物を取りに来ていた。カイリにしつこく一緒に帰ろうと誘われたが、それを振り切って帰っていた。まさか廊下で誰かが話を聞いているなんて、カイリ達も思ってもないだろう。

「お母さんがね、言ってた。それにお父さんもお母さんもいないんだって、かわいそー!」

 他の女子と笑いながら話していて、聞いていて気分が悪かった。

「ホント、可哀想だよね。転校してきたばかりだし、優しい私が友達になってあげようかな~!」

「アハハ! カイリ優しい~!」

 オレは苛々して中に入ろうとした時だった。グイッとランドセルを引っ張られて、オレはぎょっとした。

「……高野瀬?」

 オレの後ろに高野瀬がいた。

 一体、いつからいたのだろう。彼女は怒っている風でもなく、悲しそうにしているわけでもなかった。

 ただ、転校初日の時のように少し緊張したような顔をしていた。

「それになんか怖い噂があるんだって……高野瀬さん」

「えー、何々?」

 高野瀬の体が小さく震えている。

「高野瀬さん、小さいでしょ? なんで小さいかっていうとね……3年前に見つかった時、行方不明になったころと全然変わらなかったんだって……」

 ガラッ!

 高野瀬がドアを勢いよく開けた。

 ぎょっとした顔でカイリ達が高野瀬を見た。もちろん、隣にいたオレもびっくりした。

 高野瀬は普通に自分の席に行くと、机に入っていたノートを取り出して、そのまま教室を出て行った。

「おい、高野瀬!」

 オレは自分の忘れ物のことをすっかり忘れて、高野瀬を追いかけた。

「高野瀬!」

「何、入江くん?」

 昇降口でようやく高野瀬を止めると、高野瀬は不思議そうな顔でオレを見ていた。

「あ、あの……さっきのこと……」

「お父さんとお母さんのこと? それは本当だよ」

 あえて高野瀬は行方不明になっていたことを口にしなかった。

「え……ああ」

「さっきは教室に入るの止めてごめんね!」

 高野瀬はそういうと、さっさと靴に履き替えて走っていく。

「あ、おい。高野瀬……」

 オレが呼び止めようとした時だった。

「あ、隆お兄ちゃん!」

 彼女の顔が、嘘のように明るくなる。

「忘れ物あったか?」

 その声の主は男の人だった。茶髪で男のくせに少し長い。背も高くてドラマとかにいそうなチャラそうな人。

(あれが高野瀬の兄貴?)

 その人はニコニコ笑って、高野瀬に話しかけていた。

「うん……帰ろう……お家、お掃除どう?」

「もうちょいで終わる。明後日から仕事だから明日までに終わらせないとな」

「私も手伝う!」

「いいんだよ、陽菜は重い物持てないし、もう夜になるから……」

「わかった……」

 手を繋いで帰る二人。オレはその二人の背中を見て、高野瀬の兄貴にうっすらと糸がまとわりついているように見えた。

「え……?」

 目をこするってまた見た時にはもう見えなくなっていたが、オレは何か怖くなって走って家に帰った。

 オレは家に帰った後、ばあちゃんに呼び止められた。

裕行ひろゆき……アンタ、妙なものをつけてるねぇ……?」

「は? また幽霊の話?」

 ばあちゃんは昔、イタコだったか拝み屋だったか、とにかく霊感があるとお母さんから聞いていた。オレは小さいころはよくばあちゃんの話を聞いていたが、この頃はばあちゃんの幽霊話をまともに聞いてなかった。

「幽霊じゃないねぇ……これは縁だ。それも特殊なね……」

「縁?」

 何を言ってるかわからなかった。そもそも幽霊なんて嘘っぱちだって思ってたからまともに聞く気がなかったんだと思う。

「そう、私もたくさんの縁が出来ちゃったからね……娘が生まれた時にその縁を払うのが大変だったさ……」

「その縁ってなんなの?」

「怪異の縁さ……」

「怪異?」

「そう、私みたいな霊感がある人には避けられない縁だよ。その縁が濃くなればなるほど、怪異に出会いやすい。だからばあちゃんはイタコを引退した後、拝み屋なんてことをしているのさ……」

 垂れ下がった目で、ばあちゃんはオレを見た。

「いいかい、裕行。これ以上その縁が濃くならないようにするには、関わらないことさ。でないとそのうち神隠しに会うかもしれん……」

「神隠し?」

「そう、例えば……あそこの遊園地で行方不明になった子のようにな……」

 その言葉を聞いて、オレは高野瀬のことを思い出した。

「ばあちゃん、神隠しに遭った子ってどうなるの?」

「まずはもうこっちに戻ってこれない。運よく戻ってこれたとしても、再び怪異に呼び寄せられる。アンタについてる縁のようにね……」

 ばあちゃんはそう言って、ため息をついた。

「どこでその縁をつけてきた? まさか遊園地に行ったんじゃないだろうね?」

「違う……でも、遊園地で行方不明になったって子がいるって噂してる子がいた……」

「遊園地で……?」

「うん、本当かは知らないけど」

 正直、カイリが言っていたことをオレは信用できないし、信じちゃいけないと思っていた。そういうことは本人がちゃんと話すことなのだ。

「……まさか高野瀬、という子かい?」

 ばあちゃんが知っているとは思わず、オレはぎょっとした。

 ばあちゃんは、またため息をついた。

「なるほどね……まさかあの子、本当に見つけるとはね」

 何か事情を知っているのか。でなければ、高野瀬の名前なんて出てこないだろう。

「いいかい、裕行。神隠しに遭った子は、時が歪んでしまう」

「時が歪む?」

「そう、あちらの世界とここは時の流れが違うんだ。だから、その行方不明になっていた子もみんなとは違うだろう……」

 確かに高野瀬は小さいし、他の女子よりも幼く感じた。オレは頷くとばあちゃんはいうのだ。

「裕行、必要以上にその子と関わるのはやめなさい。縁が濃ければ濃いほど、お前も怪異に巻き込まれる。もし、その子と関わるならそれなりの覚悟をしなさい……でも、お前は私と同じで縁の影響を受けやすいからね……きっとその子から目が離せなくなるかもね……」

 ばあちゃんが言った通り、オレは高野瀬から目を離せなくなった。

 あれから3年経った今も、それは変わらない。

 それがばあちゃんのいう縁のせいかはわからない。でも、オレは高野瀬から離れることもできなかった。理由は簡単だ。カイリのせいだ。

 何かとつけてカイリは高野瀬の悪口や悪い噂をすぐに口にし、聞きたくもないのにオレに話したがる。それも高野瀬の前でだ。特にばあちゃんが霊感があるってカイリは知っているから、その行方不明の話や怖い話をする時はオレも強制参加。高野瀬も何かと引き合いに出されては、色々巻き込まれていた。もし、ばあちゃんのいう縁が本当にあるならオレは確実に縁が濃くなったんだと思う。

 それに、オレはばあちゃんの血が濃く受け継がれているらしい。

 ばあちゃんがいう縁や幽霊がオレにもうっすらわかるようになっていた。

「おーい……安藤くーん」

「あんどー」

 ミラーハウスで安藤が勝手にどこかに行ってから、オレは高野瀬と二人きりになってしまった。高野瀬を見ると、うっすらとまとわりつく何かが見えたような気がした。

 アハハッ!

 キャハハッ!

 子どものような笑い声。それも天井に付いているスピーカーから聞こえてくるんじゃなくて本物だというのも気づいている。高野瀬は気づいていないが、ずっと子どもがオレたちの後をつけていた。

 クスクスと笑いながら楽しんでいる。何を楽しんでいるのか、オレにはさっぱりわからない。けど、オレは見て見ぬふりをする。

「安藤くん、どこに行ったのかな……」

 高野瀬が心配そうな顔でオレを見上げていた。

 安藤はさっき鈴木を見つけたらしく、急に走っていた。

 走ればきっと鏡にぶつかってしまう。それに後ろからついてきている子どもが高野瀬に何かしそうな気がした。

 カイリも鈴木も安藤もいなくなってしまい、オレは高野瀬だけは、はぐれないようにしようと思った。

 高野瀬は怪異に狙われやすい。高野瀬本人はそれに気づいてないのは明らかだった。子どもの声が聞こえるたびに上のスピーカーを気にしている。それにさっき安藤にも見えていたウサギに纏わりついていた子ども以外の子ども達に、まったく気づいてないのだ。

「鈴木を見つけたって言ってたけど……」

 オレはそういうと、目の前の鏡を見て足を止めてしまった。

 オレが急に止まったせいで高野瀬がオレの背中にぶつかってしまった。

「ご、ごめん!」

「ああ、大丈夫」

 高野瀬は謝ったがオレはそれどころじゃなかった。目の前の鏡にオレが立っている。

 確かにオレが映っているんだが、その顔がぐにゃりと歪み、にやにやと笑っているように見た。

 オレはポケットからスマホを取り出すと、その鏡の写真を撮った。

 カシャ! カシャ!

 音を立ててシャッターを切る。

「何してるの?」

「んー? 記念写真?」

 オレはそういって写真を見直す。そこには普通の自分が映っている。

 再び鏡を見ると、あの歪んだ顔の自分が消えていた。

(いたずらか……)

 おそらく、子どもの幽霊がオレ達に悪戯をしている。さっきから子どもの笑い声も聞こえているし、どこからか「アソボウ」と声も聞こえてくる。

(これは早く出た方がよさそうだ……)

 オレがふと、高野瀬の方を見た時だ。

「……高野瀬?」

 高野瀬の様子がおかしい。鏡に映った自分の姿を凝視しているその顔はだんだん青白い物に変わっていく。

 キャハハハッ! アハハハッ!

 また子どもの笑い声が聞こえてくる。

「や、やだ……」

 高野瀬が怯えた顔で耳を塞ぎだした。彼女は小さく震え出し、目の焦点が若干あってなかった。呼吸もだんだん浅くなり、肩で呼吸をするのがやっとのようだった。

 苦しそうにその目を閉じた高野瀬を見て、手を伸ばした。

「おい、高野瀬!」

 オレが高野瀬の肩に触れた。

「!!!」

 高野瀬は大きく震えると、そのままオレを突き飛ばそうとした。でも、高野瀬の力で飛ばされるような軟な体格はしてない。オレはつき飛ばそうとした高野瀬の手を強く掴んだ。

 薄暗い中でも高野瀬が鳥肌を立てていたのが分かってしまった。

「やだ!! 隆お兄ちゃん!!! 助けて!!!」

 パニックになった高野瀬がそう叫んだ。胸に何かが刺さるような音がしたけど、高野瀬がオレの手を振り払おうと暴れ出し、感傷に浸ってる場合じゃなかった。

 これじゃ埒が明かない。

「高野瀬!!! しっかりしろ!!!」

 パンッ!

 オレは手加減して高野瀬の頬を叩いた。

 彼女の頬がみるみると赤くなるのを見て罪悪感がした。高野瀬は目を丸くしてオレをじっと見ていた。

「……入江くん?」

 高野瀬はぽかんとした顔でオレの名前を呼んだ。呼吸もだんだん落ち着いてきたようでオレは安堵を漏らした。

「何パニックになってんだよ……ったく……」

「ごめん……ごめん……」

 高野瀬も自分に何があったのかよくわかってないのか、ただ謝っているという感じだ。その様子になんだかイラッとした。こっちはなぜか拒絶されて、兄の名前を呼びながら助けを求められたのだ。近くにいるのはオレなのに、なんで真っ先に兄の名前が出るんだ。

 ちょっと八つ当たりしてやろう。

「拒絶されて兄貴の名前叫ばれるとか……傷ついたわー」

「本当にごめん!!!」

 慌てて謝る高野瀬にオレは面白いと思ったが、それを悟られないようにため息をついた。

「……冗談だよ、オレも引っ叩いて悪かったよ。痛くないか?」

「あ……うん」

 高野瀬は赤くなった頬を触って頷いた。

 きっとまだ痛いだろう。手加減したつもりだったが、思った以上に赤くなってしまった。

「何があったんだよ、あんなパニックになって……」

 高野瀬のあの様子は普通じゃなかった。まるで何かに怯えているようにみえ、オレは高野瀬に聞く。

「鏡をみたら私の顔が歪んで……食べられると思って……」

 顔が歪む。おそらく、オレも見た鏡の自分だろう。オレはあまり凝視せず、写真を撮って遊んでいたからか何もない。おそらく凝視していたら高野瀬のようにパニックになっていただろう。

「どんな幻覚だよ……ほら、行くぞ」

 オレは高野瀬の手を掴んだ。彼女が怪異に狙われやすいことを改めて実感する。高野瀬から目を離したらやばそうだ。

 高野瀬はオレに手を掴まれると顔を赤くさせた。

「手、手!」

「また突き飛ばされたらたまんねーし、安藤みたいにいなくなったら困るから繋いどけ……それともまた突き飛ばすか?」

「し、しないよ!」

「なら、そのまま繋がれてろ……ったく……」

 オレはそのまま迷路を歩き始める。

 むしゃくしゃする。怖い目に遭って、なんで近くにいるオレよりここにいない兄貴の名前を叫ぶんだ。納得がいかない。

「近くにいる男より……兄貴の方が頼りになるのか?」

 オレがそういうと、高野瀬はぽかんとした顔をする。

「え……?」

「高野瀬の兄貴。そんなに頼りになるのか?」

 たぶん、高野瀬はオレが怒ったように言ったのは、オレを傷つけたと思ったのか、「ごめん……」と謝った。それがさらにイラッとした。

「頼りになるのかって聞いてんの? 謝罪なんて求めてねーよ」

 オレがそういうと、高野瀬はオレから目を逸らす。

「……だって……私のことを誰よりも早く迎えに来てくれるから……」

 それを聞いて、オレは高野瀬の家に親がいないことを思い出した。

 高野瀬の家で両親以外に頼れる存在は兄だけだ。

「そういえば、高野瀬の家って……」

「うん、お母さんとお父さんは三年前にね。帰らないと……家に……これ以上迷惑かけられない……」

 その言葉に、オレは首を傾げた。

「そんなのに気にしてるのは血が繋がってないからか?」

「!」

 ぎょっとした顔で高野瀬がオレを見上げた。

「な……」

「カイリが話してたことを鵜呑みにしているわけじゃないけど……お前の兄貴と血繋がってないって話、職員室で聞いたんだよ」

 中1の時、職員室で聞いてしまったのだ。高野瀬は兄と血が繋がっていない。だから、二人暮らしで大丈夫なのか不安だと。

 高野瀬にとって聞かれたくなかったことだったのだろう。顔色が悪くなっていく。

「……入江くんも気持ち悪いって思う?」

「気持ち悪い?」

 血の繋がってない兄弟と暮らしているだけで何が気持ち悪いのかわからない。

「女子の感覚はわかんねぇな……別に一緒に暮らしてるだけだし……つか、お前の兄貴ってあれだろ……?」

「あれ?」

「茶髪で、背が高くて、イケメンのチャラそうな男の人……」

「隆お兄ちゃんはチャラくないよ!」

 授業参観で高野瀬の兄貴を何度か見たことがある。それで女子たちがうるさく騒いでいた。服装は小6の時に見たのとは違い、きちんとした装いだった。しかし、スーツを脱げば若い兄ちゃんだ。

 高野瀬は必死に否定する。

「た、隆お兄ちゃんは……チャラくないよ。なぜか彼女もいないし、エッチな本だってお部屋にないし、スマホにもエッチな動画だってないんだから!」

 さすがにそれはないだろう。

「彼女はともかく、エロ本くらいは持ってると思うぞ?」

「持ってない! 絶対持ってない! 隆お兄ちゃん言ってたもん!」

 成人男性なら一つや二つ持ってて当たり前だ。スマホの中にもきっと隠しているだろう。それをずっと隠して通しているとなると、高野瀬の兄貴の必死さがよくわかる。

「絶対持ってない! 帰ったら入江くんに隆お兄ちゃんに会わせてあげるから! 隆お兄ちゃんはチャラくないから!」

「わかったわかった……」

 オレはなだめるように言い、高野瀬は頬を膨らまして大股でオレに並ぶ。

 それが不覚にも可愛いと思ってしまう。

「とりあえず……ここから出るぞ……安藤のことだし、外で待ってたら出てくるだろ……」

「うん……」

 オレは高野瀬の手を引いて、ゴールに向かって歩き出した。





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