第0話 裏野ドリームランド
ねぇねぇ、知ってる? あの遊園地の話……
知ってる! あの廃遊園地でしょ? なんか営業してる頃は子どもがいなくなるって噂だったんでしょ?
他にもまだまだ噂はあったみたいだよ……ねぇ、その遊園地の名前、憶えてる?
えーっと、確か……
遠い遠い昔に置いてきたはずの記憶。
誰かの声、誰かの匂い、誰かの眼差し。でも、それが誰のものだったのか、何一つ覚えていないんだ。
「陽菜。起きて、陽菜」
「ん……んんっ?」
お母さんの声と一緒に、寝ているあたしの肩が揺らされて、あたしは目を開けた。
そこはお父さんの車の中で、少しだけタバコ臭かった。見上げると、見慣れたお母さんの顔があった。
「着いたわよ。遊園地」
「え、本当!?」
あたしは飛び起きて車の外を見ようとすると、勢い余って窓に頭をぶつける。
ごんという鈍い音を立てて、あたしは痛む頭を抑えた。
「いたたた……」
「もう、慌て過ぎよ……」
お母さんは呆れた顔をして、車から降りる準備を始めていた。
「わぁ!」
あたしは車の外を見て、思わず大きな声を出してしまった。
目の前には見上げるほど大きな観覧車に、ジェットコースター。遠くの方からラッパや太鼓の音と一緒に楽しそうな声が聞こえてくる。
「わ! お母さん! お父さん! 観覧車! ジェットコースター!」
「はははっ! 陽菜は元気だな」
「そんな大きな声を出さなくてもわかるわよ……ほら、行くわよ」
お父さんとお母さんが車を降り、あたしも車を降りて、二人の手を握った。
「遊園地!」
入口では他の家族や大人たちがいっぱいいた。あたしはお父さんとお母さんから入場券をもらって、入場門をくぐった。
「あれ?」
気づいたら、辺りは真っ暗だった。さっきまで手を繋いでいたお父さんとお母さんはいない。いつからいなくなっていたのか、あたしにはわからなかった。
「……お父さん? お母さん?」
あたしはお父さんとお母さんを小さな声で呼び、辺りを見渡した。
キラキラと光る観覧車に、大きな音を立てるジェットコースター。遠くから聞こえる水の音。夜の遊園地はキラキラと光っていて綺麗なのに、どこか怖かった。もちろん、他のお客さんもいる。でも、辺りが暗くて、ライトが付いているせいか、その人も真っ黒に見えた。急に心細くなってあたしは、スカートの裾を握りしめた。
「お父さん! お母さん!」
あたしが大声を出してお父さんとお母さんを呼ぶけど、あの優しい声は返ってこなかった。
(どこ? お父さんとお母さんはどこ? 帰っちゃったの?)
あたしは小走りで入場口に向かう。そこにいけばお父さんやお母さんに会えるかもしれないと思った。
「お父さん! お母さん!」
いくら呼んでもお父さんとお母さんは現れなかった。通り過ぎていく影もあたしに見向きもしなかった。
「お父さん……お母さん……」
泣きそうになるのを必死に抑えていると、ぽんと肩を叩かれた。
「やあ、裏野ドリームランドへようこそ!」
「きゃ!」
後ろから声を掛けられて、あたしは悲鳴を上げた。振り返ると、ピンク色のウサギが立っていた。
「う……うさぎ……?」
そのウサギが、この遊園地のキャラクターであることはすぐにわかった。なぜなら、あたしが見ていたパンフレットに描いているものだったから。
ピンと立った長い耳、赤く大きな瞳に、常に笑っている大きな口から長い前歯が覗いている。大きいオーバーオールの裾は折られているけど、それでも茶色い靴のかかとが隠れていた。
「こんばんは、小さなお客様。今日はとってもとっても素敵な日なんだ。お客様の貴方にはこれをあげましょう」
そのウサギはあたしの首に何かをかけた。それはそのウサギのパスケースだ。赤いリボンのような紐には「URANO DREAM LAND」とあたしには読めない英語で書かれていた。
「なにこれ……」
ふわふわしたウサギの顔をしたパスケースを見て私がいうと、ウサギは言った。
「遊園地の乗り物がいつでもすぐに乗れる特別な券さ」
「……とくべつな……けん?」
もらったパスケースはぬいぐるみみたいにふわふわで可愛い。あたしはそのパスケースを握りしめてウサギを見上げる。
「そう、これがあればずーっとここで遊べるのさ」
「ここで……ずっと……?」
あたしはそれを聞いてハッとした。
「い、いらないっ!」
あたしは慌ててそう言い、パスケースをウサギに突き返した。
ウサギは「えー?」と言いながら首を傾げる。
「なんで~?」
「だって……お父さんとお母さんが一緒じゃなきゃ……つまらないもん……」
お父さんとお母さんがいないというだけで、あたしの中は不安でいっぱいだった。遊園地に行くのは楽しみだったけど、お父さんとおかあさんと一緒に行くのが楽しみだったんだって、あたしは今思った。
「だから……いらな……」
そういった時だった。
「なんで? なんで?」
甲高い声がして、あたしと同じくらいの大きさの黒い影がウサギの背後から出てきた。
「!?」
その影は体が透けていたけど、目だけがはっきりと見えた。
「なんで?」
ニヤッと笑ってそういうと、あたしを囲むようにして、たくさんの影が出てくる。
「オトーサン? オカーサン?」
「ここはたのしいよ!」
「いっしょにあそぼ」
笑い声と共に現れた影はあたしを取り囲んで、にやにやと笑っていた。
「ひぃっ……!」
それ以上声が出なかった。
怯えるあたしを見て、ウサギは「こらこら、キミたちやめなさい」とその黒い影に優しく言った。
「なんでー?」
「どうしてー?」
「怖がっているからですよ」
優しくウサギが諭すと、あたしの方を向き直った。
「貴方がそういうならしょうがない。ここは遊園地だし、楽しめなかったらそれまでだ」
ウサギはそういうと、パスケースを持ったあたしの手を柔らかい手で包んだ。
「貴方はこの遊園地最後のお客様。このパスポートはいつでも誰よりも早く乗り物に乗れる券さ。だから、これは貴方が持っていて」
「……」
ウサギがあたしの手を放し、あたしに手を振った。
「今度はお友達を連れておいで……歓迎するよ」
「またねー」
「ばいばーい!」
笑い声と共に遊園地のライトがバンと音を立てて消える。
あたしは、ぼーっと立っていると、顔に眩しい光が当てられた。
「おい、子どもがいるぞ!」
「幽霊じゃない?」
大人の声が聞こえる。さっきまで子どもの声しか聞こえなかったのに。
「ねぇ、キミ! どうしてこんなところにいるの?」
「ちょっと、本当に話しかけてるし!」
「おい、やめろよ!」
あたしに近づいてきたのは、お父さんやお母さんよりも若く、どちらかというとお兄さんやお姉さんだった。もちろん、あたしはそのお兄さんとお姉さんのことを知らない。
あたしはお兄さんとお姉さんの所に行こうとすると、足に何かが当たってむず痒い。
「え……?」
足元を見てあたしは驚いた。あたしの足元にはさっきまでなかった雑草がびっしりと生えていたんだ。
おかしい。こんなのさっきまでなかったのに。それに、ここはどこ?
「ねえ、どうしたの……?」
近くに来たお兄さんはあたしの顔を見てニコニコしていたけど、それがびっくりした顔に変わる。
「お父さん、お母さん……どこ……」
ぽろぽろと涙が出てくる。
「わ、泣いちゃった!」
「どうする?」
「幽霊じゃないみたいだし、まずは警察じゃね?」
「いや、オレらも不法侵入で怒られるって……」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ……まずはこの子連れて遊園地を出ようぜ。電話はそれからだ……キミ、名前は?」
「ひな……高野瀬……陽菜……」
蒸し暑く、虫の鳴き声がうるさいあの夏の日、私、高野瀬 陽菜の記憶はここから始まった。