9.女神さまが来訪されました。
お待たせしました、キーパーソンにしてタグで主張している悪役令嬢の登場です。
ルークさまの食事を下げて、家族分の洗い物をしていると、玄関の扉が叩かれた。お父さんとお兄ちゃんは領府へ、お母さんは裏庭で洗濯物を干しているはずだから、今出られるのは私だけ。軽く手をすすぎ布で拭くと、パタパタと玄関へ向かう。
「はい、どなたでしょう?」
「エマ、私よ。オフィーリアよ。開けてくれるかしら?」
「ふわっ!?」
今一番来てほしくない1位のオフィーリアさまの声に、私の心臓がバクバクとして、背中に冷や汗が流れる。どうしよう、オフィーリアさまを待たせるわけにはいかない、でもルークさまには部屋から出ないように言わないと。もしかして言えば出てこられるかもしれない。どうしようどうしよう。
「エマ、大丈夫?」
オフィーリアさまの心配げな声が聞こえ、私は反射的に扉を開けてしまった。
「よ…ようこそお越しくださいました」
「ごきげんようエマ、先触れもなくごめんなさいね。急ぎフレッドに渡したい書簡があったものだから。フレッドは部屋に?」
「おおおおお兄ちゃんは、りょ、領府に向かいました!」
家に入られ、お兄ちゃんの部屋に向かおうとなさるオフィーリアさまの前に回り込んで、私は声を上げた。だめだ、私完全に怪しい。でも、オフィーリアさまは美しいお顔を小さく横に傾けて、目を瞬かされました。美しいです私の女神さま。
「あら、今日は家にいると聞いたのだけど、入れ違いになったみたいね」
「オフィーリアさまと入れ違いだなんてだめな兄ですみません」
「いいのよ、先触れを出さなかった私がいけなかったの、ごめんなさいね」
そう言われ、オフィーリアさまは極上の笑みを浮かべられます。エヴァレット侯爵令嬢にして、エヴァレット領経営の一部を担っておられ、聡明かつ美貌に溢れ、なおかつ万民に優しい女神のようなお方、オフィーリア・リリー・エヴァレットさま。ルークさま、ことジェラルド王太子の婚約者で、将来王妃を約束された方でした。エヴァレット領を出たことがない私には、見目麗しく聡明な次期国王と次期王妃は、皆が待ち望んでいたと思っていたのだけど、もしかして首都では違っていたのでしょうか。
ルークさまが王太子の座を追われ、オフィーリアさまもエヴァレット領に戻られたのですが、もしかして御年13歳の弟殿下、現王太子のお妃になられるのでしょうか。
聞きたくても恐れ多くてあたふたとしていると、目があったオフィーリアさまは、小さく笑われました。
「何か私に聞きたいことでもあるのかしら?」
「あ……あの……あっ! おもてなしもできずすみません! こちらの席にお座りください。今お茶をお入れいたします」
台所のテーブルの椅子を引こうとしたら、先にオフィーリアさまの傍仕えの方が動いてくださった。
「台所をお借りしてもよろしいですか?」
「今日は美味しい紅茶が手に入ったのよ、一緒に飲みましょう?」
「はい!」
「エドワード、お願いね」
「はい、お嬢様」
傍仕えの方、ことエドワードさんがきれいにお辞儀をして炊事場へ向かわれます。年齢は私と変わらなさそうなのに、とてもしっかりなさってるなぁ。というか、洗い物そのままだよ泣きたい。
「話を戻しても構わない?」
「は、はい!」
オフィーリアさまが声をかけてくださったので、私は背筋を伸ばしてまっすぐ前を向いた。
「あ、あの…恐れ多くも」
「まぁ、エマは私にとって妹のようなものよ。恐れ多いなんて他人行儀で悲しくなるわ」
「えええっ!? わ、私にとってもオフィーリアさまは理想のお姉さまです」
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
笑顔が一段とお美しいですオフィーリアさま。私はつい、その尊顔に見とれてそうになり、小さく頭を横に振った。
「では、お聞かせください。オフィーリアさまは、どなたとご結婚なさるのですか?新しい王太子殿下ですか?」
真正面から問うと、オフィーリアさまは一瞬目を丸くされてから、鈴が鳴るような声で小さく笑われました。
「ふふふ、正直なエマは大好きよ。うーん、そうね、王太子との婚約が破談になったのだもの、体面も悪いししばらくは新しい婚約はないと思うわ」
「そんな、オフィーリアさまに非はありませんのに」
「王太子の気持ちをつなぎとめることが出来なかった、という意味では間違ってはいないわね。だから、年下の新しい王太子殿下に嫁ぐことはないと思うのよ。学院を卒業したら、エヴァレット領に戻って色んなことに挑戦していきたいと考えているわ」
そう仰るオフィーリアさまは、悲しまれるどころか幸せそうで、私もつられて笑いを浮かべてしまいました。王立学院までは高望みはしなくても、領内の学校に通えたら、そんなオフィーリアさまの手助けができたかもしれないのに。
「お兄ちゃ、兄はオフィーリアさまのお役に立てますか?」
「フレッドの成績は後見人として確認しているわ。学院でもそうだったけれど、大変優秀のようね。無理強いはしないけど、エヴァレット領府で働いてくれると嬉しいわ」
やっぱりお兄ちゃんはすごいなぁ。
「お嬢様、エマさま、お茶の用意が出来ました」
「ありがとう、エドワード。エマ、今日のお茶菓子はリリエヴァの新作を持ってきたのよ。ぜひ、感想を聞かせてくれないかしら」
「はい、有難うございます。オフィーリアさまは先にお召し上がりください、私は先に洗い物を………ない!!」
美味しそうなお茶とお菓子の香りに後ろ髪を引かれつつ席を立って炊事場を見ると、山のような洗い物がきれいさっぱり片づけられていた。
「勝手とは思いましたが、お湯が沸くまで暇だったものですから」
「すみません、ありがとうございますエドワードさん」
他人の家の片づけをしてくださった上に、笑みを浮かべて仰るから、ただただありがたくも申し訳ない気持ちになる。私は、エドワードさんに頭を下げてから、席に着いた。
「ふふ、これで私に付き合ってくれるかしら?」
「はい、私でよろしければ」
それから、私とオフィーリアさまは美味しいお茶とお菓子を口にしつつ楽しい会話に花を咲かせたのでした。