6・追加された報告書。
少し外が暗くなろうとする頃、お兄ちゃんが帰ってきました。家を出た時より荷物が増えているのは気のせいでしょうか。
「エマ、オフィーリア嬢から菓子を頂いた」
「なんだろ? わわっ、やった!これリリエヴァの新作じゃない!おいしそうっ」
リリエヴァとは、オフィーリア嬢が提案したお菓子を商うお店で、ここエヴァレット領のみで数店舗開いているのだとか。こんな美味しいお菓子なのに、エヴァレット領以外だと数か月待ちのお取り寄せなのだそうです。エヴァレット領最高。そして、数か月とはいえお兄ちゃんとオフィーリアさまはご学友だったつながりで、オフィーリアさまは時々新作の味見とおっしゃって私に下さいます。ああ、袋から見えるぷっくりとした半球のお菓子が私を魅了してたまりません。
「エマ、よだれでてる」
「ふわっ!?」
「また感想を聞かせてほしいって」
「私の感想でよければいつだって!」
こんな一庶民の私の感想などたいしたことはないのですが、オフィーリアさまは、このお菓子を食べる人の大半がエマのような人だから、それでいいのって女神のようなほほ笑みでおっしゃられるのですよ。さらに、私のような生まれ持っての貴族は金銭感覚がずれているので、エマと話すことが出来ると次々と案が浮かんでくるのよと、もう生きる伝説じゃないでしょうか。教会の女神像がオフィーリアさま像に代わっていたら、皆こぞって祈りに行くと思うのだけど。
「エマ、そろそろ現実に戻ってくる気はないか?」
「うん大丈夫、オフィーリアさまは女神さまです」
「全然大丈夫じゃないだろそれ」
お兄ちゃんが、楽しげに笑う。朝の冷たいお兄ちゃんは違うお兄ちゃんで、やっぱりこの優しいお兄ちゃんがお兄ちゃんだ。
おっと、機嫌がいいうちに伝えておかなければ。
「あのねお兄ちゃん、帰ったらルークさまが、話があるって」
「ああ、俺も領府からの報告があるから」
「あとね、ルークさまここに来てからずっと泣いていらっしゃるの。王宮を追い出されたっておっしゃっていて、その日のうちに身ぐるみはがされて殴る蹴るされていたのだって。お兄ちゃんの服を借りているから身綺麗だけど、見つけた時は衣服が何とか残っているみたいな感じで、全身ボロボロで高熱が出て、すごく苦しんだと思うの」
「そのことは報告で聞いている」
「そんな状態で、こんな遠くのエヴァレット領のこの家の前で行き倒れたってことは、ルークさまが無意識にお兄ちゃんを頼ってきたってことじゃないのかな」
「それはないだろう。あの方は俺を信用などしていない」
「そうかな、今日も懐かしそうにお兄ちゃんの話をしていたけど」
素直になればいいのにな。お兄ちゃんは騎士学校に行った後も、大きな休暇があれば帰ってきて城下に行っていたのは知ってるし、オフィーリアさまから話を聞いて怒っていた時もあったよね。
「思い出すほどの記憶力はあるんだな」
「お兄ちゃん」
そして、私とお兄ちゃんはお兄ちゃんの部屋に行きました。お兄ちゃんが帰ってきたら起こせと言われていたので声をかけると、ルークさまはぼんやりと目を開きます。
「あ、ああ、フレッドが帰ったのか」
おかえりとつぶやいて、目をこすりながらルークさまが上半身を起こされます。少し傷みが和らいだのでしょうか、今朝よりも動きが鈍くありません。
「あのさフレッド、俺」
「領府の報告で、カレン・ヘニング嬢の動向が判った」
「なんだと!?」
身を乗り出すように動いて、ルークさまは再びベッドへ倒れ込まれました。それ、何度かやってますよね。そしてお兄ちゃんは、そんなルークさまを一瞥して紙に目を通します。
「晩餐会の後、実家に帰ることなくセドリック・カルターと共に行動し、騒動に巻き込まれ修道会送りになったそうだ。だが、しばらくして逃亡。そのあとの足取りはわからない」
「よりにもよってセドリックとだと!?」
「取り巻きの中では妥当だろうな。セドリックは根っからの騎士だから、程よくカレン嬢を守りぬいてくれると思ったのだろう。だが、騎士は騎士でも所詮貴族の騎士だ。市井の事情など分からないから、身なりの良さで襲われたのだろうな」
「カレンを守るためなら俺だって」
「市井に降りて速攻身ぐるみはがされたのに?」
「ぐっ……」
言葉に詰まって少し背を向けると、むっくりとルークさまは上半身を起き上がらせました。
「フレッド、この後のことは調べられるか?」
「興味がない」
小さく息をつくと、お兄ちゃんは報告書を荷物に紛れ込ませました。あれ、今朝のように見せないのかな。
「頼む、調べてくれ」
「そもそもこの報告書を作ったのは俺じゃない。今朝のも全て、貴方の元婚約者が調べさせたものだ」
「あいつか!!」
あらら、ルークさままたベッドに逆戻りですよ。お兄ちゃんもそんな意地悪ないい方しなくてもいいのに。
「オフィーリア・エヴァレット……あいつさえいなければ」
「いなければ?」
「今頃カレンと婚約して幸せな毎日が」
「今頃、国家運営の四分の一ぐらいが停止しているだろうな。それだけエヴァレット侯爵と連なる者の数は多い。一斉に出仕拒否を起こすのが序盤、次いで収益の低下に加え、王太子と婚約者による散財浪費、それによる支持率低下でテコ入れに炊き出しでもして財政悪化、結局王太子は挿げ替えられる」
なんてことでしょう。私の知らないところでそんな怖いことが起きてしまうなんて。ルークさまも思うところがおありなのか、先ほどのように激情に駆られることなく話を聞いておられます。
「貴方に無理やり王立学院に連れられて、即席に詰め込んだ平民の貴族知識ですらわかることが、生来の王族である貴方にはわからなかったのか?あの時、カレン嬢と取り巻きだけじゃなく、貴方も処罰したのは賢王の英断だと思う。その場にいらした隣国王太子が、事細かく教えてくださいましたよ。貴族の暗黙の了解を無視した、滑稽な見世物だったと」
勤めて無表情に淡々と報告するお兄ちゃんの眉間が、ひそかに深くなりました。お兄ちゃんは今隣国王太子の護衛もしています。きっとお兄ちゃんが元々ルークさまの付き人をしていたというのも知られているのでしょう。どんな思いでそれを聞いたか、想像しきれません。
「そうだな、間違っていないと思う。市井に降りてすぐ襲われた時点で、どれだけ恨まれているか判ったようなものだ。平民出身の特待生であるカレンが提案したことを正しいと思い、実行して国庫を傾けるのだと、やっと理解した。だが、どうしても俺はカレンが忘れられない。離れ離れになってよりカレンが好きになった。たとえ、別れる直前に、王子じゃないお前なんかいらないと言われたとしても」
ご指摘いただきました誤字訂正。
ストック切れにつき、ただ今制作中。ダメダメ王子なのは承知しておりますので、もう少しお手柔らかな反応を頂けると嬉しいです。