おいしいねって言ってくれ
和から肉じゃがにシャケの切り身、白和え、中華はエビチリ、チンジャオロース、洋風のカプレーゼにカルパッチョ、小鍋には味噌汁とコーンスープ。それから箸休めにきゅうりの浅漬けとセロリの酢漬け。
自慢の手料理を並べてドヤァと音が出てるんじゃないかって顔で彼女を見る。ここにハンバーグも用意すれば良かったかな、なんて思いつつ。
彼女は二度、三度、俺と目の前に用意されたそれを見比べて唖然とした表情で
「ごめん、今日ってなんか記念日だった?」
と言った。
自炊、なんてものは大学へ進学して一人暮らしになって始めた。とはいえ本格的にやり始めたのは彼女と付き合うようになってからだ。それまでは面倒臭さもあってコンビニで出来合いとか、レトルトとか、外で食べたりも多かったのだが、料理の出来る彼女の負担を減らそうと思い、……いや家事も出来る男なんだアピール(下心込み)で、ちゃんとやるようになった。
初めは当然ながら手際よく作業なんて出来なくて焦がしたりグダグダになったりもしたけれど、今は一応人並みに出来る、と思う。自分の評価じゃあまり信憑性はないか。
ところが、一番俺の料理を食べて厳正に評価してくれるはずの彼女はといえば。
作ればいつも、「ありがとう」と労ってはくれる。しかし俺が欲しいのはそれじゃない。こんなことやっぱり女々しくて言いにくいのだが相変わらず、彼女は俺の欲しい言葉をくれない。
俺は彼女に、「おいしいね」って言ってもらいたい……のだけれど。
最初はメニューがダメなのかと思った。
今まではクッ◯パッドという超便利なものを使って初心者でも出来るお手軽レシピを参考にしていたから、今度は本屋で基礎料理の本と、流行りのメニューが乗った本を買って順番に出していった。
けれど何を勘違いしたのか、彼女から出てくるのは俺の欲しい一言ではなく、もっと具体的で実用的なコメントのみだった。
例えば「もう少しお塩入れたほうがいいかも」とか「お野菜の茹で加減は難しかったらレンジでチンでもいいかもね」とか。
その都度、レシピノートにメモしていた俺も悪いのかもしれない。
気がつけば、彼女は完全に料理にハマった俺に付き合って料理を吟味する立場という感じになっていた。まあそれは当たらずとも遠からず、といった感じではあるのだが。
だって、そのアドバイスを取り入れていったら最終的に彼女がおいしいというものが作れるはずであるから。
だけど、それじゃあいつまで掛かる? そんな先の見えない話に焦れた俺は、手っ取り早くおいしいと喜んでもらうために、とりあえず。
たくさん作ってみることにした。要は数打ちゃ当たる戦法だ。
それが冒頭のやりとりに繋がる。彼女の好きなもの、且つ俺が作れるレベルのものを、簡単なのからちょっと手間のかかるものまで多種多様だ。正直いつもの時間には作り終わらないから彼女が来る前日に仕込んでいたものもいくつかある。
だけど彼女はその料理の数々に喜ぶよりも思わず圧倒されて、ありもしない記念日の心配をする有様じゃあ、本末転倒だ。
「……いや、なんとなく気合入っちまっただけ」
「そう? じゃあ冷めないうちに食べよう」
「……おう」
俺は作戦の失敗を胸に二人では多すぎる料理を食べた。結局今回もちょっと規模の広がった品評会もどきになってしまって、胸いっぱいどころか腹いっぱいすぎて次の案はまだ思いつかない。
「何読んでるの?」
「んー、新しいレシピ本」
「そんなにハマったの?」
ふふふと笑いながら質問する彼女に、ちょっと拗ねた気持ちになる。誰のために頑張ってるんだと思っているのやら。
「でも、あんまり上達しちゃうと私の出番なくなっちゃうね。この間のも、すごく上手になってたし」
「え、それは困る。俺、お前の手料理好きだよ。なんなら毎日でもいいくらい」
「なにそれ、作り置きの要求ー?」
「やっ! そーじゃねぇけど、そのくらい好きってこと。あ、作り置きしてくれるんならそれはそれで嬉しいけど」
「…………ま、私も好きだけどね」
「俺が? それとも料理?」
「んー、どっちも?」
あれから彼女は好きって言葉は言ってくれるようになった。これはこれでわりと心臓に悪い。平気な顔して聞いてるけど実は内心バクバクしている。
彼女からの好きは何度聞いても減らない。むしろ俺の好きが増していくだけで、それ以外はなんの問題もなかった。
好きが高まると、つい想像してしまう。二人の未来について。
俺としてはそろそろ付き合って一年になるし、来年はお互い社会人になることも見越して、同棲を始めたいなと思ったりもするのだがそのことはまだ言えていない。
大きな決断になる。何かきっかけが欲しかった。今回の作戦は自分への勇気付けの意味もあった。
「なあ、こんなかでどれ食べてみたい?」
「えーどうかなー。あ、これとかは?」
「ローストビーフ?」
「うん。作るのそんなに難しくないし、ソースがちょっと変わってて美味しそう」
「作ったことあんの?」
「このレシピは初めてみるけど前にお母さんと作ったことあるよ」
「ふーん、そっか」
「あ! ねえ、一緒作るっていうのはどう?」
一緒に料理? そういえば彼女とキッチンに立ったことはなかったか。俺がちょっかいかけに行ったときくらいで。……いいかもしれない。
「じゃあワインでも買うか」
「おっ、いいねー。さらに楽しみになった」
上手くいくと、いいんだけど。俺は嬉しそうな彼女を見て心からそう思った。
テーブルをセッティングして買ってきたワインを開ける。彼女は二人で作ったローストビーフを切ってこちらに持ってきた。いい感じに赤みが残った肉は美味そうだ。キッチンに二人で立ったとき「新婚ってこんな感じだろうか」なんて、ふとそんなことを思った。
「カンパーイ!」
どうしてあるのか覚えていない、──たぶん引っ越し祝いにもらった──ワイングラスを鳴らして二人で祝う。特別じゃない特別な日に。
「ん、ワインおいしいね!」
「ああ、甘すぎなくて、ちょうどいい」
彼女の好みで選んだ白ワインは口当たりが爽やかで飲みやすい。
ここまでは上々。あとは彼女からの一言を聞いて、それから。
「はい、お肉」
「サンキュ」
受け取って一口食べる。お、これは。
「……どうかな?」
「美味い。このソース、ご飯にかけたい」
「ふふ、そんなにおいしかった?」
「うんお前も食べろよ」
「そうする。いただきまーす」
さっきも言ったのに律儀にもう一回言って彼女は肉を食べる。二人で作ったものだから、若干の反則にも思えるけど、もしこれでもダメだったら俺に打つ手はもうないとまで思っている。
「……ん。あぁ、良かったー」
……食べて飲み込んで、そして。彼女は言う。
今度も失敗だったかと落ち込みそうになった俺に女神は振り向いた。
「初めて二人で作った料理、おいしいね!」
嬉しそうにニコニコ笑う顔。これだ、俺が見たかったのは。俺が望んでいたのは。ここまで長かった。辛くはなかったけど、それでも寂しくはあった。けどその日々も今日、報われる。
「あぁ、サイッコーに美味いよ」
俺は万感の思いを込めて言った。
「なぁ」
再び二人で食器を片したあと、ソファーでごろついていた俺は雑誌を読む彼女の背に声をかける。丸みを帯びた肩がくるりと半回転して、こちらを見た。
「なあに?」
「卒業したらさ」
「うん」
「……一緒に住まねえ?」
「え、」
つづく