第2話〈目醒める闇と〉
「記念塔、今日も立ってるな。」
「記念塔、今日も立ってますね。」
立っているに決まっている。建物が1日で消えたりするわけが無い。
だが、これはもう毎日の習慣となっていた。アキトの相手をするミキルも慣れたものである。
「なぁ、ミキル。」
「はい、何でしょうか。」
「お前、今日も暇そうだな。」
「それについては触れない空気では無かったですか?」
「触れてはいけない所に触れるのが俺の趣味だ。」
夕方、屋敷と離れを繋ぐ1階の通路。
大きい岩に腰掛けながら、2人で夕日を眺める。
カナタとサチコ、それにメアロは街へ買い出し。アレクスは部屋に閉じ籠って仕事。ヤエサルは相変わらずまだ帰ってきていない為、暇を持て余すアキトの相手はこのツインテールロリメイドだけ。
アキトは夕日が写り込んだその空色の眼を見つめながら、話を続ける。
「……また、追い出されてしまいました。」
「それは見れば分かる。」
「ここは慰める所ですよ。」
「だから慰めてないんだろ?」
追い出されて落ち込むミキルだが、アキトのペースに飲まれ、少し笑みを浮かべる。
「……私は、どうやら必要では無いようです。」
「何言ってんだよ。必要に決まってんだろ。お前がいなきゃその離れにいる人はとっくに餓死だ。」
「そう、ですね……」
離れにいるという人物はその顔は愚か、存在している痕跡さえアキト達には見せていない。カーテンは一日中閉めっぱなし。揺れる事さえ無い。いっそ、その人物が本当に存在しているのかどうか疑うほどの静けさだ。
だが、存在しているのは分かる。何故か、感じる。これが多分アレクスが言っていた魔法の影響というやつだろう。強大で、凶悪な力。聖騎士の眷属を見た時と少し似ているだろうか。だが、聖騎士の眷属に感じたのは高貴にして高潔な力。
だが、こちらは純粋に力を貪欲に追い求めるような、そんな感じがする。
「…………はぁ。」
「……どうしました?カナタさん達が心配ですか?」
大きく溜息をつくアキトに、今度はミキルが心配そうに目を向ける。
「まぁ、な。そりゃあ心配さ。前回街に出た時は……この有様だからな。」
「それこそ大丈夫ですよ。騎士団の方が5人も護衛についているんですから。」
「それこそ騎士団の人が買い物しろって話なんだがな。」
アレクスが副団長を務める騎士団の護衛。アレクスが太鼓判を押した選りすぐりの護衛つき。たかが買い物で、とはもう思わない。たかが街見学であれほどの目にあったのだ。むしろ、護衛5人くらいでは少ないくらいだ。
「そんなわけには行かないですよ。騎士団の人が買い物の護衛をするのと買い物をするのとでは全く違いますよ。」
真っ赤に染まった空を見上げ、今日も平和に1日が過ぎる事を祈る。今日も、何もありませんように。無事に、帰ってきますように。
「ん?」
「何です?」
「いや、今離れのカーテンが揺れたような……」
「本当ですか⁉︎」
「いや、気のせいかも。」
「…………」
アキトの言葉に過剰に反応するミキル。だが、それからしばらく見てもカーテンが揺れる様子は無い。ミキルのジト目をスルーし、アキトが続ける。
「ちなみにさ。あの部屋、その人が入ってる所?」
アキトがカーテンが揺れたように見えた3階の部屋を指差す。
「……それは違います。あそこは確か、アレクス様のお部屋だったはずです。」
アレクスの部屋。元々はミキルの言ったその部屋がアレクスの部屋だったのだが、その人物が来てアレクスが部屋に入れなくなったので、アレクスはアキト達がいる本棟に移ってきていた。
「それ、言っていいの?」
「そのくらいはアレクス様に聞けば分かりますし、それにそれくらい言った所でどうせアキトさんには何もできませんよ。」
「それもそうだ。」
仮にアキトがその人物を襲おうとした所で、この屋敷には入れないし、その場合は遠距離からの攻撃となる。この世界の遠距離攻撃は基本的に魔法、または弓矢。
前者は残念ながらアキトには才能が無いことが先日の検査、というかアレクスの見立てで判明してしまっているし、弓矢に関しては左腕が動かないアキトはもはや論外。
なのでアキトには石を投げるくらいの選択肢しか残されていないのだ。
「たっだいまー!」
「お!」
サチコの元気な声が正門方向から聞こえる。
どうやら買い物組が戻ってきたようだ。
「ミキル!行こうぜ!」
「いえ、私はそろそろ仕事に戻ります。」
「んー、そうか。頑張ろうな。」
「はい。頑張りましょう。」
アキトは今後のリハビリと特訓を。ミキルはその人物の世話を。この2人は割と相性がいいようだ。
「おーーい!カーナーター!サーチーコー!」
ミキルは走り去って行くアキトを尻目に、離れのアレクスの部屋をじっと見つめていた。
△△△△△△△△
「治療師から、まだ連絡が無いんだ。」
アレクスのそんな言葉から始まった夕食は、どこか雰囲気がおかしかった。いつもは、黙々と食べるカナタ。ワイワイしながら食べるアキトとサチコ。それを微笑ましそうに見ながら食べるアレクス。そして黙って突っ立っているメアロ。
だが今日は、その表情は一様に暗く、静かな夕食。何故か。その理由は明白だ。
治療師が、来ていない。その治療師は本来は離れにいる人物の治療で来るという話で、アキトの治療はついでに、という感じなのは説明したが、治療師が来ないというのは中々に問題がある。
離れにいる人物はそんな大した病気という事ではないらしいのだが、それでも王都屈指の治療師がつけられたそうだ。
その治療師なら、アキトの腕も完全に治せるらしい。だが、来ない。
それはただ単にアキトの腕が治らないという事だけでは無く、離れにいる人物の治療も行えないという事に他ならない。だから、どこかピリピリした様子のアレクスとメアロの雰囲気に合わせ、アキト達は静かに夕食を食べていた。
「本当なら、今日の午前中には来る予定だったんだって。」
「え?そうなのか。まぁ、1日くらい遅れたって……」
「でも、定期連絡も来ないんだって。」
「……それはアレだな。」
「アレだね。」
サチコの説明に、何故アレクス達がこんな雰囲気なのかようやく理解するアキト。
定期連絡が無かったのならその確認の為にもアレクスは騎士を送っているはずだ。さらに、その騎士も帰って来なかったのだとすれば、それはもう何かが起きたと考えるのが自然だろう。
「アキト君。」
「はい何でしょう。」
「これ以上の時間が経ってしまうのは、君の左腕にとってはあまり良くない。」
「良くない。」
まぁそれは薄々分かっていた事だ。麻酔でもうったかのように感覚が無く、ピクリとも動かないこの左腕という名の肉塊を、放置していていいはずもない。
「そこで、今夜僕が再挑戦する事にした。」
「再挑戦。」
再挑戦。つまり、再びの挑戦。
そう。一度アレクスはメアロがまだ来ていない、アキトが目覚めた当日に治療を試みていた。だが、その時は治療魔法が殆ど効かず、見た目の傷が薄くなるだけに留まったのだ。
「メアロが庭に魔法陣を用意するから、君はその中心に立ち、メアロと手を繋いで目を閉じる。そこで、祈る。」
「祈る。」
「わかったかい?」
「まぁ、分かりました。」
つまり、アキトにできることは何も無いという事だ。しかし、一体何に祈れというのか。神か。神なのか。
「なぁサチコ。」
「ん?なぁに?」
「俺の左腕がこのまま治らなかったらどうする?」
どんな意図でそんな事を聞くのか。それは、アキトにしか分からない。
「うーん……ボクがアキトの左腕になるよ!」
「…………ありがとう。」
だが、アキトもそこそここの左腕に思う所があったようだった。
△△△△△△△△
夜。月明かりが照らす夜。地球よりも大分近くにあるその月は、今日も空一面にその顔を覗かせ、屋敷を照らす。ミキルは、今夜も1人寂しい夜を迎えていた。
「…………はぁ。」
ここは、離れの3階。アレクスの部屋の隣で、アキトが散々気になっていた人物のいる部屋の隣。つまり、2つの部屋の間に位置する部屋。
ミキルの部屋は、いつでもその人物の所へ駆けつけられるようにここに割り振られた。
「……はぁ。」
カーテンの隙間から、裏庭で作業しているメアロとアレクスの姿が見える。どうやら、魔法陣を作っているらしい。
本当は、ミキルも手伝いたい。本当は、ミキルもアキトの役に立ちたい。
ミキルは、この数日で今までに出会った事の無いような強烈な個性を放つあの筋肉野郎に、すっかり心を奪われてしまっていた。
今まで、職業以外の会話では他人と話した事が無かった。あんなに、あんなに面白い人がいるなんて。あんなに、かっこいい人がいるなんて。
だけど、その想いは届かない。決して、届きはしない。
あの人には、守るべき人が2人もいる。そして、実際に守ろうとして死にかけた。
あの人には、命を懸けてでも守りたい人が、もう既にいる。その両手はもはや埋まってしまっている。だから、これはただの憧れ。ただ、心が揺れただけ。ただの、初恋。
「おぉ!すげーな!これぞ魔法陣って感じだな!」
「静かにしろこのど変態が。」
ミキルには、この何の生産性も無い呆れるような会話も、とても素晴らしいような会話に聞こえてしまう。
「……はぁ。」
私は、今日もここで1人ぼっち。
チリチリチリーン…………
「!」
隣の部屋から呼び鈴が鳴る。これは、すぐに来いの合図。窓際の椅子から飛び降り、猛ダッシュで隣の部屋に向かう。
「お嬢様。ただいま参りました。」
「……入りなさい。」
静かに扉を開け、部屋に滑り込むミキル。その眼前には、暗い、暗い部屋の中に1人佇む少女の姿。
部屋の灯りも点けず、闇が部屋を支配している。
「……外が騒がしいわね。」
「……はい。この屋敷の従業員の1人が重傷を負っていますので、それをアレクス様が治療しようとしている所です。」
「……アレクス……」
ポツリと呟く少女に、ミキルが詳しく説明する。
「はい。オーボレル騎士団、副団長のアレクス・アベレダード様です。」
「……それはどうでもいいわ。それより、その重傷の方の事を話して下さいな。」
「あ!はい!」
ここ最近、カーテンを閉め切り、外界に興味すら持たなかった少女が、外界に興味を持った。ミキルは、それがあの筋肉バカのおかげのような気がして、少し嬉しくなった。
「名前はアキト・サザナミ。お嬢様がここに来た日と同じ日に重傷を負いました。」
「アキト・サザナミ……変わった名前なのね。」
「はい……。そうですね。」
それは、ミキルも思っていた。その名前は、まるで歴史に残るあの『落ち人』と同じような名前。だが、言っては何だがあの筋肉の塊に何がどうできるかと言われれば、それは少し答えに詰まってしまう。まぁ、やればできるようだが。
「アキトは、妹と幼馴染を救う為に戦い、そして左腕を切り落とされたようです。」
「……その男は、帰ってきたのね。」
「あ……すみま、せん……」
帰ってきた。その男は。アキトは、帰ってきた。即ち、帰ってこなかった男が、かつていた。
「いいのよ。だって…………」
少女の紅い眼が光る。
息をつき、一言一言区切るようにゆっくりと、だが確かに言う。
「ギャルドもまた、帰ってきてくれたのだから。」
「?お嬢様、何を……?」
唐突に脈絡の無い事を言う少女に、ミキルが混乱する。
ギャルド。その男の名はもちろん知っている。というか、この国で知らない者はいない、というくらいには有名だ。
だが、その男は死んだ。10年以上も前に。ミキルが生まれるよりも前に。だから、ミキルは一瞬、この少女が何を言っているのか分からなかった。理解できなかった。
「お嬢様、ギャルド様は……!」
「ギャルド。」
『…………ここに。』
「なっ……⁉︎」
目の前に現れた濃厚な闇。それを最後に、ミキルは気を失った。