第1話〈暖かな日差しに照らされて〉
「やぁ、おはよう!今日も新しい朝が来たな!」
「おはよう、ございます……」
「んー?どうしたミキル?また何かやらかしたのか?」
澄み切った空気と、心地よい風が吹き抜ける朝。
朝日に照らされ、昨晩まで降っていた雨によってできた水溜りが煌めき、何とも言えない爽やかな朝を演出する。
「ていやぁっ!」
カナタの威勢の良い声が敷地内に響き、続いて金属と金属がぶつかる特有の音。
「そこっ!もう少し踏み込んで!」
「はいっ!」
相手をしているのはアレクスだ。
左腕がピクリとも動かないアキトに代わり、アレクスがカナタの指導を行っている。
というか、アキトがやるよりもアレクスの方が向いているのではないだろうか。
カナタがアレクスに剣を教えて欲しいと頼み込んでいたと聞いた時は驚いたが、カナタがやりたいと思ったのなら仕方が無い。
カナタが剣の稽古をして何を成し遂げたいかは大体想像がつくが、カナタが本当にやりたいと思ったのなら、アキトにはそれを止める権利は無い。
そして実際、ここ数日でカナタの技は大分磨かれているように感じる。これも今まで日本で基礎をしっかり練習してきた賜物だろう。
「別に、何も……」
「ふーん。そうか。」
「そうです。」
ミキル。ミキル・レグシア、10歳。アキトが瀕死の状態になっていた時にこの屋敷の離れ担当のメイドとして、入ってきたメイドの1人。
茶髪の前髪は真っ直ぐ切りそろえられ、短めのツインテールが伸びている。その瞳は、透き通るような空色だ。
いつもなら張り切って仕事をしている時に体の動きに合わせて元気に踊るそのツインテールも、今朝は何だか萎れているように感じる。
「てかミキル。ミキルは朝ご飯手伝わなくていいの?」
「はい。この程度の人数ならメアロさんと、サチコさんで十分なはずです。」
そう。メイドの1人、という事はもう1人、或いは複数のメイドが他にいるはずである。
その1人、メアロ。メアロは何というか……まぁ後で説明する事にしよう。
そのメアロとサチコで、朝ご飯を作っていた。ヤエサルは仕事があるという事でどこかへ行ってしまったらしい。ヤエサルがいつも1人でやっていた仕事を3人でやっても、とても大変だという話をカナタ達から聞いていた。
え?アキトは働いていないのかって?それは今のアキトには不可能な話だ。
アキトの左腕はまだ治っていない。くっ付けて、血が流れるようにしただけ。骨はまだ完全にはくっついてはいないし、神経も断裂したままだ。幸いだったのは切断面がとても綺麗だったので、合わせる際に苦労が少なかったという事だけだろう。
なのでアキトは三角巾で左腕を吊っていて、今はとてもではないが仕事をする状態では無いのだ。
最も、治っていたところで仕事がこなせるかは別問題だが。
「なぁミキル。そろそろ教えてくれよ〜。」
「ダメだと言っているでしょう。答えられません。」
「で?彼女に何て言われたんだ?」
「かのお方は関係ありません。」
「……ちっ。」
アキトの彼女、というのは屋敷の離れにいる人物を指している。もちろんアキトはその離れに泊まっている人物が高貴な人だという事しか知らない。
その人物の詳細は愚か、性別や年齢も全く知らないのだ。
だからアキトは毎回ミキルに探りを入れている。アレクスはその人物を知っているのだが、アレクスは教えてはくれないしそれを漏らすとも思えない。で、結局この見た目はチョロそうなメイドさんに絡んでいるというわけだ。
彼女と言ったのは当てずっぽう。というか、8割がたアキトの願望である。高貴な人に惚れられたい、とかいう阿呆な考えからである。
「せめて、カーテンから顔を覗かせてくれないもんかねぇ。」
裏庭から見える離れの窓は、全て閉め切られており、カーテンもピッチリと閉められている。
普段のアキトなら、その秘密を暴こうと離れに浸入し、部屋に閉じこもる哀れな人物の顔を拝んでやろうと乗り込むような事くらい簡単にやってのけるだろう。
だが、それは不可能であった。
この場合の不可能とは制度や制約的な事ではない。
物理的、いや、魔法的と言った方が正しいか。今、離れの周りにはその高貴な人物の影響によって、極々一部の人間以外には離れに近づこうとすればバリア的なものによって物理的に弾かれるようになっていた。それは屋敷を管理しているはずのアレクスも例外では無かった。
そこで何故ミキルが入れるのかを聞いてみたのだが。
「お答えできません。」
の一言で終わってしまう。これはアキトで無くとも気になるのも仕方が無い。
「…………記念塔、今日も立ってるな。」
「記念塔、今日も立ってますね。」
屋敷の敷地内からでも見える、天高くそびえ立つ記念塔。別に日本を基準に考えればそう高い建物の内には入らないのだが、この街の建物はほとんどが2、3階建なので、少し高いだけでかなり目立つのだ。
アキトは、あのループの目印となっていた記念塔に、何となく思い入れができてしまったようである。
「さて。そろそろ朝ご飯も出来た頃だし、行くか。」
「ミキルは仕事に戻りますね。…………ありがとうございました。」
「いえいえ。ロリっ娘の相手をするのも紳士の務めですよっと。」
アキトはそう言ってミキルの頭をクシャクシャッと撫でて立ち上がり、大声でカナタを呼び始める。
ミキルの目は、そんなアキトを眩しそうに見つめていた。
△△△△△△△
「さて、アキト君。」
「はひ。何ですか?」
朝の食堂。アレクスとカナタ、そしてアキトとサチコでテーブルを囲み、食事をしている時。唐突にアレクスがアキトの名前を呼ぶ。
「今日、遅れていた治療師が到着するという連絡が入った。」
治療師。またの名を魔法使い。人体のマナの扱いに長け、治癒魔法を得意とする魔法使いの総称である。
別にその治療師というのはアキトの為に呼ばれたわけではない。
離れにいる高貴なお方が軽い病気だというので呼ばれた治療師で、アキトの治療はついでみたいなものである。
「なるほど。じゃあ遂にこの封印されし左腕も治るという事で?」
馬鹿が右手で厨二ポーズを取り、それをカナタが嗜める。恥ずかしい。サチコは目をハートマークにしてアキトを見つめてしまっているが。
「まぁそういう事になるね。」
アレクスが何か言いづらそうな顔をする。
「ん?何か問題があるんですか?この左腕が実は一生治らないとかじゃないなら聞きますよ?」
「いや、その可能性もあるにはあるんだが……」
「あるのか……」
冗談で言ったつもりがガチ回答で急速にテンションが下がるアキト。だが、問題は別のところにあるらしい。
「治療の際に、協力してもらわなければならない者がいるんだ。」
「うん?それってサチコじゃないんですか?」
「サチコさんにももちろん手伝ってもらう。だけど、火力を集中しても防御が固いからね。そっちの防御を何とか下げられないかと思ってね。」
何の話をしているのか、だって?もちろん、アキトの腕の治療の話に決まっている。
「そんな事できるんですか?」
「その可能性がある、という話だ。」
「なるほど。話が読めてきましたよ。俺はいいですけど。というか大歓迎ですよ。」
「お断りします。」
ここで唐突に話に割り込んできた可愛らしいソプラノの声。だが、普段なら可愛く聞こえるはずの声も、アキトの耳にはブリザードのように冷たく届く。
「メアロ。」
「嫌です、アレクス様。あのクズに接触しなければならないなんて。」
それは、いつもならヤエサルが立っているはずの位置。アレクスが座る席の1メートル右。そこには、チョコンと可愛らしいメイドが立っていた。
何故、その可愛らしいメイドがまるでゴミクズを見るかのような目でアキトを見ているのか。それは、1週間前まで遡る。
*****
「ネコ……ミミ、メイド……だと……?」
サチコの押す車椅子に揺られ、カナタとアレクスの朝稽古を見学していた時。
ミキルがいる事はその時既に知っていたが、メアロの存在は知らなかったアキト。
離れからミキルと共に出てくるメアロを見、アキトが一瞬にして変態に様変わりしてしまったのには理由がある。
「あ!そう言えばアキトには言ってなかったね。この娘は元々ここでメイドをやっているメイドさんで……ってアキト?」
この時、アキトは目覚めてからまだ数日で車椅子での移動が義務付けられていた。
だが、考えてもみてほしい。
目の前に、ネコミミを引っ付けたメイドがいる。短めのスカートから覗くガーターベルトとホルスターっぽいのもそうだが、何よりもアキトの視線をくぎづけにしたのはその尻尾。真っ白な尻尾がユラユラと揺れ、何というかもうたまらん。
オマケに、そのネコミミメイドは美少女だった。見た目は15、6歳程、髪は真っ白で何処と無く儚い雰囲気を演出している。肩口で切りそろえられ、ボサボサて無造作な髪型だがそれすらも可愛さを引き立てる道具にしかならない。つまり、何が言いたいかというと、最高だった。
「うぅ……ネコミミメイド……愛でなければ……愛でなければ!」
そう言って立ち上がり、ネコミミメイドに突撃をかますアキトを誰が止められただろうか。いや、止められまい。
いや、やっぱり止められた。物理的に。
「なんっ⁉︎ですかっ、この変態はっ!」
そのネコミミメイドは両腕を広げて自分に突撃してくるアキトを見、顔を歪ませて迎撃にうつる。
かなりの身長差があったはずだが、その拳はアキトの顎に直撃し、アキトはその場で撃沈する。
「メアロ!何してるんだい⁉︎」
「ア、アレクス様……この変態が……。すみません。気絶させてしまいました……」
朝稽古を中断し、アレクスが走り寄ってくる。
「へへへ……この程度で気絶なんてすると思うなよ……」
地面に倒れたアキト。常人なら気絶どころか脳を直接揺さぶられ、意識を永遠に持って行かれかねないその一撃を受けても、尚意識を保っていた。
流石アキト。病み上がりでも、久々に走ったとしても、やはりアキトはアキトであった。その頑丈さ、岩の如し。
「パンツは……まっしぶっ⁉︎」
*****
そこでアキトの意識は失われた、という話である。ここで現在に話を戻そう。つまり、そういう事である。
「まぁまぁ。パンツ見たのは悪かっ」
「黙れ生ゴミ。」
「……うぇーん!サチコー!メアロが虐めるよー!」
「アキト、可哀想……」
とまぁ、ここまで話していてまだ治療に何故メアロが必要なのかは全く説明がなされていなかった。
「メアロは、アキト君とは逆の意味で特殊体質なんだ。メアロはマナを通しやすいんだ。」
「なるほど。プラスとマイナス、合わせて幸せって事ですね。」
「嫌です。」
ここまで、頑なにアキトと手をつなぐ事を拒否するメアロ。
「メアロ。これ以上は許さないよ。」
「………………はい……」
アレクスの強い物言いに、シュンとして下を向くメアロ。何だかアキトは申し訳ない気分なるが、同時に屈服させた感があり、何だか高揚してくる。犯罪者級の酷い性癖である。
「…………はぁ。」
「ん?カナタ、どうしたんだ?」
「…………何でも無い。」
兄の愚行に苦悩するカナタだったが、今のカナタにはアキトをどうこうする力は無かった。