第1章幕間〈黒の残像〉
「……はぁ、何とかついたよ……。」
精霊達の放つ光が消え、アレクスが安心したように言う。
アキトの状態は極めて悪かった。右半身、特に前側に酷い火傷と打撲、そして肋骨の骨折。
そして、何よりその左腕。上腕半ばから綺麗に切断されており、その腕は剣を握ったまま5メートル近く吹き飛ばされていた。出血も激しく、危険な状態だった。
腕は関節ではなく骨の途中で切断された事によって再生も難しく、そもそも時間が経ってしまっていたのでくっつくかどうかも怪しかった所だ。
オマケにアキトには治癒魔法が効きにくい事が既に判明している。アレクスがここに着いた時にアキトの惨状を見て、これは助からないかも知れないと思わせた程だ。だが、この周辺にいた精霊達は、何の因果かアレクスに協力的だった。
「本当ですか⁉︎」
「あぁ。応急処置だけだが、後は治療次第でどうとでもなるはずだ。もう安心だよ。」
「ありがとうございます……!」
サチコが、目の周りを真っ赤にしてアレクスにお礼を言う。目の前でアキトの腕が斬り飛ばされたのだ。それは心配になるだろう。
「アレクス様。どうやらカナタ様も大丈夫そうです。」
「……そうか。それにしても、派手にやられたなヤエサル。」
騎士団の馬車が到着し、気絶したままのアキトとカナタが運び込まれ、最後にサチコが乗り込む。
「サチコさん。戻ったらメイドが来ているはずだから、メイドに世話を頼んでくれ。」
「分かりました。ありがとうございます。」
「いや、いいんだよ。」
扉が閉まり、馬車が走り去る。
「何があったんだい。お前がそんなにボロボロになるなんて。」
アレクスがヤエサルの全身を見る。ヤエサルの服はビリビリに破れ、所々浅い傷ができていた。
「不覚を取りました。新手が来たのですが、その新手が……」
「なんだ。」
「『刀』持ちです。恐らく、私の全盛期と同程度でした。」
「何⁉︎『刀』持ちだと……。」
アレクス率いるオーボレル騎士団の警備は完璧なはずだった。それがこうも反乱分子の侵入を見逃したとなると、アレクスの責任問題にもなりかねないが。
だが、そうならない理由があった。アレクスは、別任務の行動中。
「……ヤエサル。」
「は。」
「僕には、任務がある。」
「分かっております。」
「今は、ここを離れることができない。ヤエサル、お前は王都に直接出向け。もはやオーボレルでは彼女を保護しきれない可能性すらある。」
彼女。今回の聖騎士の眷属の視察を隠れ蓑に、この街に秘密裏に運び込まれた人物。
というか、今回の聖騎士の眷属による視察自体がカモフラージュだった。そして、彼女の警護には直接アレクスが就く事になっている。
「了解しました。ですが、彼女は……」
「そこで、アキト君だ。」
「アキト殿、ですか……?」
「少し、試してみたんだ。」
「まさか……⁉︎」
試してみた。それは、先程の一幕。アレクスが、アガノに攻撃を仕掛けた際に使用した物。
アレクスには、まだ秘密があるようだ。
「その可能性すらある。本当に、彼が来てくれてよかった。」
「…………アレクス様。」
「アキト様の事もそうですが、あまり気負わないで下さい。」
ヤエサルはそう言い、半壊した屋敷を眺めるアレクスを見据える。
アレクスが屋敷を眺める目は、どこか後悔と哀愁が感じられた。
「副団長!」
ここで、現場を封鎖し、調査していた騎士の1人がやってくる。
「報告です。」
「聞こう。」
「まず、この周辺ですが周到な魔法陣が組み込まれていました。それに、今回の被害者達は誘導されたと思われます。」
「……途中でマーキングが切れた理由は?」
「それが、それに関しての痕跡は一切ありませんでした。一部、表通りの店主達から不可解な報告があがってきていますが……」
「それは?」
「店が、一つ消えたとの事です。」
「………………分かった。それに関しては調査しなくていいよ。」
大きく間を置き、アレクスが苦虫を潰したような顔で言う。どうやらアレクスには犯人が分かったようだ。
騎士が不思議そうな顔をするが、そのまま報告を続ける。
「それと、黒の追跡に失敗。『刀』による死者5名、A級指名手配のアガノによる死者3名。他、軽症13名、重症4名。対して黒の被害は確認できた限り死者17。その内、到着した際既に殺されていた者は6名、ヤエサル様によるものが5名です。彼らの街外への撤退は確認できていません。」
「…………散々な結果だな。王都からなんと言われるか……」
「それが、王都から新たな情報です。」
「何?」
アレクスが眉を潜める。この短い時間に2件も手紙など、異例の事態だ。アレクスが、騎士から手紙を受け取り、封を破る。
「…………」
「アレクス様?」
「ハハハ……これは思ったより大変な任務のようだ……。王都の奴らの失態が言い訳がましく綴ってあったよ。」
笑ってはいるが、目が全く笑っていない。これは、怒っている。
あのアレクスがマジギレしている。
「……はぁ。仕方ないな……」
ここで、アレクスが一息つき、本題に入る。一気にアレクスの顔が引き締まる。
「それで、その既に死んでいた6名については?」
既に死んでいた6名。即ち、アキトが目醒めた場所の死体。
「……まだ、確定はできません。アレクス様も来ていただけますか?」
「…………あぁ。」
騎士の先導で、アレクスとヤエサルが現場に向かう。アキトが目醒めた、あの場所へ。アキトが襲われた、あの場所へ。
「…………お願いします。」
「……わかった。」
作業をしていた騎士達が一旦場をどき、死体周辺にアキトが立つ。
場は、酷い有様だった。周辺の壁や地面は抉られ、削られ、押し潰されている。黒ローブ達は様々な殺され方をされたと推測できるが、死体は一様に断頭されていた。
断頭については不明だが、これと同じような現場をアレクスは3年前にも何度も、何度も見ていた。
「ふっ…………!」
アレクスが語りかけ、それを周りの精霊が拾い上げる。
光と、音の支配する世界。
周りに残滓する魔法の痕跡、マナの痕跡を探る。そこで、何が起きたのか。本当に、彼らがいたのか。
アレクスの周りが光を放ち、普段は見えない彼らの姿が一般の騎士達にも見えるようになる。
「アレクス、様……」
ヤエサルがポツリと呟く。思い出されるのは3年前の出来事。この国で起きた、起きてしまった史上最悪の戦争と、その終わり。
「ぐっ……」
「アレクス様!」
光が急速に収まり、日の光に当てられたようだった一面はすぐに雨へと濡らされる。
アレクスは地面に手をつき、苦しそうな表情だ。
「……大丈夫、だ……」
「アレクス様。いかがでしたか?」
騎士の1人が尋ねる。
アレクスの周りに漂っていた光は消え、儚い命を散らしていく。
「……大丈夫だった。彼らでは無い。」
彼ら。彼らとは、一体誰か。何か。それは、今はまだ明かされない。
その言葉に騎士達はほっとしたように作業に戻る。
「アレクス様……」
「どうしたんだヤエサル。まるで初めて見たみたいな反応をするじゃ無いか。」
「……メアロが知ったら怒りますよ。」
「メアロには久しぶりに怒られてみるのもいいな。」
アレクスは、未だに雨の止まない空を見、そっと呟く。
「…………レミリィ。」
雨は、まだ止む気配はなかった。