ある教師のお話2
神崎と別れて1年が過ぎた。
先日、彼女が近藤と婚約したことを知った。
どこが家柄の良い、条件のいいお見合い相手だ?
この前他校に異動した同じ教員仲間じゃないか。
神崎は、最後に笑顔と優しい嘘をくれた。
二人の関係を決断しきれなかった自分は、さぞかし彼女を傷つけたはずなのに。
幸せになって欲しい。
心からそう願う。
神崎は新しい道をみつけ、歩みはじめた。
それに比べ、自分はいったい何をしているのだろう。
7年前から何一つ変わってない。
7年前のあの屋上から動けずにいる。
もう自分は忘れられているかもしれないのに。
だけど、年に2回届くハガキに、未だ覚えてもらっている安堵と微かな期待と。
我ながらかなり女々しいと思う。
それでも。
日が沈みかけ、職員室に夕闇が差し込む中、最後に届いた年賀状を机の中から取出し眺める。
友達らしき人たちと写っている川島は、高校生の時と同じようにイキイキとして楽しそうで、そして高校生の時よりはずいぶん大人びた表情で立っている。
いい加減自分の気持ちを認めないといけない。
7年かかって、やっと。
自分の手元にある卒業式の写真と、卒業してから届いた10枚にみたないハガキ。
ハガキが増えれば増えるほど、愛しさも、会えないツラさも、想いが強くなるばかりで。
今日は七夕。
離れていた恋人たちが会える日。
恋人ではないけれど。
会いたい。
切実にそう思う。
だが今さらどんな顔をすればいいのか。
社会人として頑張って働き、きっと彼氏もいて、人生はこれから、という彼女には自分は邪魔者でしかない。
ただの高校時代の、ちょっと仲の良かった先生。
そんなポジションだ。
でもそのポジションに、必死にすがりつくしかない。
今年の夏も、忘れずにハガキを送ってくれるだろうか…
ぼんやり考えながらタバコに火をつけ、深く吸い込む。
今でも鮮明に覚えている。
顔を真っ赤にしながら告白してきた彼女。
その一生懸命さを嘲笑うかのようにひどい言葉を返してしまった自分。
『今のオレの年になって、それでもまだオレのこと好きなら…その年の七夕にでもこの屋上で会うか?』
ふと自分の言った言葉を思い出し、思考が止まる。
まさにあの時の自分の年に川島は追いついた・・・?
だからといって、何か起きるわけじゃないが。
7年前のことなんか、しかも自分が気紛れで言った言葉なんか覚えているわけないし、覚えていても軽く流すだけだ。
あの後すぐクラスメートと付き合っていたことからも、今さら自分を好きなはずは、ない。
でも。
屋上に行って、川島の姿がなければ、今度こそ自分も彼女から卒業できるかもしれない。
そして、万が一。
万が一彼女がいたら……
慌てて屋上へと走り出す。
万が一なんて、ない。
分かってはいる。
分かってはいるけれど。
階段を一気に駆け上がる。
もう辺りはすっかり暗く、星もうっすら見える。
汗で髪が顔にはりつくのも気にせず息も絶え絶えに屋上まで上り扉を開いた。
「来るの遅い!待ちくたびれちゃった。」
扉を開けたと同時に目に映った光景は、あの日と同じ鉄柵によりかかる女性のシルエット。
学校の隣にそびえ立つマンションからの明かりが辛うじてわずかに暗闇をやわらげているが、それでも辺りは暗く静か。
だがまさしく自分が求めていた少女と同じ、忘れられない声音で語りかけてくる。
扉を開けたものの、痺れるような感覚に一歩も足を屋上に踏み入れることができない。
まるで自分の願望が葉書からそのまま抜け出してきたかのような錯覚を覚える。
「亮ちゃん?」
「…川島…なのか…?」
「他にも同じ約束した女がいるの?」
「いねぇよ!」
「じゃぁ、川島、です。」
思わず叫んだそのことでやっと1歩踏み出せた。
もう1歩、もう1歩。
ゆっくりと前に進み、目の前まできた。
暗闇でもしっかりと表情がわかる、その距離に。
「なんで…」
「なに?」
「なんで来たんだ…」
「だって約束したもん。忘れたとは言わせないんだから。」
期待していた言葉がいとも簡単に川島の口から飛び出してくる。
心臓は張り裂けそうなほどドクドク言い始め、緊張で冷や汗も出てきた。
夢か?
ここまで望んでいた通りになるのは…
現実であることを感じたくて、そっと川島の頬に右手で触れる。
気持ちよさそうに瞳を閉じるその仕草すら、心臓をさらに高鳴らすばかりで。
「来たということは…その…」
「亮ちゃんが言ったんだよ?たくさん恋愛しろって。だから私たくさん恋愛して、経験値すごく積んで、今じゃちょっとした勇者にまでのし上がっちゃった。」
「いや、勇者になれとは言ってねぇし。」
「でも!どんな恋愛も、亮ちゃんに比べたら全然心が冷めてしまうの。私にはやっぱり亮ちゃんしかいない。だから、来たよ。」
ふざけているようで、そのくせ一生懸命に言葉を紡ぐその表情は、大人びたはずなのに7年前と少しも変わらない。
少しも変わらず、愛しい。
頬に当てていた右手を首の後ろに回し、ぐっと川島の体を引寄せ抱きしめる。
かすかに甘いの香りがする柔らかい体に目眩を起こしそうになる。
「オレ、お前の夢を壊すような恋愛しかできねぇかもだぞ。」
「それでもいいよ。亮ちゃんがそばにいてくれれば、それだけで私は幸せ。」
「ものっすごく嫉妬深くて女々しいぞ。」
「それもひっくるめての亮ちゃんでしょ?」
「でも、川島を愛してるから。」
「うん。」
「気づくのにかなり遠回りしたけど、オレも川島しかいねぇから。」
「うん。」
抱きしめていた力を緩め、ゆっくりと川島の顔を上にあげ表情をうかがうと、静かに涙を流していた。
泣きたいほど嬉しいのは自分も同じ。
同じ気持ちでいられることが、これほど嬉しいと思ったことはなかった。
「約束を覚えてくれててありがとな。」
「感謝してよ。いい女の川島様がここまで頑張ったのは亮ちゃんが最初で最後よ。」
「あぁ。その分これから思う存分愛していくから。」
「うん。」
やっと自分の進む道を見つけた。
ずいぶん回り道をしたけれど。
止まっていた時が、動き始めた音がした。




