ある教師のお話
正直なところ、告白された瞬間に頭をよぎった感情は「参った」だった。
教師という職業は、嫌われるか好かれるか、大体の生徒はその二極化に分かれる。
そしてまだ幼いが故か、たまにその「好き」を恋愛感情だと勘違いされることがある。
こんなだらしなくしている自分でさえ、稀に告白されるくらいだから、普通にカッコいいヤツが教師をしていたらさぞかし大変かろうと思う。
それはさておき、生徒のそんな勘違いの恋愛に付き合っている暇はもちろんない。
何よりこんないい加減に生きてる自分でも生徒は可愛かったりするので、やんわりとなるべく傷つけずにすむように断ってきた。
勘違いしてそうなら告白される前に予防線を張るのも忘れない。
この時代、ネットに何をかかれるかわかったもんじゃないから、教師は本当に気を遣う。
今までの生徒は当たり障りない距離を保っている生徒だったからまだ良かった。
生徒たちは幼く、大人の事情なんてわからない。
当然だ。
恋愛だけで世界が回っている気がしているお年頃だ。
それは若さの特権なんだから、責めるつもりはないし謳歌しろと思う。
ただ、その感情があまりに態度に出やすく、突然全くしゃべってくれなくなったりすると周りも気づき、何事かと聞かれたりする。
つまり、働きにくい状況になったりも、する。
普通に距離を保っている生徒ですらこうなのだ。
だから。
自分を慕い、いつもくっついてくる川島から言われた時は、猛烈に自分に腹が立った。
なぜ油断した?
なぜ彼女に誤解を与えた?
自分への怒りはなぜか形を変え、いつもとは違い彼女にキツい言葉で当たり散らしてしまった。
川島と話を終え、その場を去って、後悔がひたすら襲ってくる。
職員室に戻っても、放課後になって教師すらほとんど帰った状態になっても、自責の念に襲われ放心状態のまま、何もできなかった。
でももう取り返しはつかない。
「伊東先生?伊東先生ってば!」
やわらかく自分を呼ぶ声がする。
見上げると横に同じ教員の神崎が立っていた。
「あぁ、神崎か…どうかしたか?」
「どうかしたかじゃないですよ。伊東先生こそどうかしたんですか?」
「…」
そりゃそうだ、と納得する。
自分の方こそどうかしてる。
ただの一生徒に対してここまで感情を持っていかれるなんて。
あってはならないことだ。
もう済んだこと。
言ってしまった言葉は戻らないし、きっと川島もすぐに新しい恋をするだろう。
職員室はすでに暗闇が訪れていて、省エネのため自分の席の周辺だけがスポットライトが当てられているかのように明るい。
気づけば神崎と2人きりだった。
「……なぁ、神崎、彼氏いないならオレと付き合わね?」
自然と言葉が口から出ていた。
状況がそうさせたのか、元から自分の中にそういう気持ちがあったのかわからないけれど。
「何があったのかしりませんけど、」
やっぱり勢いで言えば断られるだろうな、と思ったのに。
「言ったからには責任取ってくださいね。」
「え?」
「だから、いいですよって言ったんです。」
可笑しな伊東先生、と言いながらコロコロ笑う神崎に、少し驚く。
目もとをうっすら赤くしうれしそうに笑う神崎が、不意に愛しく思った。
神崎と付き合い始めてほどなくして、川島がクラスメートの男子と付き合っているという噂を耳にした。
ホッとするべきところだ。
年相応の恋に気付き、青春を謳歌しているのだから。
教師として安心するべきことだろう。
だがこの胸に込み上げてきたのは言いようのないモヤモヤ感で。
あんなキツい言葉を吐いたのに、変わらず自分を慕ってくれていたことに甘えていたからだろうか。
大人な彼女の態度に正直予想外だったが、慕ってくるとはいえ前みたいに触れてくることはなくなっていた。
しかも、2人で他愛もない話をしていると、その彼氏とやらが川島を迎えに来てどこかに連れていくようになった。
付き合う云々の話が川島本人からではなく、噂で聞いたから。
だから。
寂しくなったのだろう。
このモヤモヤも、時が経てば無くなるちょっとした感傷にすぎない。
自分自身に言い聞かせるように何度も呟く。
だが時が経てど感情を持て余すばかりで一向に消えてくれない。
川島と付き合っている男子生徒を睨み付けている自分に気付いたときは、さすがに慌てた。
らしくない。
たかが感傷にここまで振り回されるなんて。
卒業まで。
卒業してしまえば、川島にとって自分なんか忘却の彼方の人間になる。
高校時代にあんな先生いたな、少し仲良かったな、程度の。
それはとても寂しいことではあるが、明るい未来しか見えていない生徒にとって見れば自然なことだ。
そうやって自分の気持ちと折り合いをつけつつもあっという間に2年が過ぎ、川島もとうとう卒業となった。
卒業式が済むとすぐに彼女はいつものように笑顔を浮かべながら自分のところまで走り寄ってきた。
「亮ちゃん、写真、一緒に撮って。」
そう言うと、川島はいつもかけているメガネを取った。
今までガラス越しにしか見ることができなかった、そのどこまでも透き通るような澄んだ瞳に魅入って、いつの間にか撮られていたことすら気づかなかった。
「亮ちゃんにも送るね!バイバイ!」
川島の最後の言葉を、タバコを吸いながらぼんやり聞く。
彼氏の元へと走り去っていくのをもちろん自分に止める権利は、ない。
そもそも、止めたいと思うことすらおかしいのだから。
3年間は、あっという間だった。
彼女のあの告白は、高校時代の、一瞬でいいから思い出として残ってくれたのだろうか。




