訪れし異変なる襲撃
《C地区・軍訓練場・休憩所》
「…………」
髪が乱れるのも厭わずに額を押さえつけ、俯く少女。
彼女の目に光はなく、その表情に希望はない。
少女を心配そうに見詰める周囲の女性達も、彼女のそんな様子に少なからず動揺する色を隠せては居なかった。
「……サラ」
「不安そうな声を出してはいけませんわよ、デイジー。今、最も苦しいのはスズカゼさんなのですから」
「だが……、私は彼女のあんな様子を見たことがない……。何が、何があったのだ?」
「解りませんわ。ゼル団長も話そうとしませんし……、ファナさんも」
サラの視線の先では、ファナは瞳を閉じて顎を落としていた。
眠っているのかどうかは解らないが、先程から呼びかけても返事は返ってこない。
彼女自身も何か思うところがあるのだろう。
その表情は眠っているにしては余りに歪んでいる。
「……取り敢えず、サウズ国帰還の為の準備をしよう。私達は特に何も持ってきては居ないし、騎士団の皆も用意ぐらいは自分で出来るだろう。取り敢えず、レン殿は既にジェイド・ネイガーが乗って帰っているだろうし……、最悪、新たな獣車をこちらで借りなければならんな」
「でしたら、民間のを使う方がよろしいですわぁ。費用は掛かりますけれど、この様子を見る限り余り貸し借りは作らない方が宜しいですもの」
「……そうだな。では、その様に手配をしよう」
デイジーはサラとの会話で結論を出し、その結果に従って動くために席を立つ。
民間の獣車を借りて国境を越えるなど、金銭的に見ても本来は余り褒められた行為ではない。
しかし、この現状を見ればいち早くベルルーク国との関係性を断ち切らなければならないことは明らかだ。
騎士団より先んじて帰る事も考えなければならないだろう。
「……む?」
しかし、彼女の手がドアノブを回すことはない。
デイジーがまず感じたのは異変だったからだ。
それは室内の物ではなく、屋外での騒音に混じって、聞こえてくる。
ーーーーー……襲撃だ、と。
「サラ!!」
「ど、どうしましたの?」
「外の様子がおかしい! 私は外を見てくるから、お前はここに居てくれ!!」
「は、はい!」
デイジーは扉を突き飛ばすようにして開き、外へと飛び出していく。
屋内にはなかった陽の光が彼女の視界を白く覆い尽くすが、それも一瞬。
瞼を開いたデイジーの視界に飛び込んで来たのは、我先にと訓練場から出て行く大勢のベルルーク軍兵士の姿だった。
「な、何が……」
彼女の声で止まる兵士は一人とて居ない。
皆が皆、必死な形相で正門の方向へと駆けていくのだ。
「……そうだ、騎士団は!?」
デイジーは周囲を見渡し、人波の中にサウズ王国騎士団の姿を探すが、見当たる事はない。
だが、彼等がつい先程までゼルの命令により纏めていた帰りの荷物だけは見つかった。
とは言え、その荷物も纏めている状態で放置されている。
恐らく異変を感じて外へと向かったのだろう。
自分も行くべきだとは思うが、ゼルにはスズカゼに着いていろと言われている。
獣車を借りに行くだけならまだしも、流石に国外まで無断で出る訳にはーーー……。
「サウズ王国騎士団、デイジー・シャルダさんー」
「……!」
彼女は自らの名を呼ばれて振り返るが、そこには誰の姿もなかった。
確かに名を呼ばれたはずだ。声もしたし気配もあった。
だと言うのに、その人物の姿はない。
「下、下ー。下ですよー」
「え? 下?」
言葉通りに視線を下げた彼女の目に映ったのは、自らの足下にちょこんと立った一人の少女の姿だった。
その手に持っている銃口の長い銃からして、恐らくサラと同じ狙撃者なのだろう。
「え、えーと」
「ヤム・ソーアン少尉でありますー。皆さんの見張り……、じゃないや。護衛に参りましたー」
「……どういうつもりだ?」
「国外に何か変なのが来たそうで-。今はサウズ王国騎士団と協力して我が軍が排除に当たってますー」
「騎士団が!?」
「難しい事は解らないんですけどー、そっちの団長さんが決めたらしいですよー」
「……何があった? 変なの、とは何だ?」
「さぁー? 聞く前にこっち来ちゃいましたしー……」
「……そうか」
今、彼女は見張り、と言った。
つまり自分達は監視される立場にある。
監視といえど、一人しか寄越さなかったという事は、人質的な意味ではないだろう。
そしてゼル団長が指示を下したと言う事は、少なからず異常事態であるという事を彼が判断したのを意味する。
襲撃、とはつまり何らかの攻撃を、予測していなかったそれを受けたということ。
だが。解らない。
一体、何処の国がこのベルルークに襲撃を仕掛けたというのだ?
そんな事をすれば他国全てを敵に回すというのに。
……確かに現状、様々な条約などは結ばれているが、それは表面上でしかない。
破ろうと思えばそんな物は投げ捨てて破る事も出来るだろう。
だが、先程も言ったように、その結果は他国全てを敵に回すという、余りに大きなデメリットだ。
即ち、自発的に戦争を仕掛けるメリットなどあるはずがない。
「……おい、スズカゼ殿を頼むぞ」
「駄目ですよー、行ったら怒りますよー」
「これ以上、主君を危険には晒せない」
デイジーは武器を背負い、ヤムの制止も聞かずに走り出す。
彼女の向かう先は正門であり、それは完全な命令違反だ。
だが、デイジーの心に迷いはない。
主君を守るという心に、迷いはなかった。
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