人ニ在ラズ、悪魔二在ラズ
 
「この方法の問題点と言えば、餌場と勘違いしてアルカーがより頻繁に来るようになった事かな。まぁ、その分だけ射撃訓練の的が増えるから良いんだけれどね」
はっはっは、と得意げに笑うバボック。
彼の笑い声は、まるで酒を飲んで陽気になった老人が自慢話に笑うかのような、そんな明るい笑い声だった。
だが、彼の眼下で巻き起こるのは余りに酷い惨状。
餌を喰わせて化け物を満足して帰らせるという残酷な行為。
そう、獣人という餌を。
「あぁ、勿論のこと適当に放り出してる訳じゃないよ? 罪人や女子供を優先的にね。雄と雌が居なけりゃ性行為も出来ないし子供も生まれないからさ」
足下で蹲るスズカゼなど関係ないと言わんばかりに、バボックは演説を続ける。
そんな彼に対しゼルは何も言えず眉根を寄せ口を固く結び、ファナは興味もなさそうに目を細めるだけだった。
苦しそうに呻くスズカゼの耳に入ってくるのは、バボックの演説。
そして眼下で巻き起こる惨状の、悲惨な音色。
「君は嘗てサウズ王国の騒動の最中、獣人を利用してメイア女王に取り入ったそうじゃないか。つまり道具の扱いには長けているという事だ! うん、まぁ、手間かも知れないけれど、手伝って貰えると嬉しいかな。タダで処分するのが嫌なら少しぐらい資産を出しても良い。……あ、別に非公式じゃないからって遠慮する必要はないよ? よくある取引」
刹那。
スズカゼの憎悪に塗れた眼球がバボックを捕らえ、その手は腰元の木刀を掴む。
眼下の絶叫と咆吼を掻き消すような叫び声が巻き起こり、木刀の一撃はバボックの顔面を狙う。
「スズカゼッッッ!!」
だが、その一撃が撃ち抜いたのはゼルの義手だった。
義手は軋む音を立てながらもバボックをその一撃から守護している。
そこを退けと言わんばかりに殺気を迸らせるスズカゼは、木刀に込める力を弱める事はない。
ただ押し切り、ゼルの後方でにやつく男の命を絶とうと。
その一撃を全力で押し込んでいく。
「……ふん」
その状況を嘲笑うように、ファナの魔術大砲が木刀を焼滅させる。
寸での所でスズカゼはそれを回避したが、熱風が肌を切り裂いた事に変わりはない。
その熱風は彼女の激昂を少なからず抑えたが、それでもスズカゼの殺気が収まることはなかった。
「落ち着け! ここでバボック大総統を攻撃すれば良い口実だ!!」
「……この男は解っていて貴様にこの光景を見せたのだ。もし今の一撃が通っていれば[友好的に招いたにも関わらず大総統に害を成した蛮族]として戦争の口実となっていただろうな」
「…………ーーーっ!」
「うん、良い部下を持っているね。獣人の姫君よ」
バボックはただ一人でスズカゼへと称賛の拍手を送る。
その表情は相変わらずにこやかで和やかな物だったが、裏には何が隠れているかなど言うまでもないだろう。
現に、彼の表情と反するが如くゼルの表情は非常に厳しい物となっているのだから。
「確かに今、君が私に刃を当てれば、いいや、掠っただけでも充分に口実となった。責任を負う立場の人間としては少しばかり迂闊すぎるのではないかね?」
「……貴方は」
「うん?」
「貴方は、悪魔だ。人間にこんな行いが出来るはずがない!! 貴方は悪魔だ!!」
「違うね。私は大総統だ。この国の最高責任者だ。……解るかい、獣人の姫」
バボックはゼルを押しのけ、怨嗟の眼光を呻らせるスズカゼへと近付いていく。
地面に舞い落ちた砂を踏みにじり、眼下の悲痛な叫び声すらも踏破して。
彼の視線はスズカゼへと辿り着く。
「私は人である前に、この国の大総統なのだよ」
眼孔を限界まで開き切り、眼球を外光に晒して。
口元は裂け白い歯が覗き、抑えきれぬ笑みが溢れて。
その男は、スズカゼへと言葉を向ける。
「君がおもちゃ箱を持っているとして、その中に要らない物を入れておくかい? そういう物さ。子供は大切な物は命より大事にするんだ。その中に要らない物があれば、捨てるのは当然の摂理だろう?」
「獣人は要らない物なんかじゃない!!」
「君の中では、ね。私からすればゴミも同然さ」
「どうして、どうしてそこまで獣人を卑下するんですか!? どうして!!」
「不要だから」
「ーーー……っ!」
「君の国は、まだ壁として利用価値がある。資源も豊富だから養える。……だがね、我が国は余りに資源が少ないし、アルカーの襲撃もある。だからこそ多くは養えない。ならば切り捨てるは獣人となるのは必然だろう」
「だからって、こんなっ……!」
「有効的な手を執るならば、必然さ。アルカー共は腹さえ満たせば満足するのだからね。道具は捨てるだけでなく有効利用すべきだ。そうだろう?」
「道具じゃない!!」
「君はその一点張りだねぇ。偽善を振り翳し、周囲に自己満足の優悦を振りまく貴族の豚共のようだ。うん、反吐が出る」
にっこりと微笑むバボックには、純粋なまでの殺意があった。
それは少女の吐き出す貧弱な殺意を消し去って蹂躙するには余りに充分過ぎる。
「君のそれは偽善だ。嗚呼、善悪などという立派な言葉すら勿体ない。君のそれは自己満足でしかないんだよ、獣人の姫君。……いや、小娘」
少女を支える、微かな灯火すらも。
捻り潰し踏み潰し握り潰し、消し潰す。
「君は獣人は道具ではないと言ったね。けれど君は、自らの自己満足の為に彼等を道具としている。そう、自分を引き立たせるための、道具に」
「ち、ちがっ……」
「あぁ、違うだろうね。君は彼等を道具とすら見て居ない。それ以下だ。……その点ではまだ私の方が彼等を尊重しているのではないかな?」
……どうして。どうして、こうも。
この人は、こんな事を言える?
どうして、こうも。
笑顔で、生命を侮辱するような事が言える?
「っ……!」
喉奥から込み上げる胃液。
指先が恐怖に震え、奥歯は嗚咽に引き締まる。
何が大総統、何が人間、何が悪魔。
この存在を表す言葉などない。ある訳がない。
こんな存在が、有り得て良いはずがーーー……。
「そこまでにして貰おうか、バボック大総統」
バボックの首筋に当てられた、白銀の刃。
彼はスズカゼに向けていた視線を後方へと向けるが、それに応えるように刃が彼の薄皮を切り裂いていく。
ひたりと首筋を伝う血液に、バボックは口端を引き裂いて満面の笑みを浮かべた。
「……どういうつもりかな? ゼル・デビット騎士団長」
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