砂漠より来たる獣
「さて、相談と言う事なのだけれどね」
腕を組み、如何にも困ったと言わんばかりに首を傾げるバボック。
彼の、言い方は悪いが拍子抜けな質問に、スズカゼ達も妙に息抜けた雰囲気で彼の言葉を迎え受ける。
「獣人というのは人よりも生殖能力が高いのは知っているかな」
「せっ」
「……あぁ、うん。これ真面目な話だから。セクハラじゃないからね」
「……し、知らなかったです」
「そうなのかい? ……まぁ、獣人の姫と言っても専門家ではないか」
「申し訳ありません……」
「謝らなくても良いさ。……それで、困っているというのは住民の超過なんだ」
「住民?」
そう言えば、この国に来てから、まだ獣人の姿を見ていない。
この人は今、獣人が超過していると言った。
だと言うのに獣人を見て居ないのは妙な話ではないか。
「君にはその対策を考案して欲しい。こちらも、そろそろ対応には困ってきてね」
「た、対策と言われましても……」
「あぁ、何なら現状、私達が行っている対策を参考にするかね? 丁度、今、行われている所だから見に行こう」
「……バボック大総統!」
「何かな? ゼル・デビット騎士団長」
バボックの眼光は再び闇渦巻く様な色へと変わっていた。
それに気圧されるようにゼルは何も言えず、ただ口を固く結ぶ事しか出来ない。
彼等の変化は非常に微かな物で、それを察知できたのはファナぐらいだ。
スズカゼは依然として、対策とは何だろうかと気軽しく考えているばかりである。
「それでは行こうか」
バボックは重い腰を持ち上げ、ぐーっと背筋を伸ばす。
年のせいか腰が痛くてね、と彼は苦笑していた。
それに習ってスズカゼも立ち上がり、ゼルも、ファナも立ち上がる。
その時、ゼルがファナに何かを呟いていたが、それをスズカゼが知る由は無かった。
《E地区・軍本部・外壁上部》
「ベルルーク国が軍事国家になった理由というのがあってね」
ベルルーク国外が見渡せる城壁へと登る階段の中、バボックは呟くように説明を始める。
彼を先頭にスズカゼ、ゼル、ファナと続く一行は静寂の中に過ごしていたが、彼の説明を始めとしてそれは徐々に崩れ始める。
「アルカーという生物を知っているかね?」
「あるかー……?」
「ベルルーク地方の、さらに西部に生息する生物なんだがね。これがロドリス地方に存在するウルティオス並に厄介なんだ。何せ凶暴で鉤爪を持つから城壁を上がってくるからね」
「……そ、それが国内に?」
「来ないための対策は勿論のこと張ってあるさ」
スズカゼの視界に眩しい光が飛び込んでくる。
それと同時に肌を舐めるような熱気と、毛先を蒸すような熱風も。
思わず目を細めた彼女を迎えたのは荒野に広がる黄土色だった。
「……!」
「我が国はこれでも砂の薄い方にある。もっと奥に行く事など、不可能ではないだろうが無謀だね」
「でも、そこからアルカー……、が来てるんですよね?」
「恐らく群れの住処があるのだろう。潰せれば良いのだが、どうにもそう簡単な話じゃない」
彼等の会話に割り込むように、凄まじい咆吼が鳴り響く。
スズカゼの鼓膜を劈くようなそれは無遠慮に周囲の静寂を食い荒らし、蹂躙する。
それが人間の慟哭でない事は瞬時に理解出来た。
「アルカーの咆吼だね。……慣れてないとうるさいが、大丈夫かな?」
「は、はい。どうにか」
「さて、来たなら丁度良い。対策が発動しているだろうからね」
バボックは城壁の段差へと上がり、スズカゼも彼に習ってその場へと上がる。
高さにして三十メートルはあるであろう城壁だ。
砂風の事もあって地面の様子はよく見えない。
だが、こちらの城壁に向かい来る影があるのは目視する事が出来た。
「アレが……、アルカー」
それは現世でいう猿に見えた。
いや、猿にしては余りに禍々しい。
四肢を地面に着き、それら全てに砂地を抉る爪がある。
全身の黄土色の体毛は砂に紛れるが、その異質な動きは肉眼で充分に捕らえられるだろう。
眼球は見当たらず、小さな鼻と巨大な牙、そして太い舌が顔面にはあった。
大きさにして数メートルほどであり、人間ならば簡単に噛み砕けるであろう程に顎は肥大化している。
思わず言葉を失うほどにそれは醜く、そして禍々しい。
生物という言葉はアルカーという怪物を表すには、余りにも不適切すぎる。
「醜いだろう? 我が国の抱える悩みの種の一つさ」
「被害は……」
「今の対策を取るまで、この国の死因の4割を占めていたよ。前任者も前々任者も有効な防衛策を執る事が出来なかったからね」
「い、今はどうなんですか?」
「何と0割! この対策のお陰さ」
「…………でも、これと獣人の話、何の関係が?」
「あぁ、それなんだがね」
アルカーの叫び声が再び鳴り響き、スズカゼは思わず両耳を押さえて蹲る。
その禍々しい叫びから目を逸らすように俯いた彼女の視界に映ったのは、小さな点だった。
「……え?」
三体のアルカーの前にある、幾つかの点。
それは蠢き、そして声を発している。
間違いない、あれは、獣人だ。
「良い対策だろう?」
アルカーは餌を喰らうように。
いや、事実。餌を喰らうために。
地面を鉤爪で引き裂きながら、その餌へと突進する。
絶叫、血飛沫、咆吼。
叫び声と共に為す術無く血肉を散らす[餌]は、やがて力尽きる。
どうにか逃げた餌も、やがてアルカーに捕まり、手足をもがれ、這いつくばり、それでも逃げようとして、頭を食い潰された。
「うっ……!」
思わずスズカゼは口を押さえるが、それでも眼前の悲劇は終わらない。
男だろうと女だろうと子供だろうと老人だろうと。
全てが等しくアルカーの餌食となり、消えていく。
その血肉を砂漠の中に沈め、アルカーの胃袋へと捧げて。
息絶えていく。
「前まではこれで良かった。アルカーも餌を食えば国には入ってこないから。……けれど、最近は逆に獣人が増えてきてね。餌になった獣人の家族には恩赦を出すようにしていたんだけれど、それもこの前、打ち切ったが、所詮は一時的な凌ぎだ」
バボックは当然の光景を見るように、それを見下ろしていた。
叫び声など彼の耳には羽虫の羽音程度でしかない。
ごく当然の、ごく自然な光景なのだから。
「他の国もうるさいんだよ、色々と。……だからまぁ、君に考えて欲しいのは、対策。……つまり」
にこりとバボックは微笑み、蹲るスズカゼへと手を差し伸べる。
だが、その眼光は酷く冷たく、そして深く。
余りに、悍ましい物だった。
「効率的な獣人の処分方法だよ」
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