煙舞う応接室
《D地区・軍本部・応接室》
「ここでお待ちを。もうすぐ大総統が来ますので」
ネイクは一礼と共に、スズカゼ達の前へ紅茶を置く。
相変わらずスズカゼは気まずそうに両肩を竦めているだけだが、ゼルはその紅茶を一気のみし、ファナは静かにそれを嗜んでいる。
職業柄故なのかも知れないが、彼等の異常な適応力には驚きを隠せない。
「……何だ? バボック大総統自ら、御出になるのか」
「他国の第三街領主の伯爵に騎士団長、王国守護部隊副隊長ですからね。我が国の将軍全員を引っ張ってきても良いぐらいです」
「勘弁してくれ。礼装なんて堅苦しくて敵わん」
「ですか。……待つまで煙草ほどでも如何ですか?」
「煙草ぉ? ……ベルルークの特産品だったか」
「えぇ、嗜まれないなら下げますが」
「いや、有り難く一本貰うぜ。無料だろ?」
「勿論です。では、どうぞ」
ネイクの差し出した箱から一本の煙草を取り出し、彼はそれを口へと咥え込む。
細い、まるで枯れ木のような煙草だ。
スズカゼが現世でのテレビのコマーシャルで見たような物よりも、数段細い。
にも関わらず、ゼルはそれを咥え、懐を漁り探る。
だが、結局のところ目当ての物が見つからずに、彼はファナへと指で合図する事となった。
「……チッ」
まぁ、所謂、マッチ代わりだ。
ファナの魔術大砲があれば煙草に火を付けられる。
とは言え、流石にマッチ代わりに使われてはファナも良い気はしないだろう。
だからと言って、ここで魔術大砲を全力で放つわけにもいかない。
「ありがとよ」
人差し指の先に灯る程度の魔術大砲、基、魔術灯火。
ゼルはそれに煙草を近付けて、微かな火を灯す。
チリチリと焦げる煙草の音色を感じながら、ゼルは大きくそれを吸い込んだ。
「ん。流石は名産。良い味してるな」
「味の解るお方で。……あぁ、そうそう。大総統には決して煙草を勧めないでください。あの人は今、禁煙中ですので」
「上に立つ人間の娯楽ぐらい、認めてやっても良いと思うがね」
「彼は相当な重度の喫煙者ですので。戦場で鉛玉を喰うか、背中に銀の刃を埋め込んで死ぬのならともかく、肺を患って死なれてはこちらも馬鹿馬鹿しくてやってられません」
「……際で」
「では、お寛ぎを」
ネイクは一礼と共に退室し、残るは両拳を膝の上に乗せて肩を竦めるスズカゼ。
そして、彼女の両端で煙草を嗜むゼルと、不機嫌そうに紅茶を飲み干すファナ。
何とも言えない静寂が彼等の間にはあった。
他国まで来て、この状況だ。
別段、知らぬ仲ではないのだから言葉を交わしても問題はないだろう。
だと言うのに、どうしてこうも気まずいのか。
やはり他国という事と、現在の緊張状態が原因なのかも知れない。
もし自分の内情が露見すれば、如何なる揺さぶりを掛けられるだろうか。
その様な重りにはなりたくないし、なろうとも思わない。
そもそも、自分はどうすべきなのだ?
この世界に来て、なし崩し的に、と言うよりは自発的にだけれど、こうして暮らしている。
いつまでこの世界に居る? いや、どうしてこの世界に居る?
それとも、死ぬまで、居るのだろうか?
ーーー……いや、そもそも。
どうして、今までこれを思案しなかったーーー……?
「ようこそ、と述べさせて貰おうか」
スズカゼの不穏な思考を打ち消すように、その声は彼女の耳に届く。
その男は、いつの間にか音もなく部屋へと入ってきていた。
隣でゼルが眼光を尖らせ、ファナが警戒を強めるのが解る。
だが、その男は彼等に反するように、軽々しい空気を纏って席に着く。
「……!」
恐らく、この男がバボック大総統だ。
何とも言えない威圧感。それは嘗てメイア女王から感じた物に似ている気がする。
「遠い所よりご苦労。歓迎する」
紅蓮の、炎のように燃え盛る頭髪と双眸。
身長は180ほどだろうか。漆黒と深緑で編まれた軍服が非常に印象的だ。
また、その表情はオールバックという髪型と相まって、非常に生真面目そうにも見える。
そして何よりも。
彼の顔面から片腕に一線を走らせる、その火傷痕。
戦場で負傷した為か、その傷は生々しくも悲惨に彼という人物に存在を刻み込んでいる。
「……おい」
「久しいな、ゼル・デビット。気分はどうだね?」
「お前の部下がくれた煙草が無きゃ、今すぐ斬りかかってる」
「それは失敬したな。では私も貰うとしよう」
その男は懐から萎びた箱を、さらにその中から一本の煙草を取り出す。
煙草を付ける火がなかったのか、彼はその煙草をゼルの咥えるそれへと近付け、灯火を分け与えて火を点けた。
チリチリと焼け焦げる音が閑静な空間に鳴り響き、男はじっくりと味わうように煙草を大きく吸い込む。
「うむ、やはり我が国のこれは良い味をしている。そうは思わんかね?」
「……嗚呼、否定はしねぇよ」
「それは結構」
嘲るような拍手と共に、男は口端を吊り上げる。
その様子は少なからずゼルとファナに不快感を、スズカゼには不安感を与える物だった。
「さて、彼女が獣人の姫かな」
そして、急に彼の視線はスズカゼへと向けられる。
紅蓮の炎のように燃え盛る色だというのに、その男の双眸は酷く冷たかった。
まるで哀れな化け物でも見下すかのような、そんな視線。
「……っ」
「……何か言ったらどうだ? 流石に、私も淑女を見詰める趣味はない」
「え、えーっと……、禁煙したのでは……?」
「禁煙?」
その男は目を丸くして、思わず口から煙草を零しそうになる。
正しく呆気にとられたという言葉が似合うだろう。
彼は暫くその表情のまま静寂を保っていたが、やがて口元の揺れる煙草を持って、くくっと微かな笑みを零し始める。
「くくっ……、くふっ……、かっはっはっは!!」
先程までの、冷静な様子からは信じられないほどの大爆笑。
自らの膝を叩きながら、涙目になるほどの笑い転げている。
そんな彼の様子に、スズカゼだけでなくゼルまで呆気にとられている始末だ。
尤も、ファナは相変わらずの不快感を示した表情のままなのだが。
「禁煙! あぁ、そうだった! 禁煙か、禁煙だな!!」
男は笑いを必死に抑えながら、自らに言い聞かせるように叫ぶ。
呆気にとられたスズカゼ達に構う事もなく、彼は自らの口に咥えた煙草を素手で握り潰す。
スズカゼは思わず驚愕の呻きを漏らし、目を見開いた。
当然だろう。煙草など、幾ら小さくても火は火なのだ。
その血肉を焦がし、火傷とするのは充分なのだから。
「これは失礼、獣人の姫よ。貴方のような初心な女性の前で喫煙など無礼極まりないな」
「い、いえ、えっと……」
「……おい」
「くくくっ。解っているとも、ゼル・デビット。ただの戯れだ」
男は席を立ち上がって扉へと向かって行く。
彼の手が掴み回したのはドアノブであり、そのまま退室していくではないか。
自らの発言が何か不評を買ったのかとスズカゼは慌て出すが、ゼルとファナにそんな様子は微塵もない。
男自身も何処かご機嫌で、苛ついた為に退室していくと言うよりは、むしろ満足したから帰ると言った様子だ。
「ではな、獣人の姫。機会があれば、また会おう」
男はこちらの別れの挨拶など待たずに退室していった。
正しく嵐が如く、とでも言おうか。
急に来て急に退室していった彼に、スズカゼ達は唖然とするばかり。
だが、その唖然を掻き消すのは入室してきた初老の男の姿だった。
「待たせたな、会議が長引いた物で」
金色の頭髪を乱し、髭を蓄えた、その初老の男。
衣服は先程の男とは比べものにならないほど装飾が施された物だった。
純白の手袋や漆黒の革靴は聞くまでもなく高級品だと解る程だ。
さらに、その鍛え上げられた肉体と迷い無き眼光は、正しく王たる風貌と威圧を持っている。
「……む、煙草の臭いがするな」
「失礼、先程、一本いただきましたので」
「あぁ、君のかね。何、構わんさ。禁煙の身からすれば少しキツいがーーー……」
「え? 禁煙?」
「……そうだが、どうかしたのかね?」
男は小首を傾げ、如何にも不思議そうな表情でスズカゼへと視線を向ける。
対するスズカゼは何が何だか解らない状態だった。
この男性は禁煙をしているという。
見た目からしても、この人が、大総統なのだろう。
では先程、自分が禁煙しているのではと言ったのは誰だ?
自分は誰と話をしていたと言うのだ?
「あの、さっきの人はーーー……?」
ゼルはため息混じりに頭を抑え、首を横に振る。
予想通りの質問だ、と言わんばかりにだ。
「イーグ・フェンリー」
その名前は聞き覚えがある。
いや、だからこそ、だ。
だからこそ震えが止まらない。
何故なら、その名はーーー……。
「四天災者が一人、[灼炎]だ」
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