結斂せし者達
【シャガル王国】
《海岸線》
「……何が、起きている」
ファナは天を見上げながら、絶息するような声で呟いた。
微かに見えたメイアウスの姿が消えてから、数十分が経過している。
帆船が泳ぐ海面は既にいつもの平静を取り戻しており、揺蕩う波も平穏そのものだ。
だと言うのに、彼女の心には切迫するように荒んでいた。
「我々は……!」
何が起きているのかを、理解出来ない。
自分達は確かにあの天霊を殺したはずだ。接続種とかいうものを撃ち込んだ、あの天霊を。
そうすればバルドの言っていた計画が発動し、あの神を殺すのではないか。
全てが終わるのでは、ないのか。
{随分と、焦燥に駆られているようだな}
彼女の隣、甲板上の手摺りに背を預けながら。
ワーズは酷く不機嫌そうに、彼女を見下していた。
瞳に含まれるのは嫌悪と侮蔑。或いは、呆念。
「……貴様」
{殺気立つな。貴様とやり合うつもりはない}
殺気立っているのはどちらだ、と。その言葉を無視し。
彼は今一度、軽く肩を回して果てを眺め通す。
もう十数分もすればシャガル王国に到着する。あの海岸に、船が着く。
{あの男には……、会わんのか}
ファナはヨーラと共に帆船に降りて手当を受けてから、ずっと甲板の上に居た。
その骸に会うことはせず、誰かに何かを言うでもなくーーー……、ただ、ずっと。
「……戦いは、終わってないのだろう」
ならばまだ良い、と。
彼女は膝を抱えるように蹲る。
まだこの世界の何処かで、誰かが戦っている。そしてそれはきっとあのお方もそうなのだろう。
ならばまだ、感傷に浸るのは早い。
「例え、静かであろうとも……」
耳鳴りのような魔力の奔流は、最早この世界にはない。
幾つもの魔力が消え、生命が潰え失せた。
誰も彼もが己の為に戦っているのだ。例え、何も無くても。
まだ戦いは終わっていない。刃を振るう者でなくとも、まだ、戦いは終わらない。
「どんなに……」
皆もまた、新たなる戦地へ赴こうとしているのだろう。
己の成すべきことを成した後であろうと、まだ。
今の自身のように、何かに駆り立てられて。
だからこそ、全てが終わって空が晴れ渡るとき、漸く、世界は終戦の煙を見せるのだ。
故に、まだ、折れる訳にはーーー……。
{……終焉は、近いようだな}
「だが、まだ終焉では……」
砂嵐のような、雑音だった。
世界中の誰もが、戦火を越えた誰もがそれを感じ取る。
体内より溢れ出る悪寒と共に、誰も彼もが眼を見開いた。
「無様なものですね}
遙か彼方より、その男は現れる。
咎人を打ち付けた十字架を隣に浮かべながら。
その胸元に魅惑なる輝きにして、深淵なる証を浮かべながら。
遙か彼方ーーー……、この世界全てが眺通出来る、その場所で。
「人も獣も、天霊も……。皆が戦った。終焉のために、戦ったのに}
悲痛に満ちた、その眼。
全能者は、神の力を、神の一族の力を取り込んだ全能者は。
濁流の変換という過程を行った男より喰らった残香にて、神の力の一端を取り込んだ、その半身という結晶を、魅惑にして深淵を得た男は。
ただ、悲嘆する。
「何と、無様な終焉か!}
漆黒の天が、煌めいて。
蒼色の果てより、それは降り注いだ。
「……こんな終焉は}
最早、一度ーーー……、壊すしかない、と。
彼の言葉は幾星の光となりて、天より墜ちる。
崩壊は等しく世界へと。全てを零に戻すがべく、降り注ぐのだ。
一撃は大地を砕き燃やし、人々を追い立てる。
ただ仰々しく広げられた細い両腕と深淵の光だけが、創られた終焉を祝福するように。
「世界よ、何という悲劇ですか!}
業火に絶やされていく星々に涙をくれながら。
彼は何人も到れぬ次元にて、世界を呪う。
終焉を拒絶し、その美を躙り蹴った世界を。
「嗚呼、世界よ! 私は貴方を憎悪する!!}
業火に染まり、地脈吹き出す星。絶叫に猛る生命の根源。
彼の憎悪は世界を斬り裂いていく。一切の比類なく、例外なく。
死の大地も四の大国も幾つもの中小国も、草原も河川も大海も山岳も、何もかも。
世界という存在を、終焉へと追いやっていく。
「だからこそ、私は!}
創り出された終焉に、美はない。
故に今一度待ち続けよう。この醜い終焉を吐き捨てて。
新たな世界で、またあの時のようにーーー……。
「世界を滅ぼそう!!}
空が割れ、大地が砕け、海が散り。
終焉が、星に刻まれていく。生命の終わりが。
全能なる者は七指で世界を滅ぼすだろう。全てを、終わらせるのだろう。
誰もが皆、抗うだろう。然れどその地点に到るまで、誰も間に合わない。
そうしたのだ。幾つもの次元を重ね、宇宙という異空に領域を創ったが故に。
彼の七指を振るうまで誰も辿り着けないようにーーー……。
「……おや}
彼が三度目の指を振るった時、世界に亀裂が走る。
否、境界の空が砕き割られ、次元の狭間が姿を現したのだ。
その世界から白煙と共に零れ墜ちた女は、消えかけた意識を引き留めるように歯牙を食い縛り、その一撃を放つ。
神が放った、如何なる存在をも消滅させる一撃との叛対の一撃を。
「貴方も来ましたか、ツキガミ}
ツキガミは追撃の一手を止め、衣を翻しながら彼へと向き直す。
その背に天輪を纏い、僅かに形態の異なる神槍を纏う者。
四肢は人間のそれではなく、神々しき紋章を刻んだ白となり。
刻印は衣で隠された口元から眼下まで到り、純然なる眼光を掻き立てていた。
「……随分と、苦戦なされたようで}
{あぁ。……だが、御陰で多少は調子も戻った}
神と、神に近しき全能者。
彼等は幾重の次元が重なったその場所で、ただ眼下を見下ろしていた。
世界が滅び逝く。如何なる者であれ、最早彼等を止めることは出来ない。
終焉だ。例えそれが創られたものだとしても、この刹那に掌を伸ばせる者など、居るはずがーーー……。
「おい}
ただーーー……、一人。
同じく創られた次元から。神が創り、残した揺り籠から。
幾重にも重ねられた扉の先にある部屋へ、窓から入るように。
そんな、非常識を行う、彼女ならば。
「それ}
ハリストスの肩を掴み。
彼が振り返ろうとした瞬間。
その瞳に映ったのは、紅蓮の拳。
「寄越せ}
拳撃、一発。
全能者の顔面が歪み、幾千の結界を貫いて大地へと叩き付けられる。
衝撃は雲群を突き破り岩盤を破し砕き大海を切り裂いて。
境界の果てまで、彼を吹っ飛ばして。
「が、ぁっ……!}
自身の全身を砕かんばかりの一撃。
揺さ振られた頭蓋を瞬時に再誕させつつ、彼は即座に立ち上がる。
何が起きたのか、ではない。何を起こされたのか。
そして何よりも重要なのは、神の半身たる結晶が奪われたこと。ロクドウ・ラガンノットから抉りだした、神に到る結晶がーーー……。
「それを!!}
奪い返さねばならない。
この世界を終わらせるには、あの結晶が不可欠だ。
あんな、あんな器如きが、あの結晶を。
「よぉ、何処行くんだ?」
ハリストスの眼前に向けられる、刃。
如何なる者をも斬り裂く、魔を現す剣。
「今頃か、貴様」
「いやぁ、悪い悪い! 準備に時間掛かっちまった上に天霊の妨害まであってさぁ」
「まぁまぁ、今はそんな言い争いしてる場面じゃないでしょ」
ハリストスの背筋が、泡立っていく。
脳の随から随までが理解を拒み、意識を閉ざそうと警告音を掻き鳴らすのだ。
それでも、理解せねばならない。この現状を、何が、誰が己の眼前に居るのかを。
「……まさ、か}
ある者は、魔剣を構え。
ある者は、灼炎を纏い。
ある者は、天霊を携え。
「四天、災者ッ……!!}
眼前に、到り。
その者達は、悠然と。
ーーー……口端を裂く。
{…………}
ツキガミはその様を見詰めるよりも前に、己の隣に立つ者へ視線を向けていた。
紅蓮の衣に身を纏い、真焔の太刀をその手に掴み、立つ者へ。
揺り籠で眠ることを拒絶し、今この場所に立つ、者へ。
{……来ると、信じていたのやも知れぬな}
彼女は、ツキガミの半身を掲げ上げる。
何と悍ましい結晶だろう。これが、己を支配するはずだったのか。
己の肉体を器とし、降臨するはずだった魂の権化なのか。
{お前ならば、きっと}
その言葉を無視するように、彼女は何の迷いもなく結晶を己の肉体に撃ち込んだ。
拒絶はない。そう、あるように造られてきたのだから。
ただその身を喰らい、全てを我が物にせんという憎悪や、言い表せぬほどの闇が全身を駆け抜けていく。
朧に、指先から崩れていくような、恐怖感だけが。
{乗り越えられると、信じていた}
己の顔面を殴り飛ばし、世界を激震させるほどの衝撃を受けて。
彼女は静かに鮮血を吐き出しーーー……、口端に垂れる一筋を拭い去る。
彼女は、スズカゼ・クレハという、一人の女は。
{……最終決戦と、征きましょうか}
読んでいただきありがとうございました




