紡いだ道の先に
「貫き通すことが大切なんだよ」
彼の、そんな言葉を思い出す。
甲板に横たわるその者の表情は、眠るように安らかだった。
今にもいつものような笑顔で、いや。
いつもよりもずっと優しい笑顔で、自分の頭を撫でてくれるように。
「……シャムシャム」
ココノアは縋るようにシャムシャムを見るが、彼女は静かに首を振る。
しかし幾人かの船医と彼女は治療を止めようとはしなかった。
その骸をただ、傷付き、風穴が開いたままにはしたくなかったから。
「誇り高き、男だった」
カイリュウがそう述べると共に、船員達は、そしてココノアとムーも静かに瞳を閉じ、彼の安息を祈る。
その身に重きを背負い続け、ただ任務のためだけに生きた男。
ーーー……最期の刹那だけ、仮面を脱いだ男。
「…………」
そんな中で、ただファナだけが瞳を閉じることなくその男の亡き顔を見詰めていた。
悲嘆ではない。陰沈でもない。
ただ、成すべき事を知るが故の、眼差し。
「…………征ってくる」
彼女はバルドの胸元に、一本の槍を供えた。
彼が召喚し、振り払われた一本の刃。
その意志を現すが如き、一刃を。
{準備は出来たようだな}
船帆の柱に背を預けていたワーズはぶっきらぼうに言い捨てた。
然れど彼女を侮辱する訳でも否定する訳でもない。ただ、待っていた。
戦人の安寧を邪魔する権利など、誰にもないのだから。
そして、それはヨーラも、また。
{それじゃ、征こうか}
何故、彼女達がこの場に居るのかは最早問わない。
例え彼女達が幻だったとしても、構わなかった。
重要なのは意志だ。受け継がれ、託された意志だ。
決して折れぬ心に宿るーーー……、意志。
「ファナ」
船縁に脚を掛けた彼女の背後から、向けられる幾つもの視線。
彼等はそれ以上の言葉を述べはしない。その瞳にある物の意味を、述べる必要などないから。
「……あぁ」
双腕に白き焔が纏われ、炎風を巻き上げた。
彼女が粉塵を打ち払い、飛空すると共に二人の脚撃が空間を叩く。
幾千の疾風が甲板を揺らす頃には、彼等の姿は空へ消えていた。
「頼んだぞ……」
カイリュウの言葉と共に、幾千の水龍が視界を覆い尽くした。
それ等は最早船になぞ興味もくれていない。
幾千の牙と巨体全で何もかもを圧砕すべく乱雑に打ち付けるのだ。
一糸を通す隙間さえなく、海面より迫り来る殺戮の壁面として。
{ワーズ、蹴散らしな}
{Wis!}
空より振り抜かれる崩壊の一槌。
乱雑に絡み合っていた水龍達はその一撃で一気に海面へと墜撃させられた。
だが、未だ止まらぬ。彼の一撃を櫂潜った数体の牙は、ファナとヨーラへと。
{邪魔すんじゃないわよ}
龍の眉間に、降り立ち。
その姿は羽のように軽く、その身は鋼鉄よりも重く。
脚撃は、如何なる爆槌をも凌駕する。
{崩脚撃ァッ!!}
衝撃は一体の頭蓋を弾き飛ばすと、残る数体をも共に薙ぎ倒した。
鱗が爆ぜ飛び、精霊の肉へ肉を躙込ませるが如く。
彼女の進むべき道を、照らし出す。
{ファナッ!!}
ヨーラの叫びに背を押され、彼女の双掌より噴射される白炎。
天を舞う白き軌跡は疾駆となり、一切の障壁がなくなった天霊への道となる。
{ぁ、がは、ぁぇはっ!!}
天霊の周囲に収束される巨圧の水弾。
その一撃は鋼鉄を裂き岩盤を粉砕する必殺の一撃。
それが、幾千と、幾万と、嵐雨が如く空を覆い尽くす。
{ぃひっ!}
放たれた全弾が、彼女へと迫る。
少なくとも天霊の眼に映る一帯を、海底依然でさえ破す一撃だ。
残量魔力のそれを防御することや、迎撃することは出来ないだろう。
ヨーラ達は敢えてそれを援護することも、庇うこともしない。
知っている。彼女ならば、その壁をーーー……、彼を奪い去ったそれを乗り越えられる、と。
「私は」
一気に、加速。
天霊という形から出来る、一面への僅かな隙間。
自身を押し潰そうと迫り来る必殺の撃壁の、刹那。
「私は!!」
腕が、爆ぜ飛ぶ。
爪先が、斬り結ばれる。
頬端が抉られ、髪先が喰い消され。
「意志をーーー……、受け継がれたものをッ!!」
それでもなお、彼女は突き抜けた。
刹那。刹那の狭間を切り抜ける。
「この道のために!!」
双腕が交差され、極点に収束される魔術の砲撃。
最後の刻を、もう一度。切り開かれた道の先へ。
胡蝶の夢に赦された、鎮魂の刹那をーーー……、今。
「極熱至るーーー……」
全てを。失われた刹那を。
この一瞬に、込めて。
万命を一撃の為に。
「空崩の砲吼アアアアアアァッッ!!」
終極の一撃。
それは天霊を爆ぜ飛ばせ、彼女の肉体ごと何もかもを消し飛ばす。
残った魔力全てを解き放ったファナの一撃は、例え天霊であれーーー……。
{あはっ}
残り香。
偶然か、必然か。
それは天霊に残された最後の正気。狂気の中の、残滓。
「しまっーーー……」
収束の一撃故に、それは天霊一体を消し飛ばす範囲しか射程としない。
そうしなければ天霊を殺す一撃とは成り得なかったし、ファナが放てる最後の一撃ともなれなかっただろう。
故に、それは偶然が産んだ必然なのだ。最後の、足掻きなのだ。
{あははっ!}
天霊は僅かに避けた。
頬端から顔半分を抉られようと、確かに避けたのだ。
決着が、最期の刻が再び、終わりを。
「父親だものなぁ」
天霊の眼に映ったのは、白煙。
煙草から吹き出された白色が、空へ立ち上っていた。
何かを放り投げたかのように振りかぶった、一人の老父の姿が。
一人の、父親の姿が。
「我が娘を、護りたいよなぁ」
白き濃煙ーーー……、スモークの言葉は白煙と共に空へ昇っていく。
否、そうではない。彼が投擲した、その男に託されて。
「父親だけじゃねぇ」
天霊の、端。
眼の端に映る、影。
「誰も彼もが」
スモークが投擲したものは、者は、武器を振り被る。
彼の持ち得る小刀ではない。それは、一本の槍。
ある男の意志が託された、一本の槍。
「護る為に、戦ってんだ」
命知らず。故に、一渾。
半獣人の、持ち得る全ての力を使って。
意志たる刃をーーー……、天霊へと投擲する。
「テメェ等なんぞに、壊せるかよ」
天霊の頭蓋を、撃ち抜き。
その身を、収束された一撃の中へと押し込んだ。
指先から、塵となり逝く感覚。死の、運命。
だが、最早天霊にはそれを悲嘆する絶叫すら残されていなかった。
ただ眼の先に映る狂気に笑い転げるだけ。やがてそれを映す眼が無くなってさえ、嗤い、果てるのみ。
「ーーー……、ーーー……」
絶息するように切れ切れとなる息。
最早、自身を空中に支えるだけの噴出も保てなくなった彼女は蒼快の海へと落ちていく。
然れど、そんな彼女を抱き抱える、武骨な腕があり。
{……よくやったね、ファナ}
「……ふん」
僅かな、静寂。
全てが消え果てた虚空を見詰め。
甲板より唖然とする、一人の獣人が、唇が震わせた。
「……やっ」
帆船から、歓声が巻き起こる。
感涙し、安堵し、誰も彼もが膝を崩したり抱き合ったり。
刹那の攻防だった。決死の攻防だった。世界を救うための、刹那だった。
海面に落ちる寸前で拾われたデッドや、開いた傷口を抑えるスモークも、流石に糸が切れたのか漏れるような笑みを零す。
カイリュウに到っては飛び込んで来たココノアによって本当に気絶しかけたがーーー……、彼女への拳骨と共に、どうにか意識を取り留めた。
「シシッ。心配掛けさせやがって……」
ムーは苦笑しながら、空を見上げる。
道。バルドという男が紡ぎ、彼女の因果が歩ませた道。
その果てでーーー……、彼等は世界を救ったのだ。
{輝き、か}
ムーの眼が見開かれ、言葉を失った。
誰も彼もが歓声を上げ、喜び舞う中で。
彼女一人が、いや、直後にヨーラやファナも、気付いたのだ。
自身達が吹き飛ばしたはずのその天に君臨する、一人の男に。
否、男を象ったーーー……、神の姿に。
{人の輝き。魂の美しさ}
その者の手にあるのが何なのかは解らない。
ただーーー……、それが自分達の滅そうとしていた存在だと言うのは解る。
それだけが、解ってしまった。
{……認めよう。人よ、獣よ。貴様達は誰よりも強く、逞しく、誇り高き戦士なのだ、と}
神が、ツキガミが槍を振りかぶった瞬間、全ての天雲はそれを央として螺旋を描き出していく。
一撃だ。その一撃で、全てが終わり得る。
届いたはずだったのに。たった、一撃だけでーーー……。
「えぇ、私の部下は強く、逞しく、誇り高かったわ」
ぱちん、と指が鳴らされた。
弾けるように、美麗なる華奢指より。
彼女の、魔を司る者の指より。
「貴方が依り代としている男もまた……、ね」
誰が、それを理解出来ただろう。
誰が、その光景を理解しようと思えただろう、
{四天災者……、[魔創]}
彼女は、そこに居た。
幾人だけが見上げる、天に。
神が全ての鍵を持つ、その場所に。
「……因果を、終わらせましょう」
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