静寂の鎮魂
{か、ぁ……}
視界が眩む。耳鳴りが止まない。
立っているのか座っているのか倒れているのか。
生きているのか、死んでいるのか。
「ヌエ。儂等の行いが正しいか否かは問わん」
記憶が、甦る。
朧気に、霞み掛かった追憶が。
走馬燈とでも言うのか、それは。
「だが信じろ。この行いが正しいか否ではなく、信じるのだ」
嫌だ。
止めろ。
「……最早、後には退けぬ。戦火は大地を燃やし過ぎた」
止めてくれ。
「歩もうぞ。この先にあるべき道ならば、儂は何も後悔はせぬ」
私の記憶から。
「ヌエちゃん、で良いのかな? よろしくね」
「随分と奇妙な肉体をした天霊だ。滑稽だな」
あの人達を。
「我等の世界の為に」
奪わないで。
{が、ぁあああああああああああああああッッッ!!!}
絶叫が、その身を叩き上げる。
頭蓋を際限なく襲う鈍痛も、臓腑ごと吐瀉しそうな切迫も。
押し潰す。いいや、耐え、抜く。
失うことに比べたら、何も恐ろしくはない。願いを、失うことに比べれば。
{ぁ、が、ぁあっ……!!}
最早視界さえ確かでない彼女が向かうのは、自身の一部があるフレースの場所だった。
歩んでいる訳ではない。それはむしろ、這っていると述べるべきだった。
羽をもがれた蝶が光に縋るように、這いずっている、だけだった。
{…………}
ネイクは双牙を構えることさえせず、銃口を向ける。
頭蓋を撃ち抜かれて生きている生命力は、流石と言ったところだろう。
しかし一切の不穏を生かす訳にはいかない。このまま、殺すだけだ。
{ならん}
それを制止したのはオートバーンの豪腕だった。
ネイクの眼前に突き出された腕は如何なる巨木よりも、鋼鉄よりも不動。
その眼差しもまた、揺らぐことなく天霊を見詰めていた。
{これより先は生者の領域。死者である儂等が手を出すことはならん}
{……しかし}
{解らぬか。儂は生者の戦いだと言うておる}
ネイクは呆れながらも、少し離れた場所で膝を突くウェーンに視線を向ける。
彼もまた何処か呆れた苦笑を浮かべつつ、左右に首を振った。
やがて、それに連られるようにネイクもまた大きく吐息を零す。
生者と呼ぶのか。彼女達だけではなくーーー……、あの存在さえも、と。
{私、は……!}
幾千の影が這いずり、彼女の側で刃となっていく。
だが、それさえも次第に崩れ、塵となって虚空へ消えていった。
やがて残った数本の刃こそ向けられど、フレースはその場から退こうとはしない。
自分の前に立ってくれる人が居ると、知っているから。
「……フレース、下がれ」
「ううん、此所に居るのよね」
貴方が護ってくれるって信じてるから、と。
彼女は静かにそう述べて、瞼を閉じる。
その表情は安堵に染まっていた。いや、信頼にと言うべきだろう。
だからこそ、ニルヴァーはそれ以上のことを言わず、ただ天霊と向き合った。
「天霊ヌエ。……貴様達の願いを、否定はしない」
精霊達に安寧を。
世界に平和を。
それが彼等の願いだった。純粋なる、目的だった。
「だが、その願いは……、俺達の幸せを壊す。貴様達の願いと俺達の願いは相容れない。例え、それがどんなにささやかだとしても」
風に揺られ、愛する人と手を繋ぐこと。
木漏れ日を、友と一緒に受けること。
小雨を、同胞と共に眺めること。
そんなことさえ、相容れない。
彼等の渇き果てた願いの前では、相容れるはずもない。
「俺達はお前の願いを踏み躙ろう。それを赦せとも恨むなとも憎むなとも言いはしない」
だが、決してお前達という願いがあったことを、忘れはしない。
例えそれが如何に悍ましかろうと、悲劇的であろうと、狂気的であろうと。
何かを踏み躙ったのなら、それが花であれ虫であれ影であれ。
忘れはしないーーー……、と。
「それが……、我々に出来る鎮魂だ」
吼え、一閃、刺貫。
ニルヴァーの臓腑と口腔より鮮血が溢れ、彼の脚が砕けるように落ちる。
然れど膝を突きはしない。双眸が、何かを孕むこともない。
ただその光で、影の刃を見詰めるだけ。幾つもの影刃が己の臓腑を、腕を、頬を斬り裂こうとも。
静かに、その銃口を、彼女の眉間に添えるだけ。
「……さらばだ、天霊」
一撃は、余りに虚しく響き渡る。
静寂の中を、なぞるように。
鮮血を散らしながら、弾ける頭蓋さえも。
{…………を}
彼女は、ただ紅色の海に沈みながら指先を伸ばす。
叶うことはない、消え逝く願いを。
相容れることなく、消失した想いを。
{わ、たしは……}
影は光の下に、消えてゆく。
その瞳から流れる涙さえも、陽光の中へ。
{チェス、を}
周囲の騎士や兵達がその決着に気付くことはない。
彼等は依然、失敗作達の霊体を倒している。皆が、戦っている。
誰かの為に、何かのために、戦っている。
{皆さん、と…………}
誰も、言葉を零すことはない。
消え逝くその姿に何かを述べることも、残すこともありはしない。
祈りだけが、鎮魂だけが、そこにはあった。
{ま……、た…………}
それは空虚な、静か過ぎる決着だった。
静寂に染まりきったーーー……、鎮魂だった。
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