信じるということ
【サウズ王国】
《城壁外郭》
「…………っ」
フレースは自身の中で嫌というほど渦めく感情に押し潰されそうになっていた。
ニルヴァーが生きていたことを喜びたい。四年越しの再開だ。抱き付いて涙を流したいと思う。
けれど彼と共にやってきた[封殺の狂鬼]が今、姿を消されてしまった。聞けば彼の魔力は今のニルヴァーと同等だと言う。
きっと無事では済まない。あの少年から感じた異様な魔力が、殺意が、未だ体を震わせるから。
だと言うのに彼の召喚したベルルークの精霊達は、依然として戦闘に明け暮れている。機械達の精霊、いや、幽霊達を相手に喜々として死んでいく。
何だ、この空間は。一種の悍ましさのような物が、ふつふつと湧き上がっていく。
怖いーーー……、のか。彼等が、ではなく。
また、ニルヴァーを失うのが。
「案ずるな」
言葉が、届く。
「俺はもう、そこまで弱くない」
空を裂く、光弾。
魅惑の羽より放たれたそれは彼の臓腑を貫き、大地さえも焼き焦がす。
だが、依然としてニルヴァーは疾駆を止めることはない。
幾千と降り注ぐそれ等から、顔面と双脚だけを結界で護り、確実に一撃のみを入れる態勢と入る。
{ッ…………!}
無論、ヌエが真正面から受けるはずもなく、巨大な羽による薙ぎが彼を吹き飛ばす。
小石のように大地に跳ね上げられ、彼の肉体はフレースの隣を通り過ぎて土煙と共に片足を吹っ飛ばされた。
そうまでして与えられたのは羽にある小さな傷口だけ。然れどその傷さえ、刹那に修復されて。
「ニルっ……!!」
「……恐ろしいか、フレース」
土煙より、立ち上がり。
その男は衰える事無き眼光を呻らせる。
「俺がまた消えることが、恐ろしいか」
ヌエの羽より放たれた光弾が、ネイクの魔弾と激突する。
飛散した衝撃波など気にも留めぬオートバーンの拳撃は、大羽の薙ぎと激突し、周囲一帯を吹き上げる豪風となって荒び狂った。
その余波は、彼女の身体を揺らし、転がるように吹き飛ばしそうになる。
「怖……、いよ」
当たり前だ。
四年ーーー……。四年だ。
フェネクスが産まれ、世界が変わりゆく、一番心細かった時期に彼は居なかった。
それはとても怖いことで、ただ孤独に生きて行くのかと思うと、どうしようもなく苦しかった。
それにあの子さえ失ってしまったら、きっと自分で命を絶ってしまうだろうと思う程に。
「怖いのよねっ……。怖いに決まってる。怖い、怖いわよ!!」
自然と、フレースの瞳からは涙が溢れていた。
怖い。彼をまた失うのが、言葉に出来ないほど怖い。
このまま逃げたって良い。フェネクスと一緒に、彼と安全な地で暮らしたって良い。
けれど、だけれど、それは。
「そうか」
ニルヴァーは、小さく区切る。
そして、振り向くことなく、彼女の隣を通り過ぎ。
その背中だけを、向けて。
「では信じろ」
彼は懐より、一対の銃とナイフを取り出した。
そして、無数の小さな結界を周囲に展開し、纏うが如く、刃を構える。
「お前の愛した男は、死んだぐらいでお前への愛を忘れたりはしない」
フレースの涙が、頬から落ちて、大地に消える。
喉の奥が苦しい。目頭が熱くなる。胸が、支えるようだ。
けれど彼は、自分が出るはずもない言葉を紡ごうとする度に前へ走っていく。
振り返る必要はないのだ、と言わんばかりに。幾千の光弾を受けてもなお、奔っていく。
{中々、酷なことを仰る方だ}
粉塵と共に彼女の眼前へ降り立ったのはネイクだった。
彼の肩口は焼き切られており、あの羽より放たれた光弾を一発弾き損ねたことが解った。
だと言うのに依然として、彼は平気な顔をしている。いや、それどころか安堵の微笑みすら。
「……解らない。解らないのよね」
どうして、彼は迷うこと無く奔って行ける?
怖くはないのか? 恐ろしくはないのか?
誰かが居る故に、失うということが。
「ニルヴァーは、貴方達は、どうしてそこまでっ……!」
{……フレースさん、でしたか。貴方は一つ勘違いをしている}
ネイクは眼鏡の汚れを服端で拭き取りながら、静かに吐息を零す。
やがて吹き終えた頃、大粒の涙を流す彼女へ苦笑のような、けれど安堵の色を孕む笑みを向けながら。
{信じろ、というのは……。彼が貴方を信じているから言える言葉だ。では、貴方が貴方自身を信じずに、誰が彼を信じられるのです?}
彼を信じる彼女を、いったい誰が信じてやれよう。
自分を信じなければ、誰かを信じることなど出来ない。
自分という存在を保障しなければ、誰も自分を肯定などしてくれないのだから。
{我々もまた、ロクドウ・ラガンノットという男を信じています。……いえ、悪い意味でも、ですが。しかし一つ間違いないのは、あの男は殺しても死なない男だということだ}
貴方の旦那さんのようにね、と。
彼はそれだけ言うと、再び銃を構えて疾駆の態勢を見せる。
不利な状況に変わりはない。ロクドウという男の支援が無くなったことで、突貫にも警戒を持たねばならなくなった。
それでも彼は止まらない。止まる理由などない。
故に奔る、と。ただそれだけだ。
ーーー……だが、そんな彼の服裾を掴み、引き留める手が一つ。
「弾丸、ある?」
顔を上げた女の口端は、きっちりと結ばれていた。
もう涙はない。擦った後だけが、彼女の頬にある。
{……旧式ですが、幾つかは}
「構わないわ。ありがとう」
自分だけ、引き下がりはしない。
決めたのだ。あの子を護る、と。
ならば、もう少し。あと少しだけ、奔ろう。
護られるだけが、信じるだけが、女の役目ではないのだから。
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